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024 幼女竜、安堵

「グリムちゃんは悪くないよ。いい子だからね」


 竜の掌に包まれていた。硬い鱗に込められた力は柔らかい。魔術を使えぬアイソスだが、かつて儂がしたように丁寧に幼女の体を扱っていた。


 ああ、こういうのも悪くないな。乱れた心が整っていく。それが慣れ親しんだ儂の手だからか、それを扱うのがアイソスだからかはわからんが。


 いいこいいこ、と囁きながらアイソスはゆっくりと手を揺らす。まるで揺り籠でまどろむ赤子をあやすかのように。そのリズムは儂を眠りに誘う。ほとんど陽が沈んでいることもあって、幼女の身体は一層睡眠を求めてくるのだ。


「アイソス……」


 耳に届かぬように呟き、その掌に触れる。このままでいい。この安らぎがあれば十分ではないか。そう思いながら重いまぶたを閉ざす。


「グリムちゃんは、いい子よ。悪いのはね、わたしなの」


 そんな呟きが聞こえた。その深い響きに意識が急速に浮上する。


「アイソス、どうした?」

「あ……グリムちゃん、ごめんね。起こしちゃったね」

「いや、いい。それよりも、なぜ、そのようなことを言うのだ」


 儂の問いかけに竜の手がゆっくりと開かれた。すでに日は沈み、その表情を見ることはできない。しかし、彼女の声がそれを物語っていた。


「わたし、悪い子なの。パパがね、行っちゃったの。わたし、来ちゃダメって。わたしが竜になっちゃったからなの。だからパパは怒っちゃたの」


 ああ、そうだったな。当然だろう。アイソスはここであの男と会ったはずだ。仮にその場にアルビオーネがいなかったとしても、あの男が受け入れるはずがない。儂を、守護竜グリムワルドを憎んでいたあの男が。


「アイソス、それは違う。あの男は、お前の父親はな——」


 いや。説明などできるか。あんな男とはいえ、アイソスは父親として慕っていたのだ。真実を伝えたところで理解も納得もできまい。まして、あの男とアイソスが会うことなど二度とないのだから。


「ねえ、グリムちゃん。わたしの病気、治るんだよね。グリムちゃんが治してくれるんだよね。わたし治ったら、またパパと仲良くできるかな」


「もちろん、儂が治す。だから心配するな」

「ほんと? ほんとに? わたし大丈夫かな」

「ああ、儂に任せろ。お前の姿が元に戻ればきっとまた——」


「それはないですよ」


 闇が動き、儂の言葉を遮った。焚き火のような魔術の光が、半人半蛇のアルビオーネの姿を照らしていた。


「蛇のお姉ちゃん? わたし、ダメなの……?」

「アリュ、貴様っ! 何を言うっ!」


「ですから、アイソスちゃんが父親と会うことなど、もうないのですよ」


 淡い光がアルビオーネの顔に陰を落とす。冷徹な蛇を思わせる、変化のない表情で儂らを見下ろしていた。


「アイソスちゃん。アイソスちゃんは、あの父親のことが好き?」

「うん! 好き。だってパパ優しいもん。わたしと一緒にいてくれるもん。だから好きなのっ!」


「そう。でも、パパの方はどうかしらね?」

「パパだってそうなの! わたしのこと好きだもん! パパ、好きなの!」


「おい、アリュっ!」


 コイツはわからんのか。それに触れることが彼女を傷つけるだけだということを。怒りに任せて起き上がろうとしたが、アルビオーネに片手で制されてしまった。


「そうでしょうね。きっとパパもアイソスちゃんのことを好きだったと思いますよ」


 儂に目もくれず言葉を継いだアルビオーネだったが、その口調が少しだけ穏やかになっていた。口元が緩んで見えた。


「でもね、アイソスちゃん。好きだからこそ、あなたのパパは行ってしまったのよ」

「……え? どうしてなの、お姉ちゃん」


「それはね。アイソスちゃんが、もうすぐ一人前になるからよ。独りでも大丈夫だって思ったから、あなたのパパはアイソスちゃんを遠ざけたの」


「わたし、一人前……? でも、でも、わたし、パパと一緒にいたいの! だってパパのこと好きだもん!」


「それは、きっとパパもおんなじ。辛いと思っているわ。ねえ、アイソスちゃん。生き物はみんなそうなの。大好きな自分の子供でもね、いつかは追い出すの。そうしないと、子供は立派な大人になれないから。悲しい悲しい、って思いながらも追い出すの」


