020 幼女竜、回復
結局、あの男は肝心なことを何も知らなかった。
儂を祀る教会が勢力を伸ばし、元々の奴の教会は没落した。目に見える利益を重視した人間たちに裏切られた形だ。そうして恨みを募らせていた男に、ヤンデルゼは接触した。
すぐにヤンデルゼは、幼いアイソスを連れてきた。アイソスにはそのとき既に呪印があったそうだ。ヤンデルゼが自慢げに『自らが施した』と語ったようであるから、それは間違いないのだろう。だが、なぜアイソスが目をつけられたのか、について男は知らなかった。
男はただ、その呪印の活性化について教えられただけだった。そうして少しずつアイソスの心を闇で満たす。それが儂、グリムワルドを倒す布石になる。ヤンデルゼから、そう唆され、男はのったのだ。
そこに親子の情はなかった。少なくとも男の方には。
儂が眠ってしまっている間にアルビオーネが訊き出した話は、怒りを再起させる以上のものではなかった。だが、今は先ほどよりは冷静でいることができた。
「すまなかったな、アリュ。少々取り乱してしまったようだ」
体を起こしてみた。あれほど力が入らなかったのだが、今は問題なく動く。それも魔力を使うことなく、だ。
「いいえ、大丈夫ですよ、あれくらい。幼女ならば想定内です」
「そうか。で、一つ、いや二つ聞きたいのだが」
白蛇の姿のアルビオーネを見上げる。
「あの男はどうした? もう始末したのか? それにこの儂の格好。なぜ儂は下着だけで地面に突っ伏して寝ていた?」
「ああ、それはですねぇ。——グリムちゃん、お体の具合はどうですか? 痛むところとか残っていますか?」
「いや、大丈夫だ。魔力も回復しているようだな」
両手を握り、開く。力が入る。体内にも充実した魔素を感じる。いずれもアイソスにふさわしい程度ではあるが。問題はなさそうだ。
既に日が傾いていた。しばらくの間、儂は眠っていたのだろう。多少なりとも魔力も回復したということか。
「そうですか。それはよかったです。すぐそこの教会から傷を癒すポーションをちょっと拝借しまして。そのお体、ボロボロだったのですよ」
「そうか。それで傷も残っていないのか。助かったぞアリュ。儂はこのアイソスの大切な体を傷つけてしまったからな」
「そうですね。ええ。それはもう、酷かったんですよぉ。それでですね」
アルビオーネは頭を下げて迫ってきた。儂の腕ほどもある舌をのぞかせ、震わせる。
「グリムちゃんは眠っていて、というよりはほとんど気絶しているみたいな状態でしたから。こう、舌に含ませて、直接飲み込ませたんですっ」
直接? 儂の中に?
「それに、あの男に汚されたお口も清めなければなりませんでしたし。それはもう、聖水を使って念入りに、はあっ、念入りに、ですねえっ!」
コイツ……。口元を押さえながら、思わず後ずさってしまった。
「で、では、魔力の方もポーションで?」
「あ、そちらは違いますよ。私自身の魔力をグリムちゃんの身体に注いだのです。知っていましたっけ? 私、そういうのできるんですよぉ」
魔力の譲渡? 聞いたことはないが。興味のある話だ。
「それは、どうやって——」
あ、いや。聞かなくてもわかったような……。
「え? グリムちゃん、まだ足りないですか? そうですかっ。わかりましたっ! もう一度! もう一度やってあげますからねっ!」
「十分だっっ!! 貴様、儂を、この儂をおおぉっ! それでかっ。それで儂はこんな姿で、ベトベトにぃぃっ!」
「大変だったんですよっ! 私、必死だったんですからっ! 懸命に堪えて、堪えて、慎重に魔力を注いだんですからねっ!」
儂の抗議に、怯むことなくアルビオーネは言い放った。ああ、そうか。それほどまでに儂は消耗して——。
「ほんの少し力を変えるだけで、トロトロにできたというのにっ! 私がっ! どれだけ懸命に我慢したかわかりますかっ!」
「わかるかあぁぁぁぁーーーーっっ!!」
コイツはっ。
「やはりっ、やはり貴様は、ついほ——」
「ああっ! でも大丈夫。大丈夫ですよっ! お前たちっ!」
アルビオーネの一喝に、控えていた眷属の鼠獣人たちが近寄ってきた。二人がかりで水の入った桶を運んでいる。もう一人は両手いっぱいにタオルを抱えていた。
「さあ、グリムちゃんをキレイにしてあげなさいっ!」
「はいっ。アルビオーネさまっ!」
「がんばりますっ。よーじょキレイにするよぉ。つるっつるにするよぉ」
「やわらかくてきもちいいの」
ブチ、黒、白が群がってくる。ぬるく温まった水にタオルを浸して、儂の身体を拭う。不快な粘液に濡れた髪は直接水に浸されてすすがれた。
うむ。なかなか気持ちいいものではないか。こうして身を任せ、清められるということは。
竜の体ではなかなか体験できぬことだな。過去にはアルビオーネが同じようなことをしようとしたこともあったが、身の危険を感じて断った。ゼナロリスのアレは——ああ、清めるのとは違うな。
奴らとは異なる献身を感じる。良い眷属ではないか、アルビオーネ。コイツらなら安心できる。拭き取る動きは丁寧だ。力加減も良い。時折触れる毛皮も柔らかく心地いい。目を瞑って体を預けていると眠気に襲われる。
瑞々しい幼女の肌が弾く水滴を、乾いたタオルが吸収していく。濡れそぼった青い長髪も念入りに拭き取られる。そうして、この娯楽は残念ながら終わりを迎えた。
「よーじょ、ピカピカだよっ」
「うん、すべすべ、ぷにぷに」
「すいたい」
「ああ、すまんな」
笑顔で満足そうに大きな耳を揺らす鼠たち。順にその頭を撫でてやった。目を瞑り、口元をゆるませる姿は、なんとも幼女。こちらも緩むな。
なのになぜ、アルビオーネは蛇面を歪ませているのだ?
と、儂の視線に気づいたのか、急に彼女は表情を戻した。
「そ、そう。よかったですねぇ、グリムちゃん。それではお前たち、次をっ!」
次?
そう思っていると鼠たちは桶とタオルを路地の奥に持ち去り、代わりに別のものを持って現れた。
手にしていたものを見て、息をのんだ。
なっ、こ、これは……。




