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039 呪獄

 竜の背の上を駆けて首元まで達すると、紅の幼女は剣を振り上げる。その切っ先はアイソスの首輪を断ち切った。正確に見えたわけではない。ヤンデルゼの手から垂れ下がる鎖がそれを教えてくれていた。


 自由になったアイソスは、すぐに儂の方へ向かってきた。背後から拘束環のついた鎖が襲いかかるが、それらは全て『破魔の大剣』によって弾かれた。


 自身の身長ほどもある大剣を振るう姿に頼もしさを覚える。剣自体に付与された力も大したものだ。ヤンデルゼの術を退けているのだからな。この剣をうまく利用すれば、我が体の呪印もどうにかできるのではないか?


「グリムちゃ〜〜ん!」


 おおっ、アイソスっ。そのまま儂を連れ去ってくれ。行こう! 二人で我が洞窟へ戻ろう! そして二人で過ごすのだ! ひとときも離れずにっ!

 今までの幼女とは違う。儂は今や、真の意味でひとつになることができるのだからっ。そうだろう、なあ、アイソス。


「アイ、ソ……ス……」


 手を伸ばしたい。早く触れ合いたい。すまない、アイソス。今は動かんのだ。


 上空から猛然と竜が迫る。だが、儂との距離を半分も詰めないうちに、空間に雷光が疾った。何もない空中で、壁にでもぶつかったように竜の身体が止まる。よろめきながら体勢を整え、再び儂へ向かうアイソスだが、それ以上進むことはできなかった。


「きゃああああああっっ!」


 衝突の重い音と、雷光が空間を引き裂く轟音。行手を阻まれたアイソスの悲鳴が響く。迂回するように方向を変えて羽ばたくアイソスは、そこでも見えない壁に接触し、その瞬間に放たれた雷撃に鱗を焦された。


「ふ、ふひっ、ふひひっ、どこへ行くつもりだ?」


 ヤンデルゼっ!


 奴の結界が徐々に露わになる。何もないように見えていたアイソスの周囲の空間を、半透明の膜のようなものが四角く囲っていた。


「触らば雷撃を放つ『雷獄』だ。ふひっ、くひゃっ、ふははははははっ。暴れるだけの無知な獣にはふさわしい檻だろう?」


「なに、これ————いやああああああっ!」


 そっと指先で触れただけで、放たれた雷が爆ぜた。衝撃に身を引くアイソスの尾が、背後の障壁に触れる。閃光が奔る。アイソスは再び悲鳴を上げていた。


「きさ……ま……ヤン……デ、ルゼ……」


 地に伏したままの儂には、ヤンデルゼを睨みつけることくらいしかできなかった。恨みの言葉を吐き出すことすら、まともにできない。呟きのような儂の言葉はヤンデルゼには届かないだろう。


 不意にヤンデルゼと視線が合った。これほど離れているというのに、奴の唇が歪んだように見えた。

 ヤンデルゼが掌を向ける。何を——、そう思う間も無く、反応することもできずに儂は捕らえられていた。最初にアイソスを拘束したものと同じ首輪。気づけば儂の首にはめられていた。


 首輪に繋がる鎖が収縮してゆく。儂の手当てをしていた隊長がすがりつく。だが、そんな力をものともせずに、儂の体はヤンデルゼの目の前まで引き上げられてしまった。


「まだ生きていたとはなぁ、グリムワルド」

「きさ……ま……」

「ふひゅ、まあいい。そもそも私の術に捉えた時点で、貴様は死んだも同然だったのだ。こうして生きているのであれば、まだ使い途があるなぁ」


 腹に乾いた手が添えられた。


「あ…………がぁっ……」


 体が撥ねた。視界が歪む。呪印の力が再び増しているのがわかる。意識が消される——のではなく、ねじ曲げられるような感覚だ。儂が、儂でなくなってしまうかのような。


「グリムちゃん! グリムちゃん! グリム——き、あ、あーーーーーっっ!!」


「無駄だ無駄だ無駄だぁっ」


 アイソスの悲鳴と雷轟が皮肉なことに意識を繋ぎとめてくれた。ヤンデルゼの不快な笑みに怒りが増幅する。動かないはずの小さな手で、首輪を掴むヤンデルゼの腕を辛うじて捉えることができた。


