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029 千年樹の想い

「ようやく——ああ、会えて嬉しいよ、グリムワルド君」


 柔らかな笑顔からやや高めの声が朗々と響きわたる。

 この男は、いや、そう言ってしまうのは正確ではないな。見た目は淡い金髪の痩身の男。身に(まと)う衣服も王族のように荘厳なものだ。しかし四天王イズキャルルは、当然ながら人間ではない。


 千年樹、と呼ばれる世界樹の一種だ。

 その幹は小さな村ほどもあり、広がる枝葉の範囲は、大国の都を容易に覆い尽くすほどに成長する。主要な枝であれば、儂が乗ったとて耐えられるだろう。そんな規格外な大きさに育つのが世界樹という種だ。

 イズキャルルの正体は、いわゆる樹の魔物だ。今儂らを見下ろす姿は仮初めのものにすぎない。


「君には、おお、いつも————そう、いつも袖にされていたからねぇ」


 無駄に芝居がかった物言いが鼻につく奴だ。時間の無駄でしかない。それゆえ、コイツが訪ねてきても会うことなく追い返していたのだ。得るものも無いしな。


「ねえ、グリムワルド君。ずっと会いたかったのだよ、僕は。この胸の高鳴り。ああ、僕はねぇ、君の姿を拝めることができただけでも、もう……もう、満たされるのだよ」


 ならばとっとと帰ればいいものを。四天王たるイズキャルルがこのタイミングで儂のもとに現れたということは、儂の現状を知っているはずだ。

 いや、同じ四天王のヤンデルゼは、儂を追放すると言ったのだ。イズキャルルとて同様の思いなのだろう。表面上はどう繕ったところで、コイツも儂本来の体を、アイソスを連れ去るつもりということ。


「グリムワルド君? ねえ、聞いているのかい、グリムワルド君。グリムワルド君……グリムワルドくうぅぅぅんんっ!」


 唖然としたままイズキャルルを見上げていたアイソスに対し、奴は端正な顔を歪めて迫った。喉元付近まで蔓草に拘束されているアイソスは、短い悲鳴とともに視線を逸らす。


「寄るなイズキャルル。アイソスが怖がるだろうが」


「あ……ああ。そう。そうだったね。そちらだったね」


 咳払いをひとつ。乱れてもいない襟首を整え直して、イズキャルルは儂の方へ向き直った。なんの仕草か、くるくると指先を回転させる。


「ああ————ああ——。久しぶりだね、グリムワルド君」


 そこからかっ。コイツもう一度繰り返す気かっ。


「イズキャルル、貴様どういうつもりだ。儂に対するこの仕打ち、貴様も儂に敵対したということなのだな」


 蔦草に拘束されたままだが、せめて視線にだけは力を込める。儂が主導権を握らねば。でないとコイツはいつまでも無駄な会話を続けるだろう。


「ああ、グリムワルド君。その姿も可愛いよ。愛おしいよ。——そう、ひっそりと咲く花のように。誰も目をかけないのかもしれない。雑多な野草に埋もれているのかもしれない。でも、僕にはわかるんだ。その花の美しさを、僕だけは見逃さない。その花が秘めた力強さを、僕は手放さない。それが——、ああ、今の君なのだよ」


 面倒臭い奴だ。長々と、身振り手振り交えて語りおって。まあ、儂への評価は素直に受け取っておこう。

 そうか、可愛いか。当然だな。


「つまり、貴様も儂の体を手に入れようというのだな。ヤンデルゼのように」


「ヤンデルゼっ! ああ、違う。違うのだよ。あんな汚らわしい人形と一緒にしないでくれたまえ。確かに僕は君の体が欲しい。だが、君の精神が宿る、この小さな淑女も欲しいのだよ。肉体も精神も、外見も内面も。全てが揃って君なのだから。それこそが僕の愛するグリムワルド君なのだから。さあっ」


 イズキャルルが手を差し出してきた。その掌に一輪の花が生み出される。自身の体から分岐したかのようなそれをつまみ上げ、儂の眼前へゆっくりと近づけてきた。紫色の花弁が映え、少しきつめの香りが鼻腔をくすぐる。


「君を解放しよう。共に行こう。ああ、そして——そしてそのまま。小さな花は、僕の庇護の下で輝くのだよ————僕だけのために」


 くどいはずの言葉が染み込んでくる。虫を誘う過度に濃密な香りのように、儂の感覚を乱してくる。

 これは、コイツの術なのか——?


「貴様は、儂を追放する気ではないのか」


「そう。そうさ、グリムワルド君。君はもう魔王軍の一員ではない。だからだよ。そう、君は解き放たれたのだよ。ああ、素晴らしいことだろう? これで君は、どこへでも自由にはばたいてゆくことができる。そして、穏やかな風は私に向かって吹いている。君は、その暖かな流れに身を任せればいいのだよ」


「儂はどこへも行かん。ここは儂のための街、儂の国だ。儂が自由だというのならば、尚更、儂はここを動かん! ましてや、貴様の元へなど行くわけがあるかっ!」


「本当に? 本当に君は来てくれないのかい?」


 眉を潜め、しかしすぐに微笑をたたえた柔和な表情に戻る。イズキャルルは手にした一輪の花を儂の髪にそっと挿した。


「なんのつもりだ」


「今の君にふさわしいと思って、だよ。足りないかい? それならば、ほら」


 イズキャルルは再び掌に花を生み出した。今度は十を超える数だ。それらは意思あるかのように動き始める。互いの茎を絡めて輪を形造る。見る間に花束は色とりどりの花を咲かせた冠へと変化していた。


「どうだい?」


 儂の目の前に鏡が現れた。上空に残る鏡と同じものだろう。それを小さくしたものがイズキャルルによって生成された。

 そこには花を戴冠した儂の姿。将来を約束された幼き王女の姿だ。


 ふん、悪くはないだろう。というか良い。最高……っ! 最高の幼女だっ!

