043 皆のご褒美
とりあえず、だ。
ゼナロリスが思い悩むように黙っている間に、毛布を引っ張ってきて体に巻きつけた。幼女の目の前に甘いケーキを置くかのような行為は慎まなくてはな。
「それで? どうなんだ、ゼナ」
「あれは……オレだ。オレが人の姿をとったものだ。仕方がなかった。あの剣を扱うには、人の姿の方が都合がよかったから……」
それは確かだろう。剣は人の手で扱うための形状をしているものだ。ゼナロリスは『破魔の大剣』を咥えたままヤンデルゼに向かって行ったが、実際に剣を自在に扱うには、人の手の方がふさわしい。
それはわかるが、なぜこれほどまでに尻尾を垂らしているのだ?
「お前はよくやってくれた。何をためらう必要がある? それとも謙遜か?」
「オレは、グリムワルド様には見られたくなかった……。あんな未熟なオレを、グリムワルド様だけには知られたくなかったんだ」
「未熟……? お前は儂を助けてくれただろう。それを儂が咎めるとでも思ったのか。しかもあれは——そう、幼女の姿ではないかっ!」
「違うっっ!!」
吐き捨てるようにゼナロリスは吠えた。ギリギリと歯軋りが聞こえる。コイツは一体、何をそこまで気にしているのだ? 幼女だぞ。幼女なんだぞ。
「あんなものが幼女であるはずがないっ。オレは、オレはっ! 幼女にはなれなかったんだっ!」
「何をいうっ! 幼女ではないかっ! ゼナっ! よもや、この儂が幼女を見間違うなどど思ったかっ! それは儂に対する侮辱だぞっ」
「違うっ。オレはっ、オレは————」
ゼナロリスがじっと見つめてくる。そこに怒りはなく、迷子の幼女のような不安をたたえた瞳があるだけだった。
「グリムワルド様……オレは確かに幼女の姿になることができた。グリムワルド様に喜んでもらえるように、長き間、修練していたんだ。そして、ついに幼女の姿への変化を会得した。だが、遅かった。遅すぎた。オレは幼女の姿は手に入れたが、代わりに幼女の心を失ってしまっていたんだ。グリムワルド様の語る『幼女大全』を聞いていた頃の、オレの幼女心は最早どうやっても取り戻せないんだ」
どうすればいい?
言外に、そう訴えているのがわかる。
ああ、そういうことか。幼女の精神性。それは難しい課題だな。一見単純のように思えて、その実、深淵なる迷宮のごとき複雑さ。儂とて理解及ばぬことは多い。いや、だからこそ——。
「はぁ、まるでダメですねぇ。これがグリムワルド様に忠実なゼナロリスだとは、到底思えません。全く理解していないようです」
「な、なんだとアルビオーネっ。オレが、グリムワルド様を理解していないだとっ」
「ええ、全く。グリムワルド——グリムちゃんならどうすれば喜ぶか、考えが及んでいません。だからこんなことで思い悩むのです。やはり貴方ではグリムワルド様の第一の部下たりえませんね」
「オレはっ! オレは、ただグリムワルド様を失望させたくないだけだ。だからあの姿を隠していた。今回はああするしかなかっただけだっ!」
「失望——すると思いますか? グリムちゃんが? では今、この場で変化してみなさい」
それだっ!!
「そうだ、ゼナ。見せてみろ。この儂の目の前で、じっくりと見せてみるがいい。その上で判断してやろうではないか」
「え、判断って、する必要があるように思えませんが?」
何か言ったか、アルビオーネ? わからんだろうが。見てみないと、触れてみないとわからんだろうが。最高なのか、至高なのか、究極なのか。その全てなのか。
「早くしろ、ゼナ。早くっ」
「そうですよ、ゼナロリス。グリムちゃんは幼女に関して『待て』なんてできないのですからね」
「う……」
ゼナロリスは覚悟を決めたように頭を振った。そして、狼の身体は姿を変えた。
ほんの三つ四つ呼吸をする間だった。儂の目の前には、紅い幼女が立っていた。
背の丈は、儂よりも頭一つ分高い。全身を覆う毛皮も、短めの髪も、鮮やかな紅。ゼナロリスの元々の毛皮の色だ。手足には人の幼女よりも鋭い爪。やや切れ上がった目尻は野生を残している。
「ど、どうだ……」
俯き加減に呟いた口元から牙が覗いた。人、というよりも獣人だな。印象は、アルビオーネの眷属たる鼠獣人たちに近い。
無論、良い。
「ほうほう。ほう、ほうほうほう」
その姿に吸い寄せられる。毛皮に触れると、ゼナロリスは一瞬だけ体を硬らせた。構わずにお腹を、腕を、太腿を撫で回す。そして、頬を両手で包む頃には、ゼナロリスの緊張が幾らか解けたように思えた。
「良いではないか、ゼナ。なぜ隠す必要がある。なぜもっと早く儂に報告しなかった」
柔らかなお腹に頭を擦りつけながら抗議してやった。くふっ、全く困った奴だ。アルビオーネの言う通りだ。これほどまでに儂のことを理解していなかったとはな。
「オレは、その、幼女としては未熟で……。グリムワルド様に、披露できるほどではなかったから……」
「未熟? 幼女とは未熟なものだ。未熟ゆえに幼女。お前は、ああ……良い……わかっていないな」
「心のことはともかくですね、ゼナロリス。未熟、というのは、人間になりきれていないその毛皮に獣の耳、尻尾のことですか? そんなもの、グリムワルド様にとっては、無限に広がる幼女の守備範囲内です」
「そうだぞ、ゼナぁ。いいぞ、いいではないか。けしからん幼女獣人だぁぁ……」
心が蕩けるようだ。儂の身近に、これほどの幼女がいようとは。
「許しがたい……許しがたいぞ、ゼナぁ……」
「ほら、この通りですよ」
なぜだか、アルビオーネの声が呆れているように聞こえる。まあ、今はどうでもいいが。
ん、待て、ゼナロリス。なぜ儂を離そうとする?
