041 薬を飲んだだけなのに
その回復のポーションはアイソスのためのものだ。儂が使っていいはずがない。アイソスは儂のために傷ついたのだから。
「グリムちゃん、何をしているのですか?」
「アイソス、だ。彼女を……癒せ……」
足元を向いて答えた。
「アイソス……、優先……で……」
「はぁ、何を言っているんですか? アイソスちゃんを気遣うのはわかりますけれど、グリムちゃんの方が深刻なのですよ」
「……っく、ぅぅ」
アルビオーネが儂の腕をそっと掴んで持ち上げた。それだけで小さな悲鳴が漏れてしまう。隊長によって雑に巻かれた布は赤く染まっていた。
儂は何もできなかった。こんな痛みなど、甘んじて受け入れたいのだ。
確かにイズキャルルからはアイソスを取り戻せた。だが、ヤンデルゼに対してはどうすることもできなかった。そればかりか、アイソスを一層傷つけることになってしまった。そして、あのままヤンデルゼに奪われるところだったのだから。
「儂には……足りなかったから……。お前たちは、皆、よくやったというのに。儂だけが……アイソスに、何もできずに……」
「あー、あー、あのですねえ。何か勘違いしていませんか?」
頬が掴まれた。無理矢理にアルビオーネの方を向かされたことに耐えきれず、避けるように視線を落とす。
「今のグリムちゃんは、やわやわの幼女なのです。そうやってすぐにむくれる、ちみっちゃい幼女にすぎないのですよ。そんなグリムちゃんに多くを期待しているわけないじゃないですか」
「儂は、嫌なのだ……。アイソスを助けられなかった儂が」
「そんなことありませんよ、グリムちゃん。私もゼナロリスも隊長も。それにイズキャルルも。皆の力でアイソスちゃんを助けたのです。そのなかでも、貢献度で言ったらグリムちゃんが一番なんですから」
「…………」
そんなはずがない。儂はヤンデルゼの奴に、ただ頼むことしかできずにいたのだ。間違いなく、奴には通じぬ頼みをするだけで。
「確かに、イズキャルルの一撃が先制としては決定的でした。でもですね、それを生み出したのはグリムちゃんのおかげなのですよ。イズキャルルをその気にさせ、力を与えたグリムちゃんのおかげなのです。まあ、イズキャルルの節操のなさには失望しましたが」
アルビオーネは、恨みがましい視線を背後に向けた。そこには朽ちたように崩れ、わずかばかりが地面から伸びている樹の幹があった。一枚だけ残った葉が、彼女の言葉を否定するかのように揺れている。
「儂が……? 儂は、何も……」
「いいえ、グリムちゃん。グリムちゃんは、奴に恵みの雫をもたらしたのですっ」
困惑する儂に対して、アルビオーネはなぜか顔を背けて唾を吐き捨てた。
「それにですね。忘れていませんか? 今のその体だって、アイソスちゃんのものなのですよ。それを放っておけるのですか? 傷跡でも残ったらどうするんです? と、いうわけで。ほら」
小瓶が口元に差し出された。いや、押しつけられた。有無を言わせぬ力で迫ってくる。だが嫌だ。歯を食いしばって唇を閉じる。
「何を意地張っているんですかっ。さっさと飲みなさいっ」
「グリムちゃん、私、大丈夫だからね。グリムちゃんが飲んで。ねっ」
アイソス……。ありがたいが、嫌なのだ。今はこれしかないのだろう? ならばお前が先に飲むべきだ。
「……ああ、もうっ! いいです。わかりましたっ」
ようやく諦めたか。それでいい。アイソスに与えればいいのだ。
「やはり、以前のように私が直接飲ませた方がいいようですね。いえ——そうね。そっちがいいわね」
小瓶を取り下げると、アルビオーネの口の端が裂けた。反射的に震えが疾る。コイツ、何をする気だ?
