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037 切断

 咆哮と共に魔力を纏わせたブレスを鏡に向かって放つ。無論、鏡を破壊するためではない。そうならないように魔力を調整した。

 目標はその先にある、空間を隔てた地に存在する千年樹。イズキャルルの本体なのだからな。


「あ……あ、ああ……グリム、ワルド……く……ん……」


 イズキャルルの姿が揺らいでいた。儂のブレスはどうやら本体に届いたようだ。思念体の維持どころではあるまい。


「ぼく…………それで、も……きみ……」


 未練がましい呟きが風に散る。仕舞いだ。鉤爪を振るい亡霊の如き存在を払った。


「ふん。苗木からやり直すんだな」




 これで終わったな。ここから先は、くくっ、儂とアイソスの——いや、まだだ。早まるな。まだ残っている。『滅界』の範囲から逃れた虫どもを殲滅せねばな。


 放たれたのは蜂の魔虫。ならば、コイツらが適任か。


 魔術で喚び出したのは、虫を狩るための猛禽だ。全身黒色の、湾曲した鋭い嘴を持つ鳥が数十羽、儂の手元で羽ばたいている。

 いや——違うな。やはり、こちらだ。

 改めて唱えた術が、猛禽たちの羽毛を瑠璃色に変える。ふふっ、幼女の周りに虹が舞ったぞ!


「行け! 我が街を蝕む害虫を駆除しろ!」


 これで片付くだろう。あとはこの鏡だ。


 イズキャルルの本体へと続く鏡。ただ一枚だけ浮かぶそれは、まるで奴の墓標だ。まあ、何の感慨もないがな。


 背中にいるアイソスを鏡に正対させた。しかし、その姿は映らない。イズキャルルが消滅したせいなのか、本来の鏡としての機能もないようだ。せっかく全身の姿見があるのだ。アイソス自身の目からこの姿を堪能できると思ったのだが。

 つまらん。最後まで気に障る奴だ。


 仕方ないな。ならば用済みだ。聖杖に魔力を纏わせ振り上げる。こんな鏡など——。


「——っ!?」


 咄嗟に高度を下げ、アイソスの身体を鏡の正面から外す。鏡の奥に魔力の揺らぎを感じた。


 イズキャルルのものとは異なる。だが、知った魔力だ。


「ぬ——? これ、は——」


 空中でバランスが崩れた。体の操作、魔力回路の接続に違和感がある。アイソスの魔力残量が尽きつつあるのか?


「くっ、くくくくくっ。くふひゃははははははっ!」


 鏡の中から、不快な笑い声が届いた。この声、この魔力はやはり。


「ヤンデル…………ゼ————え?」


 儂とアイソスの体を入れ替えた張本人、四天王のヤンデルゼ——と、思ったのだが。鏡の中から現れた人物は、何やら印象が異なっていた。


 干からびた皮膚、落ち窪んだ目元、歪んだ魔力は儂の知るヤンデルゼだ。だが、奴の頭部には、なかったはずの銀髪。淡い青を抱いたその色は、アイソスに少し似ていて腹立たしい。毟り取ってやりたくなる。

 そしてボロボロとなったローブ。こちらは、まあ、儂のブレスを受けたのだろう。


「そうだっ! 私はっ! 新生ヤンデルゼ! どうだ、見違えただろう——」

「黙れ」


 軽くブレスを吐いて遮ってやった。軽く、と言っても建物一つ二つくらいは吹き飛ばせる。黒焔は、すでにボロボロとなっていたヤンデルゼを襲い——不可視の障壁に弾かれた。


「き、貴様あぁっ! いきなり無礼だぞっ! 先日といい、先といい、駄竜の分際で無駄に抵抗するとはぁぁっ。——だが。ふっ、ふひっ、ふひひひひっ。こうして準備していれば、貴様のブレス如き問題ではないのだあぁぁっ。そしてえぇっ!」


 ヤンデルゼは片手を上空に挙げ、その場で身体を回転させた。掌から輝く粒子が降り注ぎ、奴の全身を染める。付着した光は、ボロ布と化していた奴のローブを王族の衣装といっても差し支えない装いへと変えた。


「ふっ、どうだ駄竜。ヤンデルゼ新モード。イケすかないイズキャルルの奴の意見も、極わずか取り入れてやったぞ。ん? どうだ? 崇めたくなったか? くくっ、くはっ、ふひゃっ、いいぞ駄竜。このヤンデルゼを称えるがいい!」


 ああ、そうか。コイツ、儂の言葉をそこまで気にしていたのか。確かに、今の姿ならば宮廷魔術師のようにも見えるかもしれん。仮面でもつけて黙ってさえいればだが。


「ふん。それなりに努力した、というわけか。だが、そのしわがれた肌と不吉な顔では寄りつく者などおるまい」


「くくっ、やはり駄竜。何もわかっていないな。私の全身は、魔王様に満たされるために存在するのだ。魔王様の寵愛を受けたとき、この身体は完成するのだぁぁっ! そのためにもぉぉっ! 貴様の体、もらい受けるっ!」


 ヤンデルゼが掌を向けてきた。咄嗟に障壁を張る術を唱える。が——術の詠唱が滞った。想定通りに体が反応しない。


「遅いぞ駄竜!」

「ぬぐっ」


 魔力を含んだ風か。


 魔風で傷を負ったわけではない。だが、竜の体がぐらついた。その背の上で膝をついていたアイソスの上半身が、儂の意思とは無関係に崩れる。


——呪印の活性化。


 この感覚はアイソスの父から受けたときと同じだ。腹に刻まれた呪印を中心に、異質な魔力が儂の体内に浸透してくる。儂の魔力を乱し、精神を泥沼に引き込むような、呪いの如き魔力が暴れていた。


「くくっ、どうした駄竜。動きがおかしいぞ。久しぶりに洞窟を出て、へばったか? だから駄竜だというのだ、貴様は」


 コイツ、接触せずに呪印に干渉できるのか。マズい。肉体よりも、精神よりも、真っ先に儂の魔力に影響が出ている。魔力がコントロールできない。このままではコネクトが維持できん。


 アイソスの掌を刺す儂の鱗の先端。それによって儂とアイソスの魔力回路は繋がっている。アイソスの魔力を流し込み続けることでその接続を維持し、さらには儂の体内の魔力に干渉させることで、儂本来の竜の体を支配しているのだ。


 その接続が切断されてしまえば、もはやコイツに対抗できない。俯き、竜の背に額をつけている幼女の瞳に一雫の血が映った。掌からの出血を抑えることもできなくなっている。


「終わりだな、グリムワルド。こんな手段でイズキャルルに対抗するとは思わなかったが、それももうできないだろう?」


 再び奴の魔力が儂の体を風のように吹き抜けた。呪印が反応し魔力の流れが乱される。砂時計のくびれのように、儂とアイソスの接点の狭窄(きょうさく)を感じる。懸命に魔力をコントロールしようとするが、その意思さえも乱される。痛むはずの掌の傷の感覚が無い。目の前の黒鱗が波打って見えた。


 ダメだ。これ以上は。


 せめて、アイソスを目覚めさせねば。


 揺らぐ魔力の流れの全てを、掌へと集める。途切れかけた接続の、その先。今はアイソスのものとなった竜の体内の魔素へと叩きつける。


(目を覚ませ、アイソス!)


 言葉にすることはできなかった。ただ念じた。魔力に想いを乗せて。


 同時に、コネクトが完全に切断された感覚があった。

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