022 幼女竜、激おこ
街は静まり返っていた。
先程聞こえていた呼びかけで、住人はあらかた避難してしまったのだろう。あるいは建物の中に籠っている者もいるようだ。時折視線を感じる。
そんな中を、巨大な白蛇の姿でアルビオーネは堂々と進んでいる。儂はその蛇身の上だ。
鼠たちは彼女が解散させた。街の中であれば、どこだろうとアルビオーネの呼びかけが聞こえるらしい。それに即応し、鼠たちはやって来ることができるとのことだ。
「しかし、想像よりも街に被害がないようで幸いだったな」
半壊、くらいは覚悟していたのだが。まあ、そうでなくとも復興の手助けはせねばなるまい。それがまた、儂の恩恵を再認識させることになるだろうからな。
「そうですね。私、がんばりましたから」
「ん? お前、何かやったのか? 儂を置き去りにしおって、一体何をしていたと——いや、そうだっ! お前っ! 儂は大変だったのだぞっ! 山中で魔獣に襲われて、あのときゼナの奴が現れなかったら儂はっ!」
「ゼナ? ゼナロリスですか? ああ、それでですか。ゼナロリスはグリムちゃんを連れてここへ来た、ということでしたか」
「そうだ。お前、ゼナに会ったのか? ならば奴は今、アイソスのところへいるのか?」
「ええ、そうですよ」
肯定しながらアルビオーネはため息をついた。歩みを止めて、儂の方へ振り返る。
「グリムちゃん、ゼナロリスに何も話していないのですね。それでよくゼナロリスを従わせることができましたね」
「あ? 時間がなかったからな。それに奴が儂に従うのは当然だろう」
「その姿で、ですかぁ?」
アルビオーネは絡みつくような視線を向けてきた。まあ、アレは非常手段だ。話すことではない。
「お前と違って、儂に忠実な奴だからな。何かを察したのだろう。獣のカン、というやつかもな」
「え、その言い方はひどいです、グリムちゃん。それじゃあ私が不忠の部下みたいじゃないですかぁ」
あ? コイツ、自分が忠実だとでも思っているのか。
「……お前、先程も儂を見捨てようとしただろ。あの男に襲われている儂を、すぐに助けなかったではないか」
「あ! あれはっ! 違います————いえ、ごめんなさいっ! あれは、私が悪いのです。私の不徳の致すところなのですっ!」
勢い込んで頭を下げ、儂のそばに顔を寄せてきた。当然の謝罪なのだが、コイツがするとは珍しい。ゼナロリスを引き合いに出されて、少しは己が身を省みたか。
「まあ、わかっておるのであればいい。だが、何があった? まるで儂を助けることに躊躇していたかのような振る舞い。何故だ」
「そ、それは……。それは、ですね……。想像、してしまいまして……」
「想像?」
俯いたまましおらしさを見せるアルビオーネの姿は、なんとも不思議な光景に思える。コイツにこんな態度ができようとは驚きだ。
「ええ。この、グリムちゃんの唇を奪っている男が、もし……、もし、うら若き少女だとしたら、と」
「——————あ?」
「そう。そう想像したら、とても止めるわけには。——でもですがっ!!」
一転勢いよく鼻先を儂の眼前に突き出し、アルビオーネは唾液を飛ばす。
「私には無理だったのです! 未熟だったのです! それ以上の想像を膨らませることができなかったのです! ですからっ! どうか、お許しくださいっ!」
………………なに? え? なんだこれは?