「ふひっ。なんだ、まだ元気そうだなぁ。ならば」

「————っ!!」


 再び送り込まれた呪印の力に体が痙攣した。それもわずかな時間だけ。一転体は完全に弛緩してしまった。狩られた兎のように吊り下げられ、風に揺れている。

 いや、正確にはわからない。儂にはもう、自分の体がどうなっているかの感覚すらなく——。


「う、う、うあああああああーーーーーーっ!」


 竜の咆哮が遠くから聞こえた。


「お? おおっ、見たかグリムワルド。ブレスを使ったぞ。もしも、万が一、奇跡的に私の『雷獄』が破壊されたとしたら、貴様ごと焼きつくすというのになぁ」


「ちが……、儂の……ため……に……」


「ふひっ、貴様のため? そんなふうに見えるか? アレに知性などない。ただ魔王軍にふさわしい凶暴さがあるだけの獣だ。もう少し呪印の力で壊す予定だったが、魔王様がお目覚めになられた以上、仕方あるまい。あとはこの私が直接、魔王様にふさわしい配下となるよう、調教してやればいいだけだからなぁ」


 アレ、だと? 凶暴な獣、だと? そんなことがあるかっ!

 アイソスは無邪気なだけの幼女だ! 儂のことを心配し、気遣ってくれる優しい幼女だ! そして、この短い間の付き合いで解る。アイソスは儂に悦びを与えてくれる。ずっと共に在りたいと思わせてくれる素晴らしき幼女なのだっ!


 儂と寄り添い、儂とひとつになった彼女は、もはや儂自身。儂の半身と言っても過言ではない存在なのだ。それを……それを、コイツは!


「ふ、ざける、な……貴様、の……せいで……」


「なんの話だ? そもそも、貴様が魔王様のために力を使えばよかっただけだろう? そうすれば魔王様から捨てられることもなかったのだからなあ。……だが、いいぞぉ。お陰で、この私がこれまで以上に魔王様に貢献できるのだからなぁぁっ」


 魔王のため、だと……。違う。奴はそんなことを望んでいない。貴様の勝手な思い込みだろうがっ。


「……わし、は……ため……に……」


「んん〜〜? 何か言ったか? 今更悔い改めようが、もう手遅れだぞ、グリムワルド。貴様の体は貰い受ける。そして貴様は、その情けない姿で生きながらえるのだ。この私に感謝しながらなぁっ」


 く……そ……アイソス……。アイソスだけでも……助けたい……なんとしてでも……。たとえ——。


「たす、け……。あ、い……そす……」


「ふ、ふひっ、ふひいいぃぃっ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ、グリムワルド! 貴様が、この私に泣いて懇願するとはなぁっ! そして、哀れ! 無様! なんとも情けない姿だなぁ? なあ、グリムワルド。どんな気分だ? この私に屈した貴様は」


 干からびた顔が、寄ってくる。ひび割れてしまうほどに歪んだ顔は、呪印に侵されていなくとも吐き気を催す。それでも、今の儂にできることなど、これ以外に無いのだ。アイソスを助けるためならば、どんな屈辱でも耐えよう。


「た……のむ……ヤンデルゼ……」


「ぅふひゅぅぅぅぅーーーーーーっ!!」


 奴の歓喜の叫び声が響く。儂の体を掲げたまま、反り返って上空に奇声を拡散させる。


 ああ、好きなだけ浸るがいい。その後でアイソスを助けてくれるのであれば。儂はもう——なんの不満もない。


「いい! いいぞグリムワルドっ。貴様の怠惰な精神などどうでもよかったが、これも捨て難い。その体とともに、私に、魔王様に役立ててやるぞ! そしてええっ! このこのこの私は、ままま魔王様の寵愛を受け! そしてそしてええっ! ふひひひひひひ——————」


 不意に、高笑いが途切れた。


「——ひぅ!?」


 ヤンデルゼは、呆然とそれを見つめていた。動かすことのできない儂の瞳にも、それは映っていた。


 儂とヤンデルゼの間に現れたモノ。それはヤンデルゼを背後から貫いた、木の枝の先端だった。

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