044 心ころころ幼女竜
う……、ううっ…………ぐすっ……。
……ひぐっ…………。
勝手に喉が鳴る。涙が止められない。なぜ儂が……こんな目に合わなければならんのだ……。
「はいはい、もう大丈夫ですよ、グリムちゃん。よく頑張りましたね」
何が大丈夫だ。儂の精神はボロボロだわ。
「ほら、そんなに頬を膨らまさないでくださいね。伸びきってしまいますよ」
黙れ。誰のせいだと思っている。それに意図してやっているのではない。この体が、アイソスの体が反応しているだけだ。
「はい、これでおしまいです。綺麗になりましたよ」
全身を拭っていたアルビオーネが、ぽんぽんと頭を軽く叩いて儂を解放した。こんなもので満足できるか。こんな奴らから離れて、早く水浴びがしたいわ。
「よかったですね、グリムちゃん。私もゼナロリスもご褒美を頂けましたし、グリムちゃんも魔力が回復して万々歳です——って、どこへ行くんですか、グリムちゃん?」
「帰る」
「えっ?」
「アイソスと山へ帰るのだっ」
こんな奴に説明するのも面倒だ。伸ばしてきた手を払って、二人を睨みつけてやった。
「いつまでもここ居ることはできん。他の魔王軍の奴らが襲ってくるかもしれんからな。また街に被害が及んだらどうする」
「あっ……、そ、そうですね。それでは早速準備を——」
「いらんっ! お前らはここに残れ。残って街の復興の手助けをしろ。儂はアイソスと二人で帰るからな。ふん、どうせ儂は役立たずだしなっ」
「え、ちょっと、グリムちゃん!? 待ってくださいっ!」
アルビオーネを無視して、ドアノブに手をかけ——くそっ、高いわっ——頭上に両手を目一杯伸ばしてドアを開けた。思い切り閉めてやろうと思ったが、手間がかかる。扉を半開きにしたまま部屋を出た。
アイソスだ。庭にはアイソスが休んでいるはずだ。儂にはもう、アイソスがいればいい。あんな、儂の言うことも聞かない奴らなどいらん。
そう思って歩き始めたというのに、柔らかな手に肩を掴まれた。振り返らなくても判る。この獣毛、ゼナロリスか。
「グリムワルド様っ。オレは、オレをおいていかないでくれっ」
歩みを止めてやった。それを機とばかりに、ゼナロリスは背後から儂の体に腕を回してくる。奴の毛皮にうなじを刺激されると身震いしてしまう。
「オレは精進する。グリムワルド様に認められるような幼女になる。すぐにはなれないかもしれない。だが、オレはっ。必ずやり遂げる! だから見捨てないでくれっ。あの頃のように、オレを見放さずにいてくれっ」
「放せ、ゼナ」
「いやだっ!」
言葉と共に、儂を抱きしめる腕に力が込められていた。ふん、コイツは幼少期を思い出しているのだな。同胞よりも弱く、儂が相手をしてやっていた頃を。
「オレは放さないっ。諦めないっ。それがグリムワルド様の教えだからっ」
「黙れっ!」
振り返った儂の目の前に、紅の瞳があった。儂の鼓動が跳ね上がる。
ふわ近い。幼女が近い。視界を埋め尽くす幼女の顔だ。
儂の視線を受け、ゼナロリスの小さな唇がわなないた。その表情はまるで捨て犬。強い言葉とは裏腹に獣の耳は伏せる。
腹立たしい。なんたる姿。この儂を、怒り鎮まらぬこの儂の熱を、別の熱きものに誘うとは。なんたる獣幼女だ。胸が痛い。
「放せ、ゼナ」
再び、今度は静かに囁く。その響きから悟ったのか、ゼナロリスの力が抜けた。
「グリムワルド様……」
「それでいい」
儂から離れた幼女は、力なく尻尾を垂らす。今にも涙を零さんばかりに瞳を揺らしている。
ああ……もう無理。こんな幼女を放っておけるかっ。
「抱くぞ」
「…………あ……?」
「抱きしめるのは、儂の方からだ」
そう。これだ。この感触だっ。
背中に腕を回しながら、頭を撫でる。元気のない尻尾に、そんなはずはない、と手を這わせる。小さな、柔らかな、それでいて内には芯があり熱い。なんとも野性味のある幼女。それがお前だ、ゼナロリス。儂の幼女。儂の幼女だ!
