026 これは本能?
窓の外に見えたのは、庭に積み上げられた瓦礫の山だ。人の話し声も微かに聞こえてくる。そして、瓦礫や木材の破片を抱えた漆黒の竜の姿がそこにはあった。
「アイソスっ」
その姿を認めると、ベッドを飛び降りて窓にかじりついていた。
あ、まあ、実際は。
飛び降りたところでバランスを崩し、アルビオーネに支えられ、儂の身長よりも高い窓の外を望むことができるよう、抱え上げられたのだが。
「グリムちゃん、実はですね。あの夜にグリムちゃんが眠った後、街の守備隊長と教会の司祭の代表が我々のところにやってきたのですよ。守護竜たるグリムワルド様の様子を伺いにきたんですね。こそこそとしていたので、私とゼナロリスで引っ張り出したのですが」
「お前、まさか危害を加えなかっただろうな。これ以上儂の印象を悪くしては、今後に障るぞ」
「もちろんですよぉ。私たちの意思はグリムワルド様と共にありますから。グリムワルド様の不利益になることなど、するはずがありません」
本当か……? 本当にそんな考えでいるのか……?
「あ、その目、疑っていますねグリムちゃん。大丈夫です。ちゃんと上手く言いくるめただけですから」
「ほう、どう対処したというのだ?」
「アイソスちゃんの父親——と呼ぶのも腹立たしいですが。あの男の罪、ということにしました。グリムワルド様が街に現れたのは、聖女候補たるアイソスちゃんを救うため。彼女を呪いで害していたあの男に罰を与えるためだと。その過程で街を破壊したことに対しては、心を痛めている、と話しておきましたよ」
まあ、悪くはない、か。事実、間違ってはいない内容だ。
「いいだろう。それで納得したのならば、影響は少なそうだ。街が復興すれば問題ないだろう」
「そうですね。復興に関しても、グリムワルド様のお宝を供出すると話したら、喜んでいましたし。あ、お宝と言っても『幼女……全集』でしたっけ? それではないですからご安心を」
「『幼女大全』だっ! そこは間違うな! そして触れるなっ!」
く、嫌なことを思い出させおって。ゼナロリスの奴には、厳重に口止めせねばなるまい。
「なるほど、『幼女大全』でしたか。わかりましたっ。『幼女大全』。しっかりと心に刻みつけましたからっ!」
なぜコイツはこんなに嬉しそうなのだ? 儂を抱く腕にこんなに力を込めおるし。
「ああそれとですね。洞窟にあった『破魔の大剣』も隊長に供与しておきました。きっと家宝として受け継がれるでしょうね」
「……は? なぜそこまでする必要がある?」
あの大剣は、遙か昔、儂に向けられた武器だ。魔力を宿す者に対し、その力を断ち切ることのできる剣。
生物であれば、人間だろう植物だろうと多少なりとも魔力を宿しているものだ。しかし、魔力無しには存在し得ない魔獣と分類される存在にとっては、とりわけ驚異となる。『勇者』と呼ばれる者や、魔獣を狩ることを生業にしている奴らであれば、垂涎の武器だろう。
まあ、儂には露ほども効かなかったがな。
だが、そんな代物を気軽に与えただと。
「話し込んでいて知ったのですが、その隊長を務めている人間、生まれたばかりの子供がいるそうで。それも女の子。ですから……わかりますよね?」
何が『わかりますよね』だ。いや、まあ、わかるのだが……。三年、といったところか。
「そんなわけで。今回の破壊については問題ありません。司祭はグリムちゃんの呪印も確認済みですし、率先して働くアイソスちゃんには皆好意的ですよ」
「そうか……。って、待て。儂とアイソスのことはどう伝えたのだ? 皆が受け入れているということは、そのまま話したのか?」
「いえ。グリムワルド様があんなヤンデルゼ如きにやられた、などと言うわけにはいきませんから。呪いからアイソスちゃんを守るために、グリムワルド様がアイソスちゃんの体を支えている、ということにしました。それ以上は話すことではない、と念を押しましたので、詮索されることもないと思いますよ」
それを聞いて少し安心できたな。
そう、儂はこのアイソスの体を使っているだけなのだ。そうである以上、この幼女の体が年齢相当の反応をしても何ら問題はない。問題はないのだぞ、アルビオーネよ。
「では、儂の体は逆に、アイソスという幼女が使っている、と人間どもは知っているわけだ。ならば、本来の儂にそぐわぬ言動があったとしても、気にすることではないな。幼女だからな。そう、幼女だからな」
「……えっ?」
え? とは何だ? なぜ儂から顔を背ける? コイツまさか。
「好評ですっ。いいのではないかと思いますよ、グリムちゃん。畏れだけではなく、親しみやすさも必要なのです。それに、グリムワルド様自らが手を貸しているのです。感謝もひとしおでしょう」
「そういうことではないっ。離せ、アリュ。儂はアイソスのところへ行くっ。行きたいのだっ!」
足をばたつかせると、アルビオーネの腕の力が抜けた。窓から乗り出すようにして外を眺めていた体勢から、そのまま窓枠を乗り越える。着地に失敗して転んだことなど問題ではない。衝動のままに竜幼女に向かって駆け出していた。
「アイソスっ!」
「あっ! グリムちゃん!」
儂に気づいたアイソスが、瓦礫を放り投げて歩み寄ってきた。頭を下ろして、その鼻先を儂に押しつけてくる。
「グリムちゃん! グリムちゃんっ! 起きたんだね。おはよう、グリムちゃん!」
「ああ、おはよう、アイソス」
その顔を抱きしめながら応えた。儂の方からも頬をすり寄せる。そんな儂の喉元を、竜の舌先がそっと舐めあげてきた。
「んっ、あ、アイソス……?」
こそばゆい。むず痒い。だが、狙ってここを舐めるとは。悦びに身体が震える。
アイソスは知っているのか? 竜の喉元を舐める行為の意味を。今は人の体だが、心に浸透してくるのは同じ感情だ。
しばらくの間、アイソスがするに身を任せた。抱きついていた儂の両腕から徐々に力が抜けて、竜の頭にもたれかかるようになっていた。
「んんっ……」
優しい舌遣いだ。アルビオーネやゼナロリスなど比較するのもおこがましい。このままでいたい。儂への想いの込められたこの感触に浸っていたい。
アイソスが静かに頭を動かす。舌を離し、儂を置き去りにする。ほんのわずかな空間を隔てることが惜しい。同時に、支えを失った儂の膝が折れてしまう。
「グリムちゃん?」
「……あ、ふぁ。大丈夫、だ」
俯いたまま発した儂の言葉は、意図せずに吐息混じりになっていた。
「あのね、わたしにも、やってほしいの」
覆いかぶさるようにアイソスは儂の頭上に喉元を晒してきた。まるで洞窟の中にでもいるかのようだ。硬質の鱗はそんな無機質さと——それ以上に——熱を伝えてくる。
両腕を伸ばし、その暖かさを受け止める。意識することなく体が動く。本来のものではない体を、儂の本能が支配する。
くるくると軽い音が聞こえてくる。その心地良い響きが、這わせた舌に伝わる。アイソスが喜んでくれているのが解る。
ああ、こんなにも甘く、穏やかに喉を鳴らせるのだな——。