 ふふっ、頬が緩む。極上の幼女がここにいるではないかっ。


 だが、これは囚われの姫だ。鏡には頬に吸いつく蔦もまた映る。こんなもので、この儂の心が動くとでも。


「グリムちゃん、すごく可愛いよ。このひと、グリムちゃんのお友達なの?」


 お、なんだ。案外余裕あるではないか、アイソス。嬉しいぞ。

 だが後半は断じて違うっ。


「アイソスっ! コイツは敵だ! ヤンデルゼと同じ、儂らの敵なのだ! この蔓もイズキャルルの力だ。引き千切れアイソス!」

「そうなの?」

「そうだ! コイツは儂らを連れ去る気なのだぞっ」


「連れ去る、とは人聞きが悪いよ、グリムワルド君。君は、自ら望んで来てくれるのだろう?」


 コイツ、妄想がすぎるぞ。この状況でなぜ儂が望むと思うのだ。


「んっ。んん〜〜〜〜っ」


 アイソスの唸りと共に、植物の繊維の破断する音が聞こえた。やはりこの程度、儂の力で逃れられぬはずがない。しかし、完全には千切れない。それどころか、断面から(したた)る粘液が、裂かれた蔓を繋ぎ、再生を始めている。


「ああ、ああ。アイソス君、といったかな。大人しくしていてくれないかい? もう少し、グリムワルド君と楽しみたいのだよ」


「構うなアイソス! 破壊しろっ!」

「う、うん——んあああああ〜〜〜〜〜〜っ!」


 黒焔の力が竜の口内に生じた。そうだ、これならば一気に消滅できるはず。


「駄目だよ」


 ブレスがその始端を覗かせた瞬間、イズキャルルが掌をアイソスに向けた。彼女の眼前に鏡が現れる。ブレスは全てその鏡の中へと吸い込まれていった。


「え……きゃああああああ〜〜〜〜っ!!」

「あ!? アイソスっ!」


 竜の身体を、黒色のブレスが襲っていた。それは自らが放ったはずのモノ。眼前に生み出された鏡に気を取られ、儂も意識の外だった。


 鏡は一枚ではなかった。眼前の鏡を頂点の一つとして、三角形を描くようにもう二枚。アイソスの身体の両側に存在していた。そして正面の鏡に吸収されたブレスが、両脇の鏡から放射されていたのだ。


 悲鳴と共にブレスが途絶えると、わずかに遅れてアイソスを襲うブレスも消えた。


「アイソスっ! おい、大丈夫か、アイソスぅぅっ!!」

「いた……い……。いたい、の……グリムちゃん……」


「さすがの威力だね。僕の蔓も、君自身の鱗も破壊してしまうなんて。ああ、素晴らしい力だよ。でも、君が苦しむのは僕の望みではないんだ」


 新たな蔓がアイソスの身体を拘束しはじめる。自らのブレスによって流された血が蔓を赤く染めてゆく。そのうちの一本が竜の口をこじ開け、ねじ込まれた。


「ん……い、やぁ…………」


 痛みにもがいていたアイソスが次第にその動きを弱める。こんな蔓など、先程のように引きちぎれるはずであるのに。だが、ついにはその瞼が落ちた。


「貴様、何をしたっ! アイソスを傷つけるなど、この儂が許さん!」


「ああ、すまないグリムワルド君。君の、あの力を感じて、つい。僕だって君を傷つけたくないんだ。だから、少し眠ってもらっただけなんだよ」


 イズキャルルの表情を見るに、コイツは偽りなく儂の身を案じている。眠らせただけ、というのも嘘ではないだろう。だからといって許せるものではないが。


「誰が貴様のもとになど行くか。今の儂に力がなくとも、貴様に従うなどと思うなよ」

「君を連れて行くことなんて容易いよ。あのように、君を眠らせてしまえばいいのだから」


 イズキャルルが指先を向けてきた。そこから小さな蔓が伸びる。蔓は儂の口元に達し、唇を割り、食いしばった歯をなぞった。


「ぐ、ううっ……」


「でも、それは違うと思うんだ。本当は、君にも喜んでもらって、一緒に行くことが一番いい。それで、今考えたのだけど。君はこの街を大切にしているんだよね。それならば、君の未練を断ち切ってあげるよ。そうしたら、憂いなく僕のところに来てくれるだろう?」


 イズキャルルが上空に目を向けた。呪文の呟きに応じて、鏡が現れる。大きさは儂の体と変わらないくらいだ。だがその数は、ひと目では把握できないほど。日の光を集めるかの如く、上空を埋め尽くしていた。


 コイツは何を……?


 疑問はすぐに解決した。耳障りな羽音を纏った虫が、鏡から現れたのだ。鮮やかな黄色い頭部と、膨らんだ腹部。その先端に針を携えた、成犬ほどもある巨大な蜂だ。巣穴から飛び立つように、次々と上空の鏡から姿を見せる。


「さあ、行くのだよ! 街の人間達を、狩り尽くしてくれたまえっ!」

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