「許す。けしからんが、許すぞ」
「お、おお——」
なすがままのゼナロリスの体が震えた。尻尾が躍動し始める。胸元に頬をすり寄せながら見上げると、獣耳がぴん、と自己主張していた。緩く開いた口元からは小さくも鋭い牙がのぞく。ああ、アレも欲しいな。
「グリムワルド様、オレ、オレは……」
「よい。そのままだ、幼女ゼナよ」
もう少し堪能させろ。儂の心を満たし、溢れさせるまで——。
「あら、早速ですか。さすがですね、グリムちゃん」
くそっ、コイツか。いつも儂の気分を害しおって。まあいい。この際だ。はっきり言っておいてやる。
儂ら二人を見下ろしていたアルビオーネを睨みつける。その穏やかな表情も、落ち着いた物言いも気にくわん。
「お前に用はない。さっさとどこかへ消えろ」
「…………」
「どうした、行け。この儂を愚弄するばかりのお前など不要だ!」
儂の恫喝に、コイツはため息を返してきた。
「……はぁ、まあいいですが。グリムちゃんは私を嫌っているのですね」
「好かれているとでも思っているのかっ!」
「どちらでもいいですが。ああもちろん、グリムちゃんには好かれていたいですよ。でもですね、これだけは言っておきます」
ゆっくりとアルビオーネが近づいてくる。手には儂の杖を持っていた。差し向けられた杖の先端を握りしめ、奪い取るように脇に抱えた。
「私はグリムちゃんを守りたいのです。たとえ遠ざけられようと、私は離れませんよ。嫌われようと関係ありません。グリムちゃんの危機は私が対処します。それがこの私の使命なのですから」
「儂を守る、だと。散々気に触ることをしておいて、何を言う。たとえこの姿だろうと、もうお前に守ってもらう必要などないわっ!」
幼女の姿になって以来、一体どれほどアルビオーネに辱められたことか。これ以上耐えられん。儂を守ると言いながら、コイツが儂にしてきたことは。
してきたことといえば——。
「グリムワルド様?」
いつの間にかゼナロリスを撫でる手を止めていた。不安げなゼナロリスの囁きと押しつけてくる毛皮の感触が、怒りに揺れる儂の心を再び落ち着かせてくれた。
——あ、いや。
アルビオーネが、儂にしてきたこと?
それは。
それは——。
ああ、そうだ。アルビオーネは。
儂をヤンデルゼから救ってくれた。
イズキャルルと対峙した時、儂をアイソスの元へ運んでくれた。儂を諫めてくれなければ、儂はアイソスとのコネクトなど思いつかなかった。
アイソスの父に襲われた時も、呪印の力に囚われた儂を救ってくれた。
そもそも、儂の山でアイソスに辛くあたってしまった時も、気づかせてくれたのはアルビオーネだった。
アルビオーネは、そうだ、儂を常に助けてくれていて——。
いや、違う。そんなはずは。コイツはいつも儂のことを。
だが——。
そ、そうだ。
「おま、お前は、儂を山中に置き去りにして……」
彼女に向けて突き出した指先が震える。微笑を浮かべたままのアルビオーネがさらに近寄ってくると、思わず一歩引いてしまう。
「そ、そう……だろう、が。儂は、魔獣に襲われて——」
伸ばしてきた手が、そっと頭に添えられた。首をすくめて目を瞑る儂に構わず、綿毛でも扱うように丁寧に髪を撫でてくる。
「怖い思いをさせてしまいましたね。ですが、あの時は」
穏やかな声が降り注ぐ。上目遣いに伺うと、アルビオーネはもう一方の手を幼女の姿のゼナロリスの肩にのせていた。
「すぐ近くにいましたから。グリムワルド様に最も忠実で、頼れる部下が」
「あ……」
そうだった。その通りだ。儂はすぐにゼナロリスに助けられた。
そうか、そうなのだな、アルビオーネ。お前は、間違いなく、儂を守っていたのだな。
ぐっと歯を噛み締めた。小さな手を握りしめた。この震えが、どこからくるのかわからない。だが、踏み出さなければならない。そう決意し、アルビオーネの手をそっと払いのけて彼女を見上げた。
「アリュ……お前は、これまでとかわらじゅ——」
ぐっ、なぜここで噛むっ!?
「あ、いや、だから……」
沈黙が重い。真っ直ぐに儂を見つめるアルビオーネの視線が耐えられない。
もういい。二人に背を向ける。
「帰るっ! アイソスを連れて、皆で帰るぞっ!」
「はいっ!」
「おうっ!」
背後からの返事が頼もしい。儂の背中を押してくれる。
これでいい。あとはアイソスだ。
一転気分が晴れて、足が自然と軽くなる。後ろは振り返らない。まだ振り返ることができない。ただ、共に歩む二人を感じることができればいい。
顔を上げて教会の扉を見つめた。儂は今、何故だか誇らしい想いに満ちていた。
さあ、行こうではないか。
——ん?
あれ? どうした……?
なぜ儂の体にアルビオーネの蛇身が巻きついているのだ?
戸惑う儂の足が、床から離れた。
「お、おい、アリュ。これは——」
「なにをしている、アルビオーネっ!?」
空中で振り返ろうとした儂の体が、くの字に折れた。巻きつくアルビオーネの力加減で腰を曲げさせられ、儂はお辞儀をするような姿勢で床を見せられていた。
「グリムちゃんが理解してくれて嬉しいです。でもですね、私、ちょっと傷ついたんですよ。グリムちゃんにあんなふうに言われて」
「あ、あれはっ」
「ですから、お仕置きです」
は!? 何を言っているんだコイツはっ。表情は見えないが、声が弾んでいるではないかっ。何をする気なんだっ!?
「グリムちゃんはご存知だと思いますので。ゼナロリス、よ〜く覚えておきなさい。悪いことをした幼女へのお仕置きは、古来より決まっているのです。それは————お尻ぺんぺんですっ!」
「何だとっ! 貴様この儂にそんなことをっ!」
「まあ、大丈夫です。ズボンの上からにしてあげますから」
ウオーミングアップ、とでもいうかのように手を打ち鳴らす音が聞こえた。コイツ本気かっ。
「いやだっ。断る!」
「あらあら、そんなに足をバタつかせて、お尻をくねらせて。活きのいい幼女ちゃんですねぇ。これは——やっぱり直接いただきますっ!」
「ひいいっ!」
儂のズボンが下着ごと下ろされたっ!?
「それでは、いきますよっ。いきますよぉぉ〜〜」
「ま、まて! やめろ! やめろやめろやめぅぅうああああああぁぁーーーーーーーーっ!!」




