027 これが信仰?
「はいはい。それくらいにしてくださいね〜」
あ? 誰だ、儂の甘美な刻を乱すのは。
アイソスから離れて声の方を向くと、手を打ち鳴らしながら見下ろすアルビオーネの姿があった。顔には満面の笑みを貼りつかせ、腕に衣服を携えている。
「こ〜んな大衆の前で、下着一枚の幼女が愛し合うなどっ。そう、私にはともかく、他の者には刺激が強すぎますよ、グリムちゃんっ」
「大衆の……?」
あ。視線が。
いつの間にか、周囲には町の人間どもが集まり、儂らに注目していた。好奇、というよりは呆然とした面持ちだ。
「おっ、お前たちひかえりょっ!」
咄嗟の命令に、人間どもは素早く膝をつき、首を垂れた。ああそうだ、それで良い。
「そのまま、しばし待て」
「ですねっ。では今のうちに。グリムちゃん両手を上げてくださいっ」
鋭くも囁き声でアルビオーネが命じてくる。その確たる言葉の響きに、反射的に頭上に腕を伸ばしていた。人を拐うかのような勢いで法衣が被せられる。
「では次は足をっ」
ズボンを広げ、待ち構えるアルビオーネ。そこへ片足を上げて——
「ふわっ!?」
「だ、大丈夫ですか、グリムちゃん」
くっ……。バランスを崩し尻餅をついてしまった。先程の甘い感覚がいまだ残り、力が入らん。
「くふっ、仕方ないですねぇ。いいですよぉ、そのままで」
「貸せっ!」
これが微笑みならばまだ許せるが。その歪んだ笑顔は許容できん。座ったままズボンを履き、立ち上がった。お尻についた土をアルビオーネが少々強くはたき落とす。
「ほれ」
もう心得た。両腕を今度は真横へ伸ばす。ローブを着せられると、右の掌を開く。そこには竜の意匠が施された杖が押しあてられる。
やはり良い。この聖幼女のための衣装は気持ちが高揚する。先のアイソスとの交わりとはまた異なる心地良さだ。惜しむらくは、自らの姿を鑑賞できないことだが。まあいい。ここには、儂の姿を見る者たちがいるではないか。
「グリムちゃん、ほんとにお着替えひとりでできないのね」
言うなアイソスっ! 気分が下がるわっ。
聖杖を強く握りしめながら、近くで平伏している男に近づく。儂が目をつけたコイツは、ただ伏せているだけではなかった。自らの前に鞘に収められた大剣を置いている。まるで儂への捧げ物のように。
その大剣こそが『破魔の大剣』だ。これを持っているということは、この男こそが街の兵士達の隊長なのだろう。ならば儂の状態を一番理解しているはずだ。
「迷惑をかけたな」
「そのようなことはございません。我々は常々、グリムワルド様より恩恵を賜っております。ご事情も伺っておりますゆえ」
「そうか。面をあげよ。もう楽にしてよいぞ」
「はっ」
打てば響く、鼓の如き返答だ。これは気持ちいい。部下というのは、本来こうあるべきではないのか?
そう思いながらアルビオーネに視線を向けたのだが。胸の前で腕を組み、何やらニヤついている彼女には、ああ、伝わらんだろうなぁ……。
「グリムワル……ド……さま……」
視線を戻すと、隊長が膝をついたまま儂を見上げていた。先の毅然とした調子は消え、声が震えている。見つめる瞳は揺らぎ——あ? 涙!?
「ああ……神々しい……」
は!?
「なんと可愛らしいお姿。我らが守護竜様は……おお、聖女でもあったのですね……」
「聖女……」「ああ、聖女様だ」「なんとご立派な姿」「素晴らしい」
隊長の言葉に喚起させられたように、称賛が広がる。皆が顔をあげて儂に陶酔している。
……あれ? 何か違うのでは?
崇められることは、確かに気分の良いものだ。儂の姿を目にし、美しい、可愛いと呟きを漏らす者達の姿は、心湧くものがある。
——もっと見よ。讃えよ。この幼女を!
それは儂の望むところではある。あるのだが、何か、違和感がある。心にひっかかるものがある気がして、素直に喜べない。
……だが、まあ。悪くはない。悪くはないのだ。
「この姿、どうだ? ん?」
「最高ですっっ!!」
即答するや否や『破魔の大剣』を弾き飛ばし、膝で地面を擦りながら隊長が接近してくる。抉れた地面を満たすのではないか、そう思わせる量の涙を流しつつ。
「ああっ、眩しいっ。眩しいです、グリムワルド様! ですがもっと、もっとお近くでその御姿をっ」
「お触りは駄目ですよ、隊長。いくら魅力的でもね。グリムちゃんが怯えています」
アルビオーネの尻尾が隊長を制した。触れんばかりの距離にいた隊長が慌てて下がる。儂の体は少しだけ震えていた。その勢いに思い起こされたのだ。アイソスの父に迫られた時のことを。
あの男とは違って、この隊長は身なりも顔立ちも整った若い男だ。三十年といったところか。この若さで隊長ならば、余程腕が立つのか指揮に長けているのか。いずれにせよ、使える人材なのだろう。
だからといって、儂の身体は警戒を緩めない。儂が思うよりも、あの時のことは負担になっているようだ。そしてこの隊長、先の毅然とした物言いはどこへいった?