「ねえ、知ってますかぁ、グリムちゃん。お薬はね、口から飲むものとは限らないのですよ。人には、お口以外にも吸収できる場所があるのです。せっかくですから、そちらから飲ませてあげますねぇぇ」
おい、何だその手つきは。なぜ儂のズボンに手をかける? 待て、アルビオーネ。お前は——。
「ひゃあぁぁっ!?」
変な声が漏れた。支えてくれていたアイソスの手が、儂を緩く包んだようだ。そしてアルビオーネから遠ざけてくれた。
いいぞ、アイソスっ。お前も何かを感じたのだな。
「ちっ、ダメですよ、アイソスちゃん。グリムちゃんにはきちんとお薬を摂取してもらわないといけないのです」
「で、でも、お姉ちゃん。ちょっと、怖い……」
そうだっ! 言ってやれアイソスっ。
「ああああああっ、もうっ! じゃあ、どうするんですかっ! お薬くらい、さっさと飲んでくれませんかねぇぇ!」
「う、うん。グリムちゃん。お薬は飲もうね」
「そもそも、こんな量じゃあ、アイソスちゃんには全然足りないのです! これで傷を癒せるのは、ちびちびなひと口幼女グリムちゃんくらいなんですよっ! いいから飲みなさいっ。お顔も唇も真っ青じゃないですかっ!」
アルビオーネが本気で心配しているのはわかる。だが、納得できんのだ。少しでもアイソスに楽になってもらいたいのだ。
「グリムちゃん。私、本当に大丈夫だから。私、お姉ちゃんだから。だからグリムちゃんがお薬飲んでくれないと、悲しいの。ね、お願いグリムちゃん」
う……。そんなに瞳を揺らして迫らないでくれ。お前に言われると断りにくいではないか。
「ほらっ、さっさと飲みなさいっ!」
「…………ぃぃ」
「ああっ!?」
「アイソスが……飲ませてくれるなら……いい……」
伺うようにアイソスに視線を向けた。その先で竜の瞳が輝く。
「うんっ! アルビお姉ちゃん、ちょうだい」
アイソスの弾む声に、顔をしかめながらアルビオーネがポーションの蓋を外した。アイソスは壊れやすい砂糖菓子を扱うように、慎重に爪先でつまんで儂に差し出してきた。
「はい、グリムちゃん。お口あけて」
「ん」
ああ、癒される。その仕草、その声だけで満たされる。癒しのポーションなんて、アイソスがいれば不要なのでは——。
ぅんけふっ!
「えっ!? グリムちゃん? どうしたの?」
冷たくひりつく感覚に、むせてしまった。アイソスからの貴重な薬は全て吐き出してしまい、小瓶に残ったものと一緒に地面を濡らしている。
けふっ、こふっ。
「飲めないの? 大丈夫? ねえ、グリムちゃん!」
「あ……、けふっ、すまない……」
ひとしきり咳き込み、治まると、アイソスに目を向けた。不安そうな顔が触れんばかりに儂に迫っていた。
「だい、じょうぶ————ぁ?」
その姿に、眩暈を覚えた。
ああそうだ。こんな近くにいるではないか。儂の理想。尊き姿。
体が熱くなる。心が蒸気のように揺らぐ。揺らいで、拡散して、アイソスを包む。包む。包む——
「つつ、むぅ……」
自然と、アイソスの顔に体を預けていた。本当はこの手で抱きしめたい。だが、うまく動かない。だから、頬を擦りつける。
「えっ? えっ? グリムちゃん!?」
「あいしょしゅぅぅぅぅ……」
美しい鱗だ。暖かい体だ。儂の舌でも感じさせてくれ。もっと、もっとぉ。
「ああ……あいしょしゅぅ……すき……わしわぁ……」
グリグリと頬を、体を押し当てる。アイソス、お前も、儂をかんじてくれぇ。
「あいしょしゅ、わしにも、わしにもぉ」
「え、なに? アルビお姉ちゃん?」
「おい、アルビオーネ! この匂いは!」
「はっ、こ、これは、お酒? それも、気付け用の強めのものでは————お前たちっ!」
おさ、け……? なぜいま……?
「ひいっ! あ、あ、アルビオーネ様、あれは、その……」
「あの、だって……、回復の、だと思って……」
「よーじょ、たのしそう」
「んキイイイイィィィィーーーーッ! お前たち! なんて、なんて——」
ああ、うるさいやつらだ。ここはうるさい。じゃまだ。
「いこう。ふたりでいこう、あいしょしゅ。そうだ、わしのどーくちゅで、ふたりで、あいしあおう」
「行くの? グリムちゃん?」
「ん。いく。ふたりで、ひとちゅに、なるの」
「ぅんんんんんだめですーーーーーーっ!! 何をしているのですかグリムちゃん!!」
あれ? アイソスが、とおざかる。だれだ? やめろ。わしをあいそすからはなすな。いやだ。はなれたくない。
「あいしょしゅ! あいしょしゅ〜〜〜〜ぅ!」
「こらっ! 暴れないでください、グリムちゃん!」
「いやだ! たすけて。あいしょしゅ、たしけて、あいしょしゅ————」




