047 次の目的地
あたたかいな。ふあふあで、やわらかい。
使うことなど無いと思っていたが、用意しておいてよかった。まさか、ふぁぁ……、儂自らがこのベッドを堪能できるとはなぁ。
想定の中では、ここには幼女が眠っていたはずだった。
儂と暮らす幼女。朝日と共にゆっくりと目覚め、儂は小さな扉を丁寧に開く。そして、寝ぼけ眼を擦りながら挨拶をする幼女を出迎えるのだ。
ん……まあ、いいか……。
寝返りをうって毛布の底に体を沈める。儂と同じくらいの大きな熊のぬいぐるみも一緒だ。いい手触りだ。そういえば狼幼女はどこへ行った?
そうしてまどろんでいると、ダンダンダン、と小屋の扉が激しくノックされた。
「グリムちゃん、いい加減起きてくれませんかねぇ。朝ごはん、とっくにできているんですけどぉ」
お、メシか。わかっておるわ。うるさい奴め。
んんっ、と身体を伸ばすと、手足の先がプルプル震えた。ふぅ、気持ちいいな。一旦力を込めて、抜く。また眠気に襲われる。ああ、別に急ぐことでもないか。もう少し——。
「グリムちゃあぁぁん!? 何しているんですかぁぁっ! 出てこないなら入りますよっ! 開けますからねぇっ!」
「ん……まて。起きて、ふあぁぁ、おるわ。いまいく」
ここは儂の聖域。たとえ儂の部下だろうと足を踏み入れさせん。幼女以外は。そのための小屋だ。ベッドも、衣装棚も、立派な鏡台も。全てはそのために存在している。ぬいぐるみは、ああ、生贄代わりに納めさせた物だ。生きた人間などよりもよっぽど有益だ。
そう、幼女以外は。
離れ難かったが、ぬいぐるみだけを残してベッドから下りた。まだ気怠い。ぺたぺたと音を立てる小さな足が重く感じる。仕方ないな。寝起きの幼女だしな。
「ん……、ふぁ、ご苦労だな、アリュ」
目をこすりながら欠伸をし、小屋の外で出迎えたアルビオーネに挨拶した。
「ああ、おはようございます、グリムちゃん——って、なんですかその格好はっ!」
「ん、なにか?」
「髪は寝癖でボサボサだし、目は腫らしたままだし、よだれの跡っ! シャツは着崩して——っと、これはご褒美ですがっ、靴くらい履いてきてくださいっ! アイソスちゃんの体に申し訳ないと思わないのですか、みっともないっ!」
「お前が急かすからだろうが。ちゃんと後で整えてくれればよい。それよりも、メシだろう?」
少し離れたところに移動式の木製テーブルがあった。そこからバターの香りと温かな湯気が漂ってくる。
ここは儂の元々の寝床であった洞窟の前、少し樹々の開けた空間だ。
儂の眠っていた小屋は洞窟の入り口の近くに建てられている。その隣には、儂への供物が捧げられている祭壇がある。いずれも王国の人間が、儂のために造ったものだ。
今は、それに加えて食事用のテーブルと椅子が設えてあった。
すでに席についているのは、狼獣人の姿の幼女、ゼナロリスだ。本来の狼の姿ではなく、儂の言いつけを守り、ずっと幼女の姿をとっている。
「グリム殿、遅いぞ」
「ああ、ゼナ。その姿、少しは慣れたか」
背の高い椅子に飛び乗ってパンをつまむ。焼きたて、というわけではないが、儂らが食べる直前にアルビオーネが魔術で温め直している。幼女の身体に優しい柔らかさだ。
「もちろんだ。これからオレは、もっともっと幼女になるっ。グリムワルド様にふさわしき幼女になるんだっ」
「そうだ、その意気だぞ、ゼナ」
「おうっ!」
元気に気勢をあげながら、ゼナは両手に持ったパンにかじりつた。いい食いっぷりだ。儂もスープをいただくか。
「……しかしアルビオーネ。またこんな食事か。もっと肉が食いたいぞ」
パンくずを散らかしながらゼナが訴えた。確かにそうだな。元は獣だ。人間の食事は物足りない、といったところか。
「は? 何を贅沢言っているんですか、ゼナロリス。これはねえ、グリムちゃんのために私がわざわざ用意しているのですよ」
「けど、なんだか空気でも食べているようだ。もっと歯応えのある肉が食いたい。食いたい。食いたい食いたい食いたいぞっ!」
テーブルを叩きながらゼナロリスは訴えた。儂の方にもちらりと目線を送ってくる。
「まあ、儂と違ってゼナは姿が変わっただけだ。心も体も狼のものだからな。その欲求も仕方のないことだろう」
「あのですねえっ!!」
ゼナロリスの勢いをかき消すようにアルビオーネが叫んだ。鞭のように蛇身を地面に打ちつけたせいで、土埃が舞う。
「私はあなたたちのお母さんではないのですっ! 文句言わずに食べなさいっ! 毎回毎回、人間用の食事を調達するのも大変なのですよっ!」
「けど、肉が……」
「そんなに欲しかったら、自分で狩ってきなさいっ! 貴方ならできるでしょうが、ゼナロリスっ!」
「アルビオーネ、幼女はそんなことしないぞ。そうだよな、グリム殿」