「あ、ああっ。申し訳ございません! 申し訳ございません、グリムワルド様っ。私はっ、なんと無礼なことを。かくなる上は、我が命を以て——」
「ま、待て待てまてっ!」
『破魔の大剣』を抜き、刃を首元に押し当て始めた隊長を、慌てて止めた。アルビオーネが大剣を隊長の手から叩き落とす。
「そこまでする必要はない。いくら儂に魅せられようとな。それに、儂の与えた『破魔の大剣』をそのようなことに使うな」
「あ……そ、そうです。その通りでございますっ。この宝剣を私如きの血で穢すことなどありえません。この剣はグリムワルド様のため。グリムワルド様の怨敵を抹殺するための聖剣。我が命はそのためにありっ!」
あ、コイツはヤバイ。これは信仰でも崇拝でもない。
「言っておくが『破魔の大剣』はお前に貸し与えただけだ。いずれ返してもらう。そうだな、三年、といったところだな」
「もちろんでございますっ。ひと時でも与えていただけるなど、光栄の極み。そして、なんとも慈悲深きお言葉。この私に三年、生き延びよと。その間にグリムワルド様に敵対する者を殲滅し、かつ生きて御返納せよとの導きですねっ」
「ああ、まあ……そうだな。もう、それでいいか……」
疲れる。せっかくの上がった気持ちが、コイツのせいで突き落とされた。ああ、もう一度アイソスと戯れたい。
「ところで隊長。あなた、生まれたばかりの娘がいる、と言っていましたよね」
あ、そういえば。アルビオーネの言葉に、言っておかねばならぬことを思い出した。
「その通りです、アルビオーネ様」
一転落ち着き払い、隊長は丁寧な口調で答えた。儂に対してもそれでいいと思うのだが?
「ならば理解できるでしょう? なぜグリムワルド様があなたにその剣を貸し与えたのか。あなたが何を成さなければならないのかを」
「……はっ、そうだ。そうですアルビオーネ様。ああ、グリムワルド様。三年、ですね。その時を、お待ちください。必ずやご期待にそえるものに成長するでしょう。我が命をかけて、誓います」
剣を片手に隊長は立ち上がった。胸に手を当て、大剣を地面に立て、片膝をついて恭しく首を垂れる。
コイツ、何に思い至ったんだ。いや、まさか、儂の思った通りのことを? だがコイツが儂の幼女に対する想いを知っているはずが——。
ああ、いや。儂に向けられたアルビオーネの粘つく笑顔が物語っているな。
コイツらは儂のいないところで話していたのだったな。アルビオーネが何を吹き込んでいても不思議ではない。だとすると、儂の趣向は、街中に広まって——?
「竜は若い娘を好んで生贄に欲する。それは通説ですから。問題ないですよ」
アルビオーネが囁いた。
それは知っている。世の中ではそう思われているのだろう? だが、そこで言われている『若い娘』とは、儂の思うものと違うだろうが。アルビオーネはどちら基準で話したのだ?
『生贄を差し出します——そう言われたならば、どのような人間を望むか』
それは同胞の竜たちの間で、頻繁に湧き上がる話題だ。まあ『偶然大金が手に入ったら何に使うか』の類の、他愛もない話だが。
そもそも喰う為、というならば人間など論外だ。食べ応えのある他の生物の方がふさわしい。だが、これは人間縛りでの話だ。
ではどんな奴がいいか。それは即ち、個々の嗜好と目的に依る。ゆえに、この話が始まると徐々に喧々諤々、燃え上がってしまうのだ。皆、譲れぬ属性というものがあるからな。
そうして終わりなき議論が白熱し、混沌とした状況に陥ると、振り切るように次の話題に移る。
『望む属性を持つ人間がいるならば、それをどう伝えるか』
そう。こんな奴を捧げろ、と言うのは簡単だ。だが、自らの嗜好を晒すのは得策ではない。好みが転じ、付け込まれる隙となることもあろうからな。
酒好きの竜がそれを逆手にとられて殺された、など最たる例だ。ゆえに、慎重に、遠回しに自らの好みを伝える必要がある。
しかし、中には無頓着な奴らもいる。そして、そういう奴らが無神経に声高に要求するのだ。少数ながらも強く主張するために世に広まる。誤った通説を形造る。なんとも迷惑な話だ。
なにが『若い娘』だ。貴様らの基準を広めおって。討伐されてしまえ。
隊長に頭を下げさせたまま思案していると、大きな影に包み込まれた。
「お話、終わった?」
アイソスか。儂の返答を待たずに、アイソスが竜の手で全身をそっと包み込んできた。
「ああ、大丈夫だ。隊長、もういい。作業に戻れ」
「かしこまりました」
規律を重んじる兵士の面持ちに戻って、隊長が下がる。まあ、掌越しでよく見えなかったのだが。
「じゃあグリムちゃん、見て」
そう言うと、アイソスは儂を掌に乗せて立ち上がった。急激な高度の変動に、一瞬目の前が暗くなる。が、すぐに視界が戻った。
「おお——」
眼下には復旧しつつある街の姿があった。