「追い出す、の……?」


 コイツ、なんて話をしているのだ。言っていることは間違いではない。しかし、アイソスには早すぎることだ。受け入れることなどできまい。


「私だって、昔、親には追い出されたのよ。とても悲しかった。寂しかった。でも、こうしてちゃんと成長できたの。だから、いつか私に子供ができたら、きっと同じように追い出す。そうやってみんな生きていくのよ」


「わたし……でも……」


「ええ、不安よね。でも、アイソスちゃんには私たちがいるのよ。パパとは離れても、独りぼっちじゃあないのよ。それにね」


 アルビオーネが儂の頭に手を置いてきた。そのまま儂の青く輝く長髪を撫で下ろす。


「グリムちゃんなんて、まだ独り立ちできないのよ。食べ方は汚いし、お着替えだって一人じゃあできないし、下着は汚しちゃうし、それはもう手のかかる幼女で——」


「き、貴様っ!」


(いいから、合わせてくださいっ)


 アルビオーネが鋭く囁いてきた。


 わかっている。アイソスを納得させるため、とわかってはいるが。儂の納得は考慮されないのだな……。


「そ、そうだな……儂は、まだ。ああ……一人で、などできなくて……」


 く……何を言わせるのだ。儂はっ、数千の時を生きる竜なのだぞっ。


「グリムちゃん、そうなの?」


 そんなにまじまじと覗き込まないでくれ、アイソス。もはや頷くことしかできん。


「わたし、できるよ。お着替えもできるし、えっと、もう汚したりとかしないよ。もう怒られたりしないもん」


「そう、そうよね、アイソスちゃん。立派よ。やっぱりアイソスちゃんは、もう一人前なの。——あっ、そうよっ!」


 ぱん、と派手に手を打ち合わせると、アルビオーネは再び儂の頭に手を置いて、くしゃくしゃと髪をかき混ぜてきた。


「ねえ、アイソスちゃん。グリムちゃんのお姉さんになってくれないかな。グリムちゃんはね、アイソスちゃんと違って、色々と手伝ってあげないといけないから。アイソスちゃんが面倒見てくれると助かるのだけれど」


「わたしが、グリムちゃんのお姉ちゃん? うんっ! わたし、一人前なの。だからお姉ちゃんになってあげるね、グリムちゃん!」


 その言葉は、それまでのふさぎ込んだ気持ちを吹き飛ばす勢いがあった。一転、喜びに弾んだ声だった。寄せて来た鼻先を前に、儂の心も好転する。


「ああ、よろしく頼むぞ、アイソス」

「うんっ! よろしくね、グリムちゃん!」


 そっと、いたわるように、儂の口に竜のものが重ねられた。儂の体に、心に、温かいものが流れ込んでくる。それが儂の不安を塗りつぶしてゆく。

 全てを委ねてもいい。そう思える存在を、小さな全身で抱きしめた。


「——あ、でも。下着の交換は私の担当ですからねっ!」


「うんっ!」


 いや。そこは拒否してくれ、アイソス。

お読みいただきありがとうございます。

お話の中の時間にすると半日程度ですが、

気持ち的にはようやく再会です。

これで一つのエピソード終了になります。


次回は繋ぎのような話です。



【次 回 予 告】

アイソスの教会で休養するグリムちゃん。

破壊してしまった街も復興に向かい、

アイソスとも街の人々とも良好な関係のまま。

でも、そんな中で迫り来るのは——



次回、


決意を新たに


全四話です。

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