023 幼女竜、感涙
破壊音が断続的に響く。近づくにつれ、明確に揺れを感じる。
やがて、教会の敷地の外壁や隣接する建物が崩れる音よりも大きな、弾むような笑い声が聞こえてきた。
「あはっ。あははははっ。やだっ、きゃははっ、やめてよぉっ」
「さすがっ。さすがです、グリムワルド様!」
「やだぁ、くすぐったいよ、ワンちゃんっ」
「はっ、はふぁぁっ。もっと、もっとだっ! もっと清めるぞっ!」
目に飛び込んできたのは、暴れ回る竜と狼。
竜の足にしがみつき、舌を這わせるゼナロリスと、喜んでいるのか嫌がっているのかわからない様子で、体をくねらせているアイソスだ。
「お、お前たち、なにを……」
二人の姿が見えたところで、アルビオーネの蛇身から降りた。目を背けたくなる惨劇に向かって、ふらふらとした足取りでしか歩を進められない。
「忠実な部下、ねぇ」
横を進むアルビオーネが流し目を送ってくる。コイツまだそんなことを言いおって。
振り回される竜の尻尾が周囲の建物に新たな破壊をもたらしていた。教会の敷地は竜が休むに十分な広さがあるのだが、今やその外壁は粉々に砕かれ、敷地外にまで被害が及んでいる。じゃれつく子犬のように転がるたびに、竜の体は地響きを起こす。
「ぐ、お前がちゃんと説明していたら——」
「していたら? 防げたと思いますか、グリムちゃん?」
「…………」
ゼナロリスが我慢できるか? いやむしろ、ここぞとばかりに襲いかかるのでは? 残念ながら、アルビオーネの問いかけに否定はできん。
「お、おおっ、アルビオーネ!」
立ち尽くす儂らにようやく気づいたゼナロリスが、アイソスの体を——足を解放した。
「それに幼女殿まで! さすが幼女殿、自らグリムワルド様の所へたどり着くとはっ」
息を弾ませ、ちぎれんばかりに尻尾を振りながら、真紅の狼は駆け寄ってきた。
「随分お楽しみのようでしたね、ゼナロリス。大人しく待てと言っておいたはずですけれど?」
「はっ、これが、じっとなどしていられようかっ。聞け、アルビオーネ。グリムワルド様はな、ついに究極に到達したんだ!」
究極? なにを言い出す気だ? 何だか知らぬが、その究極とやらを唾液塗れにして喜んでいるのか、コイツは。
「何を言っているのかしら、ゼナロリス」
アルビオーネが向ける視線は、不審者に向けるそれだ。
「グリムワルド様はな、その『幼女大全』の後書きの一節で、こう述べていた。『——そして、今一つの極は【儂自身が幼女になることだ】』と」
…………あ。
からん、と聖杖が石畳に落ちる音が聞こえた。全身が氷漬けにされたかのように感覚が薄れ、なんだか力が抜けていく。
「幼女……大全……?」
儂を見るな、アルビオーネっ!
「あら、あら。そんなものが。是非とも拝見したいものですねぇ」
「素晴らしい聖典だっ。そして見ただろう、今のグリムワルド様の精神性を。それはまさに『第三章 その性質について』を体現されたもので——」
「おまえりゃだまれぇぇーーっ! アリュっ! コイツにせちゅめーしりょっ! いーかっ! きっちりとりかいさせろーーーーっ!」
これ以上引っ掻き回すなっ。収拾がつかんっ。そして儂の趣味を晒すなっ!
「はぁ。それではその件は後ほど、ということで。ゼナロリス、行きますよ」
「な、何をする、アルビオーネっ」
「いいから。向こうでじっくりと聞かせなさい」
興奮するゼナロリスの体に蛇身を巻きつかせ、アルビオーネは離れていった。きっちりと、誤解なきよう理解させろよ。今後に障る。
そして、儂は今それどころではないのだ。
「グリムちゃん?」
怪訝そうな表情で、アイソスが儂を覗き込んでいた。
「アイソス……」
開口一番、謝罪をするつもりだった。儂が乱暴に彼女を遠ざけてしまったことに対して。だが、その言葉は出てこなかった。出せなかった。
なぜだ? 儂自身に非があることは認めているのだ。なのに、儂を見つめるアイソスを前にすると喉元が固まってしまう。呑み込んでしまう。
儂は——恐れているのか? まさか? 何に?
「グリムちゃん、きてくれたの?」
それは儂の声。荒い竜の声。であるはずなのに、とても柔らかく響いて聞こえた。
「……あ、ああ……」
「ありがとうっ! わたし、嬉しい。グリムちゃんが遊びにきてくれて嬉しいの」
ああ。笑顔だ。儂の正体不明の不安など、溶かし尽くしてしまう気持ちが伝わってくる。
しかし、すぐに彼女の言葉は沈む。
「わたしね、グリムちゃんにね。ごめんなさい。グリムちゃんを置いていっちゃったの。あのね、わたし、暗くなる前にお家に帰らないといけなかったの」
「そうか。それならば仕方ないことだ。気になどしていない」
違う。儂は何を言っておるのだ。なぜアイソスのほうから謝る必要がある?
こわばった両腕を一杯に伸ばして、竜の鼻先を掴む。
「なぁに、グリムちゃん?」
「儂だ。儂が……悪かったのだ」
手が震える。ああ、なんと軟弱な。こんなこと如きで臆するなど。儂はいつからこうなってしまった? 魔王軍最強と謳われた儂はどこへ消えた?
いや。そんなものは無かったのかもしれん。幼女を前に、全ては曝け出される。それでも今は、逃げることなく立ち向かい、この想いを伝えねばならん。
「——すまなかった、アイソス。儂はお前に酷い言葉をぶつけてしまった。そんなつもりはなかったのだ。だから、悪いのは儂だ。お前が謝ることなど、なにひとつない。だから——許してほしい、アイソス」
やっとそう口にすると、それ以上アイソスの目を見ることはできなかった。これは……やはり、恐怖だ。
山中でのことだけではない。アイソスの父の言葉もよぎっていたのだ。
あの男に対しては否定したが、本当は違う。アイソスがこんな目に合っているのは、間違いなく儂のせいだ。
ああ、悔しい。儂は愚かだ。こんなにも幼女を悲しませるなど。
「グリムちゃん。グリムちゃんは、悪い子じゃないよ。わたしのお家に来てくれたもん。ね、だから泣かないで」
言葉が胸に染みる。心を揺らす。そこに溜まったものを押し流すかのように。だから、これは仕方ないこと——。
「まあまあ。随分と緩くなってしまいましたね、グリムちゃん」
いつからそうしていたのか、背後からアルビオーネが儂らを見つめていた。
「アリュ……」
「あ、蛇のおねーちゃん。グリムちゃんがね、グリムちゃんがね、悲しいの。どうしよう」
「大丈夫よ、アイソスちゃん。アイソスちゃんが、なでなでしてあげたら、すぐにグリムちゃんは笑顔になるから」
「うん。わかった」
鉤爪のついた指で、アイソスは儂の頭を撫でてきた。
やめろ……もっと止まらなくなるではないか……。




