046 本当にあったかもしれない昔話
このお話はグリムちゃん一人称視点ではありません。
むかしむかし、とある山に一頭の竜が住みつきました。その竜は、貴族のお屋敷よりも大きくて、夜のように黒い身体で、瞳だけは闇夜に浮かぶ月のように妖しく輝いていました。
その姿を見かけた狩人が伝えると、ふもとの村は大騒ぎになってしまいました。
この村が襲われるのではないか。
魔物たちが増えるのではないか。
恐ろしくて山に入ることもできない。
このままでは山菜も薬草も採ることができない。
一体どうやって暮らしていけばいいのか。
村人は領主様にお願いしました。どうかあの竜を退治してほしい、とお願いしました。
でも、領主様にはどうすることもできません。領主様も王様にお願いすることしかできませんでした。
そうしているうちに、村人たちの不安はどんどん大きくなっていきました。恐る恐る山に入った村人は、魔物の姿を見かけてすぐに逃げ帰ってきました。夜には、山の方から恐ろしい獣の声が響くようになっていました。
きっと、あの竜が魔物を引き連れて村にやってくるんだ。みな食べられてしまうんだ。
そんな恐ろしいことが、すぐにでも起きてしまう。みな不安でいっぱいでした。
村人の中には、村を捨てて逃げようと言い出す人もでる始末。自分の生まれ育った村を捨てたいなんて、本当は思っていません。それほどに怖かったのです。
◆◆◆
ある日、村長さんが提案しました。
竜に生贄を捧げよう、と。
それは、とても悲しい決断でした。でも、もうそうするしかなかったのです。
村長さんは知っていました。生贄を捧げて竜に満足してもらうことができれば、村のみんなは助かるだろうということを。
そんな話を、村長さんは聞いたことがあったのです。それは、おとぎ話ではありません。本当に世界のあちこちであったことでした。
村人たちはすぐに賛成しました。でも問題は、誰が生贄になるか、ということです。
村長さんは言いました。
竜に捧げるのは若い娘だ、と。
村人たちも、なんとなくそう思っていました。でも言い出せませんでした。村にいる未婚の女性はそれほど多くありません。みな大切な村の仲間なのですから。
村長さんは覚悟していました。村長さんには三人の子供がいました。一番上の娘は、そろそろお嫁さんになる年頃です。言い出した以上、自分の娘を生贄に差し出すことを決めていたのです。
◆◆◆
そうして村長さんの娘は山に入りました。生贄としてここへ来ました、と震える声で何度も叫びながら竜を待っていました。
すると、すぐに竜が現れました。
遥か空を見上げるようにして、娘は訴えました。私をあなたに捧げます、と。私が生贄になりますのでどうか村を襲わないでください、山から去ってください、と涙ながらにお願いしました。
『断る』
竜は答えました。娘よりも大きな口を開けて迫りました。
『愚かな奴らだ。お前如きが、儂の生贄だと?』
恐ろしくて息が止まりそうな娘にそう告げると、竜はあっという間に娘の前から飛び去ってしまいました。
娘は、自分がなぜ助かったのか不思議に思いました。でも、村に帰ってこのことを話すと気づかされました。自分だけでは竜は満足しなかったのだということを。
もっと多くの生贄を捧げないとダメなのだ。そう話す村人たちの言葉に、娘は絶望しました。
——ああ、竜というのは、なんて悪い生き物なんだろう。恐ろしい力を持っていて、乱暴で、貪欲で、私たち人間なんか、食べ物としか思っていないんだ。
でも、その娘はわかっていませんでした。いえ、村長も村人も、誰一人わかっていなかったのです。
だから、村に住む五人の若い娘を連れて再び竜に会い、同じように相手にされなかった時に、村人たちは困り果ててしまいました。
どうすれば村が助かるのか、わからなくなってしまいました。
竜が生贄を受け取らなかったのは、村人たちが困っている姿を見て楽しんでいるんだ。そんなことを言う村人もいました。悔しい。でも、どうすることもできなかったのです。
断られてもいいから、次の生贄を送ろう。そんな声が上がりました。
竜にお願いしよう。どうしたら村を襲わないでいてくれますか、と尋ねてみよう。そんな提案もありました。
いずれにしても、こうして何もしないままでいたら、きっと竜は村を襲う。それは共通した思いでした。村人たちにとっては、答えのない難問でした。
◆◆◆
村人たちは毎日話し合いをしていました。でも、どうしたらいいのか答えが出ません。
そんな流れが変わったのは、ある夜のことでした。