「はああぁぁっ!?」
二人して儂を見るなっ。だが、うむ、そうだな。
「ゼナよ、そんな野生的な幼女も、いいと思うぞ」
「そ、そうなのかっ。そうだったのか。だが、この姿のままで——いや、やるぞっ! オレはこの幼女の姿でもできるっ!」
「そういうことではありませんっ! グリムちゃん、ゼナロリス。少しは私の苦労もわかってもらいたいのですっ!」
ん、そういう話だったか? 確かにアルビオーネはよくやってくれているとは思うが。
「だが、アリュよ。デザートが無いようだが? 水果はどうした? まだ残っていたはずだが?」
「んきいいぃぃぃぃぃーーーーーーっ!!」
奇声と共に、アルビオーネは両手の拳をテーブルに打ち下ろした。あまりの勢いに食器が跳ね上がり、パンが浮く。それが落ちる前に、獣幼女は手を使わずに直接咥えた。得意気な表情だ。
儂の方はといえば、こぼれたスープに足を濡らされてしまった。熱々でなかったからよかったものの、火傷でもしたらどうする気だ。
「おい、気をつけろよアリュ。溢れたではないか。それと水果を——」
「黙りなさいっ! 水果はもうありませんっ! 私が処分しましたっ」
「なんだとっ。儂の好物をっ、処分しただと!? なぜだっ!」
「なぜ、ですって? わからないのですか、グリムちゃぁぁん?」
お腹っ!? 儂のお腹が刺激されてっ? と思ったら、テーブルの下からアルビオーネの尻尾が伸び、お腹を突いていた。
「この前、水果を食べすぎてお腹を壊していたじゃないですか。ですから、出すのはやめにしたのです。隠しても勝手に食べてしまうので、処分させていただきました」
ぐ……。冷静に言いおって。確かに腹を痛めたのだが。
「し、仕方なかろうが……。竜の体では、水果を腹一杯になるまで食うことなどできなかったのだ。今ならそれが叶うと思ってだな……」
「その結果が、あれですか。お腹が痛い、お腹が痛いとわめいて。しかも『呪印がまた儂を——』なんて呪印のせいにしていませんでしたっけ?」
「う、うるさいっ。儂は食いたかっただけなのだっ。それに、もう理解した。程々に食うから大丈夫だ。それを処分した、だ……だ、と…………ぅ……」
抗議が最後まで続けられない。アルビオーネの圧のある笑顔が、儂に思い出させたのだ。座っているにもかかわらず、自然とお尻に手を添えていた。
「はぁ、そんな自制ができていたらですね、今頃——。それにイズキャルルの奴も言っていましたが、甘いものばかりでは体によくないです。その綺麗な白い歯が、虫歯になってしまいますよ」
「虫歯だと? 儂がそんな状態異常にかかるわけなかろう」
「でも、下着の状態はいつも異常ですよね?」
「なんだとーーーーっ!!」
コイツがなぜそんなことを知って————ああ、そうだ……そうだったな。
だが、違うっ。『いつも』なんてことはないはずだ。ないのだっ。
「ま、そうでなくても。あ、別に責めていませんからね、グリムちゃん。いくらでも汚してくださいね。ただ——いつまでもこんなことはしていられないのでは? 一体この先、どうするつもりなのですか?」
急にアルビオーネは真面目な口調になった。
そうだな。今の暮らしも悪くはない。この儂は幼女。ゼナロリスも幼女。世話をするアルビオーネもいる。そしてなにより、アイソスがいるのだ。竜となった幼女アイソスと暮らしているのだ。不満などない。
ただ、より高みがある。そこを目指さねばなるまい。
「アイソスちゃんには、この術を解いて元の姿に戻ると言っていたでしょう? いつまでこうしているつもりですか?」
「ああ、アイソスの怪我が治って回復したらな。そろそろ大丈夫だとは思うが」
思うのだが、なんとなく先延ばしにしていた。アイソスと触れ合っている時間は長い。外見上、傷は治っているように思える。ただ、儂の方は。ああ、まあ。これはこれで。
「もう十分元気だと思いますけど。今だって、朝から飛び回っていますよ」
「狩りでも教えたいくらいだぞ。アイソスは未熟だからな。オレのこの姿でも、教えることくらいはできる」
「そうか。そろそろか。ああ……仕方ないな」
名残惜しい気がする。だが、儂らの本来の姿を取り戻すことのほうが重要だ。
改めて考えるに、儂が幼女の姿になることなど、少し魔術を創造すれば容易いこと。これまではゼナロリスと同じように、躊躇していただけなのだから。
「それで、どうするのですか? アイソスちゃんには、手段があるみたいなことを言っていましたが。実際、このヤンデルゼの術をどうやって解くのですか?」
「手段はある。これを解くことのできる奴を儂は知っているのだ。アイソスが回復したのならば会いに行くぞ。目指すは————魔王城だ」