理解が追いつかん。コイツの言葉が全く入ってこない。いや、儂の心は理解したくないのかもしれん。
「何故……そんな、想像……?」
そう口にするのが精一杯だった。
「それはっ! 仕方ないじゃないですかっ!」
突然、儂の頬が突かれた。尻尾の先で。
「こぉぉんな柔らか幼女の中身が、数千年モノの熟竜なんですよっ! だったらっ! あんなむさ苦しい中年男の中身が、清らか乙女だったとしてもおかしくないでしょうっ! そう思ったら、そう思ったらぁぁっ!」
「だまりぇぇぇーーーーっっ!!」
儂はアルビオーネの頭に向けて、杖を振り抜いていた。
「きちゃまの頭はどうなっておるのだあぁぁっ! 見せてみろっ! ヒトの中身を言う前に、きちゃまの頭の中をみしぇてみろおぉぉっ!」
「私の頭の中はグリムちゃんへの愛でいっぱいですっ!」
「だから見せてみろっ! そこへ直れっ! かち割って、確認してくれるわああっ!」
「ああ、ダメですっ! その杖は、そんなことに使うモノではないのですっ。悪しき魔物を滅する聖女の杖なのですよっ!」
「ぴったりではないかぁぁっ!」
「——はっ。そう、そうですねっ。わかりましたっ。では、存分にっ。存分に堪能ください、グリムちゃんっ!」
ぐ、く……。これだけ打ちのめしてやったというのに、一切効いていない。儂の全力も、コイツには撫でられた程度なのだろう。逆に杖を持つ儂の握力の方が怪しくなっている。
「……もういい。早く行け」
「えっ? 私はまだ大丈夫ですよ」
「いーから行けっ! 儂は、早くアイソスに会いたいのだっ!」
「わかりましたっ。そうですよね。早く行ってあげないと。またアイソスちゃんが暴れてしまいますっ」
また……? なにやら、さらっと気になることを言わなかったか?
「おい、アリュ。いや、止まるな。そのまま答えろ。アイソスはやはり怒っていたのか。もしや儂のことを何か……」
「いえ、グリムちゃんに対してではないですよ。それに私が抑えましたから。何のために私が先行して、アイソスちゃんを待っていたと思っているんですか」
あれを先行と言い張るか、コイツは。
「そうか、それはご苦労だったな。それで街の被害も少なかった、ということか」
「ええ。大変だったですよ。暴れるアイソスちゃんを抑えるのは。この白蛇の姿で巻きついて、くんずほぐれつくんずほぐれつ。グリムワルド様の体の敏感なところをペロペロしてあげたら、大人しくなってくれましたっ!」
あ? なにをしてくれたんだ、コイツ。思わず喉元に手をやってしまったではないか。仕方のないことだったのかもしれんが……想像するに全身が泡立つ。
「で、そうこうしているうちにグリムちゃんが見つかって。すでにゼナロリスがいたので、アイソスちゃんを任せて、私はグリムちゃんを助けに向かった、というわけです」
そういうことか。結果的にいい方向にいったのかもしれんな。なにやら儂だけがひどい目に会っているような気もするが……。
いや、待てよ。
「おい、アリュ。ということは、今アイソスはゼナと二人でいるのか?」
「ええ、そうですよグリムちゃん。先程話しましたよね。それがなにか?」
「お前はゼナにちゃんと説明したのか? 儂とアイソスの体が入れ替わっている、ということを」
アルビオーネは無言のまま振り返った。舌先だけを盛んに出し入れしている。人の気配のない建物に無駄に視線を送っている。
つまりは、話していない、ということなのだな。
「大丈夫ですよ。ゼナロリスはグリムワルド様に忠実な部下ですから」
コイツ、意趣返しかっ。ゼナロリスの場合、それゆえに余計厄介な気がするのだ。
「少なくとも、アイソスちゃんを怒らせるようなことはないと思いますけど。アレも見た目はただの狼ですし。きっと楽しく——」
アルビオーネの言葉を遮って、不意に、どんっ、という重い音が響いた。周囲の家が揺れ、中からかすかに悲鳴が漏れてくる。
ドガシャァァァァァッ!
二度目の轟音。その方向に目を向けると、砂埃と思しきもので夕暮れの空が染まっていた。
「あ、アリュ、あの方角は——」
「ああ。ええと。そうですね。ええ、行きましょうか、グリムちゃん」
妙に落ち着きはらった調子で、アルビオーネは宣言した。