話し合いの参加者ではない一人の少年が口を挟んだのです。彼は村長の息子です。話し合いは村長の家で行われていたので、彼はそっと耳をそばだてて聞いていたのです。
それは、ふとした疑問でした。
『若い女の人じゃないとダメなの?』
少年の言葉に、村人たちは雷に打たれたような気持ちになりました。村長は、自分の息子の言葉を聞いて目を見開きました。
なぜって、それは村長の中での常識、つまり『当たり前のこと』だったのですから。
『あの竜って、もしかしたらメスかもしれないよ』
話し合いの場がざわつきました。村人たちは顔を見合わせていました。
『僕みたいな、男の子の方がいいのかも』
確かに……、と村人たちは頷きあいました。
『あとさ、僕だったら、優しいおばあちゃんも好きだなぁ』
何年も前に亡くなってしまった、優しかったおばあちゃんのことを思い出しながら、少年は呟きました。
おばあちゃんかあ——と、さすがにそれは同意されませんでした。それでも、村人たちには光が見えました。
そうして、村長の息子であるその少年が生贄に選ばれました。次の村長になるはずだった少年は、村のために、と自らを犠牲にしたのです。自分の命で村を助けよう、と覚悟を決めたのです。
それに、少年はほんの少しだけワクワクしていました。とても強い力を持つ、竜という生き物を見てみたかったのです。
お話のなかでしか知らない竜に会うのです。それは、まるで自分が物語の主人公にでもなったかのように思えたのです。
だから少年は、小さなナイフを懐に忍ばせて竜に会いに行きました。竜退治のお話のように、自分が竜をやっつける。そんなありもしないことを考えながら、竜を待っていたのです。
◆◆◆
少年のもとへ現れた竜は、これまでと様子が違っていました。姉のときは興味なさそうに帰ってしまっていたのですが、そんな態度は何処へやら。竜は勢いよく少年に迫りました。
少年は懐のナイフをぎゅっと掴みました。恐ろしくて手が震えてしまいます。荒々しく息を吐く竜は、少年の甘い想像なんて粉々に壊してしまったのです。ナイフを取り出すこともできずに、少年は尻餅をついてしまいました。
もうダメだ。食べられてしまう——。
体を固めたままの少年は、迫る竜の鼻先を見つめていました。鋭い牙の隙間からは、舌がのぞいて口元を拭っています。
怖い。でも言わなくちゃ。僕が生贄になるから、村には手を出さないでください、って言わなくちゃ。
そう心の中で繰り返すのですが、口には出せません。動けなかったのです。
そんな少年から、竜は離れていきました。いえ、そもそも竜は、少年に興味などなかったのです。
『そうだな。貴様らの努力は評価しよう』
そう言いながら、竜は少年の背後に向けて歩き始めました。
『ま……待って!』
ようやく少年は声を出すことができました。少年の背後、それは村のある方角です。このままでは村が襲われてしまう。その思いが少年を動かしたのです。
少年は膝を震わせながら立ち上がりました。手にはナイフを握り締めています。
竜は立ち止まりました。でも、少年の方を振り返ることはありません。竜は何かを呟きました。かと思うと、太くて長い尻尾が踊るように波うって、少年をはじき飛ばしてしまいました。
『まあ、良いではないか』
羽虫のように追い払われ、息も絶え絶えの少年は、ようやく振り返った竜と目が合いました。そして、恐怖よりも、痛みよりも、驚きで体を震わせました。
竜の掌のなかには、少年の妹がいたのです。
少年は気づきませんでした。竜に会うという緊張と興奮で、わからなかったのです。兄を心配するあまり、こっそりとついてきた幼い妹の存在なんて、気づく余裕がなかったのです。
ずっと後に彼は知らされました。そもそもその山の魔獣は、この竜の仲間だったのです。そうでなければ、幼い妹も、少年も、それまでの生贄も、無事に竜と会えるはずがありません。
どうして——。
少年は言葉を飲み込みました。
『貴様らの努力に免じて、今回はこれで我慢しようではないか』
竜は少年に向かってそう告げました。
『いやだ! 妹を返して! 僕を! 僕を——』
『しばらくは、平穏な暮らしに勤しむことだ』
少年の懇願なんて意に介さず、竜は幼い娘を握り締めて、遠くの空へ飛び去ってしまいました。
◆◆◆
少年が涙ながらに報告すると、村人たちはほっとしました。もちろん、とても悲しいことです。でも、ようやく恐ろしい竜がいなくなってくれた、という想いの方が大きかったのです。
そして、時が過ぎるにつれて悲しみは薄れていきました。忘れられない出来事であることには変わりありません。感謝も忘れていません。それでも、いつまでも悲しんでいられないのは仕方のないことでした。村は決して裕福ではなく、日々の暮らしで精一杯だったのです。