「お、オレは、許されないのか……。やはりオレは幼女としては駄目なのだな……」
「違うっ!! 貴様、それ以上侮辱するなよっ!」
「ええと、ゼナロリス。グリムちゃんの言葉は、そういう意味ではないですよ。まあ、ですが、貴方の不安もわかります。ですから——しばらくその姿のままでいてみたらどうですか?」
このままっ!? そうだ、それはいい。新たな幼女。新たな幼女だっ。
「それは……オレは、いくらこの姿でも、グリムワルド様の要求する水準には——」
「ま、形から入る、という言葉もあります。幼女の姿でいることで、掴めるものもあるのではないですか?」
ん、アルビオーネ。なぜ儂を見る? そんなことなど当然ではないか。一旦ゼナロリスを解放し、その紅い瞳を儂の視線で突き上げた。
「ゼナ、儂の教えを忘れたか? お前はあらゆる手段を尽くしたのか? その上で諦めるというのならば儂は咎めん。だが、試みていない可能性があるというのであれば、お前は挑むべきではないのか?」
「あ……」
呟き、ゼナロリスは膝をついた。困惑と不安の表情が、真剣なものへ変わる。獲物を狩る獣の視線——いや、違うな。これは、店先で甘味をねだる幼女の目つきだ。
「オレは……オレは、すぐには至ることはできないかもしれない。だがっ。必ず、オレはグリムワルド様にふさわしき幼女にっ! 幼女に、オレはなるっ!」
「そうだ、その意気だ、ゼナ。それでこそ我が部下」
「お、う、うおおおおぉぉぉぉーーーーっ!」
歓喜の叫びをあげ、ゼナロリスが飛びついてきた。その勢いに抗えず尻餅をついてしまう。床に押し倒された儂に、ゼナロリスが覆いかぶさる。
「お、おいゼナ、何をするっ。毛布を剥がすな————ぅぅひゃあぁっ!」
足が舐められているっ!? 幼女にっ?
「や、やめっ、ひゃうっ、ゼナ。んんっ、ゼナっ。しょんな、舐め回すよーじょがっ、ひぃっ、どこにぃぃっ——」
「あ、ああっ、グリムワルド様っ! オレを、寛大な、ああっ、ああっ! グリムワルドさまああぁぁっ!」
「だめっ、だめだっ、ああ、ありゅ、やめさせろぉぉ」
振り解けないっ。幼女の姿でも力は元のままかっ。——ああ、そうだ、『破魔の大剣』を振るっていたのだ。それは、ひっ、当然かっ。
だがっ。まずい。これはっ。幼女の舌がっ。何か、おかしな気分になるっ。不快な感覚があるのに、悪くないような!?
ああ、ゼナも、あんなに尻尾を振って! 良いのか!? 良いのだろうな、お前は、以前から——。
「ふああぁ、ゼナ、ゼナっ、だめ、だ……」
「落ち着きなさい、ゼナロリス。それは、獣の姿だからかろうじて許されていたのですよ。その姿では色々問題が——と、聞こえていないようですね。まあ、仕方ないです」
仕方ない、で済むかっ。激しのだ。山中での時よりもずっと激しいのだぞっ。
「褒美は、必要ですものね」
アルビオーネが儂の眼前に蹲み込んできた。何が可笑しい? 何を考えているのだお前はっ。早くなんとかしろっ。
「ねえ、グリムちゃん。私も、ご褒美欲しいです」
「な、にを……」
覗かせた舌先をそのままに、アルビオーネが姿を変じさせた。部屋を埋めつくすほどの蛇身。淡く輝く白い口先が、儂の鼻に触れる。
「だって、私も頑張りましたから。役立たずの幼女ちゃんを助けてあげたでしょう? だから、ゼナロリスだけっていうのは、不公平だと思いますよぉ」
「ま、待て。お前、先程と、言っていることが——」
「ん、下はゼナロリスですから。それ以外は、いただきますね」
や、やめろ、アルビオーネ。今、そんなことをされたら。やめろ。いやだ。いやだ。
真っ赤な洞窟が、涙に歪む。
「あ、あ…………。ああああああああーーーーーーーーーーーーっっ!!」




