017 人の呪い
薄暗い路地で、建物の壁面を背もたれにして人形のように座って待つ。無駄に動くわけにはいかない。この体も、魔力も、そして儂の精神も限界が近い。
思い返すに、ヤンデルゼが現れ、奴によって儂とアイソスの体を入れ替えられて半日も経っていない。それからアイソスを追い、アルビオーネに置き去りにされ、魔獣に襲われた。助けられたゼナロリスには精神を抉られた。
——あれ? この現状、ほとんど儂の部下のせい……?
いや、それも間違いではないが。儂が悪かった。それが根本だ。アイソスを蔑ろにしてしまったのだから。この儂が、幼女をぞんざいに扱ったことの報いなのだ。
そうだ。儂は早くアイソスに会わねばならん。謝らねばならんのだ。アルビオーネが来たら、一刻も早くアイソスの所へ連れて行ってもらわなければ。
そう思考を巡らせていると、大通りの方から影が差した。瞳だけでそちらを伺うと、この路地の入り口に立つ男の姿が見えた。
「——アイソスっ!」
男が、我が幼女の名を口にした。かと思うと大股で儂の方へ近づいてくる。
「呪印の魔素を感じたと思ったら——なぜこんなところにいるっ! ああそうか。お前は失敗したのだなっ。だからあの竜が攻めてきたということか」
呪印だと。呪印と言ったか? それを知っているということは、コイツは。まさかアイソスの父親か?
「だからまだ早い、と言ったというのに。仕方ない。あの竜に見つからないうちに少しでも進行させねば。立て、アイソス」
腕を引かれ、無理矢理立ち上がらせられた。実際、こうでもされないと立てなかっただろう。
だがコイツは何をする気——。
「んむうぅっ!?」
コイツ、儂の唇をっ? しかも唇を重ねる直前、何か詠唱らしきものを囁いていた?
「んんんっっ!」
男の手がローブの内へ滑り込んできた。その掌がお腹に触れる。そこに存在する呪印を刺激する。
呪印から儂の体内に、何かが流れ込んでくる。地中に根を伸ばす植物のように、儂の体内に異質な魔素が侵食してくる感覚。それは肉体にだけではない。儂の精神をも瘴気の如く汚染してくる。
これが呪印の作用、なのか。それをコイツの術がもたらしているということか。
「ふうっ」
長いくちづけを解き、男は短く息をついた。儂の方も喘ぐような吐息が漏れてしまう。体が、精神が束縛されてしまったかのように力が入らない。男が手を放すと、崩れるように膝が折れてしまった。
「どうした、アイソス。いつもよりも辛そうではないか。気持ちいいだろう? 楽しいだろう? 大丈夫だ、父さんに任せろ。もっと良くしてやるからな」
これが気持ちいいだと? こんな力、瘴気の沼にでも浸かった方がマシだと思えるほどの歪な魔素でしかない代物が?
睨みつける儂の意思を知ってか知らずか、男は笑顔のまま再び詠唱を紡ぐ。
マズいっ。ただでさえ消耗したこの体なのだ。こんな呪いのごとき魔素を受けては、儂の精神よりも先にアイソスの体が耐えられなくなる。
「アリュ——んくぅぅっ」
路地の奥へ向けた顔を掴まれ、座り込む儂にのしかかるように男は唇を重ねてきた。ボロボロになったローブは、面倒とばかりにはだけさせられる。呪印のあるお腹を晒され、そこへ呪詛を起動させる手が添えられた。
く……早く。アルビオーネ、早く来てくれ。もうこれ以上は……。
くそっ、アイソスはこんなものを受けていたというのか。こんなおぞましい感覚を味わわされていたと? その上、これを『気持ちいいこと』と認識させられていた——。
許せん。
これ以上、アイソスの体を穢すことなど、させてなるものか。
だが……。く、もう、力が……。
呪印の力に残り少ない魔素が食い荒らされる。精神が闇に包み込まれてゆく。
ダメだ……視界が、ぼやけ、白く……。
しろ……く……。
しろ、い……からだ…………?
アルビオーネ!?
音もなく、気配もなく。闇の狩人のように現れた大蛇。白蛇の姿のアルビオーネが大通りから見下ろしていた。
「ん、ん〜っ! んん〜〜〜〜っっ!」
男は背後の蛇に気づいていない。懸命に腕を動かし、男の身体を打つ。力などまるで入らない、無力な腕。
だが、今の儂の精一杯の抵抗をしてやるっ。儂に注意を向けさせるためにも。
アルビオーネ、早くしろっ! 何を見ているっ!
もがく儂を覗き込むように、無音で顔を近づけてくる。そして、小鳥のごとき所作で頭を傾けた。
男の身体に隠れているがゆえに、儂だとわからないのか? そんなはずがない。早く! 早く助けるんだっ!
蛇の頭が頷いた。直後、アルビオーネは姿を変えた。元々の半人半蛇となって、一転殺気を撒き散らしながら路地へと侵入してくる。
男が反応し、儂から離れようとする動きが伝わる。だが、男が行動を起こすよりも早く風が吹き抜け、その体を吹き飛ばしていた。
「こっ、この、ど腐れ下衆人間があぁぁぁーーーーっ!!」
路地の奥まで転がる男の身体を追って、アルビオーネの蛇身が儂の目の前を通り過ぎる。
「よーじょ、よーじょっ!」
「大丈夫? へーき?」
「わたしたち、助かった。アルビオーネさま、やさしかった。よかったよぉ」
「ああ、お前たち……よかった。助かったぞ」
アルビオーネに続いて現れた鼠たちが儂に押し寄せてきた。その暖かな身体をぐいぐいと押しつけてくる。抱きしめてやりたいところだが、今は叶わない。
「うわぁぁ〜〜ん。よかったよぉ」
「よーじょ、元気出して。安心して。嬉しいからね。楽しいからね」
「わたしも、気持ちいい。もっと」
「そうだな。もう少し、このままで頼む」
「うん! うんっ!」
「よーじょ! もっとする! わたしもっとギュってする!」
「あとでよーじょもギュってするの」
ああ——安らぐ。この温もり。
よい。
そして、ともあれ。助かったようだ。