ただ、妹を目の前で奪われた少年だけは違いました。悲しみと、後悔と、怒りでいっぱいでした。いつかはあの竜を退治する、とその日以来、戦うための訓練を始めていました。
それから同じ季節が数度過ぎました。
あるとき、本当に何の前触れもなくそれは現われました。村人たちは最初、信じられませんでした。なぜなら、山からやってきたのは、かつて竜に連れ去られた村長の幼子だったのですから。
村は喜びにわきました。とっくに死んでしまったと思われていた子が無事に帰ってきたのですから当然のことです。年相応に成長し、とても元気な様子でした。
まるで裕福な貴族の子供、あるいは時折村にやってくる教会の司祭のような立派な身なりをしていました。手にした袋の中には、村人たちが目にしたことなどないような、たくさんの大きな宝石がありました。
少女は何があったのかをほとんど語りませんでした。村人たちも強くは聞きませんでした。ただ無事であったのならばいい。そう思っていたのです。
でも、これで終わりではありませんでした。
少女は竜と過ごした時のことを話しませんでしたが、これだけは村人に伝えました。
竜はまたここに来る。
その言葉に、村人はざわつきました。
『心配することはありません。もう、わかっていますよね』
とても落ち着いたふうに少女は答えました。少し悲しんでいるような、怯えているような、それでも、大丈夫と励ますような。大人のように複雑な想いのこもった声でした。
少女の言葉通り、しばらくして山に竜がやってきました——。
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そこまで語ると、彼女は口をつぐんだ。思わずため息を漏らしてしまう。
彼女は思案していた。この先を子供たちに聞かせるかどうか。
本当の結末は、よくある物語のようにすっきりとしたものではなかったのだ。子供に聞かせる物語など、主人公が大活躍する心地よいものか、説教めいた教訓を含んだものであるのが常だ。
村人は幼い少女を生贄に捧げ続けた。最初はそれでも半信半疑だったが、数年もすると必ず戻ってくる。それも過分な宝を携えて。それがわかってからは、そのような関係が続いたのだ。
それは、竜の気分ひとつで脆くも崩れ去る関係だ。だが、止められない。明確な恩恵があったのだから。彼も止めない。それは気まぐれなどではない、強固な信念だったのだから。
——だから壊した。
彼女には、そんなものは許せなかった。
思い出すにつれ、彼女の表情は険しくなっていった。子供たちを見つめる瞳に力が込められる。体を撫でていた手が止まる。
「ねえ、それでどうしたの?」
そんな言葉に、彼女は我にかえった。不思議そうに見上げる瞳、期待を込めた瞳が向けられていた。
「また生贄をもらったの?」
「その少年は、竜を退治してしまったの? あははっ、そんなこと、できないよねっ?」
「そうね——」
爽快さと教訓。考えてみれば、どちらもあるのかもしれない。しかし、そこには聞かせたくない醜聞もあった。
「そうやって竜と村人たちが交流するうちに、彼らは仲良くなったの。それでね、生贄も復讐も必要なくなったのよ」
「えっ、そうなの?」
「なあんだ、つまんないの」
聞かされた子供たちは、興味を無くしてしまった。彼女の導き通りに。
彼女自身、呆れてしまうような改竄だった。それは、子供たちにこれ以上関心を持ってほしくない、という思いから創作した結末。
それならば、なぜこんな話をしたのだろう——。
子供たちを寝かせつけてから、彼女は独り考えた。胸騒ぎがしたのだ。大気の揺らぎから天候を予測できるように、彼女の周囲の変化が予測をさせていた。それで彼のことを思い出したのだ。
まあ、今はもう関係ないことね。
そう呟きながらも、思い浮かんできてしまう。思い出をなぞることで、記憶が鮮明になる。
かつての彼を想いながら子供たちに寄り添い、彼女は眠ろうと努めた。
お読みいただきありがとうございます。
次回から新エピソード開始です。
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【次 回 予 告】
すっかり幼女姿を堪能しているグリムちゃん。
お互いの体を取り戻すため、ようやく動き始めます。
そのために必要なことは。
そう、練習です。
そのための旅行です!
二人きりで!!
無事に終わるわけがありません!!!
次回、
練習
全五話です。




