016 鼠の助け
いや待てっ! そうではない。儂も。儂も連れて行けっ。
だが……くっ、思わず叫んだ言葉に気圧されたのか、ゼナロリスは行ってしまった。奴にはまだ儂らの現状を話していないのだ。奴だけでアイソスに会ったらどうなるかわからん。
最後に振り返ったゼナロリスの瞳が冷静さを取り戻していたように見えたゆえ、大丈夫だとは思うが。
……いや、思いたい。
そもそも街の中にゼナロリスのような魔獣がいること自体、異常なのだ。その魔獣が幼女、幼女と叫び続ける姿など、目も当てられん。避難しているせいか人影が見当たらないことが幸いだったわ。
というか、儂もアイソスのところへ向かわねば。
だが、どこへ?
ゼナロリスであれば匂いを辿れるのだろうが。くそ、失敗だった。
竜の体はそこらの建物よりもずっと大きい。普通に立ち上がっていれば、どこにいようとその姿が確認できるはずなのだが、見当たらない。破壊音もしないため、少なくとも今、アイソスは暴れていないのだろう。
喜ばしいことだが、まあ、ある程度はすでに破壊してしまっただろうなぁ……。でなければ避難などしないだろう。
ともかく、ゼナロリスの向かった方へ行ってみるしかあるま——
「ぅんきゃぅぅっ!」
また足がぁぁっ!?
く……、まともに歩けずに街路に突っ伏してしまったではないかっ。
ゼナロリスの奴、儂の足を縛っていた蔓草をそのままにしおって。しかも、べっとりと奴の唾液が染み込んでいる。結び目も固く絞まって、儂の力では解けん。
いや、それだけではない。この身体が言うことをきかないのだ。
今の今まで、儂は体内の魔力によってこの身体を動かしていた。その魔力が尽きかけているようだ。このままでは、傷ついた身体か魔力が回復するまでは動くこともままならなくなってしまう。
どうするっ? このまま魔力が回復するまでここにいるか? いや、だめだ。ゼナロリスは何も知らんのだ。今のアイソスと接触させるわけにはいかん。
早く奴を追わねば。だが、くそっ、この体。なんと脆弱。それはもうやわやわ、それはもう幼女。
くっ、それこそ幼女たる由縁ではあるのだが。守りたくなるのだがっ。失い難き至高の存在ではあるのだがっっ。
「コッチ、コッチ」
そうだ! ゆえに、側におきたいのだ。愛でたいのだ。ああ、幼女。なんと愛おしい——。
「コッチ!」
ん? 何だ? 小さな声が儂を呼んでいる?
道の反対側の狭い路地から、その声は聞こえた。暗がりに隠れるように手を振っている。
今は幼女らしからぬ重たい体だ。焦ったいくらいゆっくりとしか動けない。四つん這いでそこへ向かうしかなかった。
「見つけた。会えたよ、青髪のよーじょ」
「おお、お前たちは」
少しだけ安堵できた。
そこにいたのは、アルビオーネが街に潜伏させている奴の眷属たちだったからだ。
レティ、と呼ばれる鼠に似た獣人。鼠のように大きな耳と長い尻尾を持つコイツらの体は、今の儂の全身の半分ほどしかない。その小柄さゆえ潜入を得意としており、アルビオーネはコイツらで情報収集を行っている。
そんな奴らが三人。儂を心配そうに見つめていた。
「きて。アルビオーネさまがさがしているの」
「アリュの奴、ちゃんと来ていたのか。だが儂は今、まともに動けないのだ」
「ケガ、したの? だいじょうぶ?」
純白の毛皮を持つ鼠が儂に身体を重ねてくる。うむ。なかなか柔らかな毛並みではないか。それに温かい。まるで幼女のように高い体温だな。
「どうしようどうしよう。連れて帰らないと、アルビオーネさまに怒られちゃうよぉ」
黒色の毛並みの鼠は忙しなく頭を振っていた。
「ホントに駄目? 動けないの?」
白黒ブチのもう一人は、不安げに儂を覗き込んでくる。
「ああ、すまない。できればアリュを呼んできてもらえないか」
「え、ひいっ!」
儂の提案に、なぜか黒鼠は思いっきり飛び退いた。そして傍目でもわかるくらいにガクガクと全身を震わせている。逆に儂の側にいた白いのは、儂にギュッと身体を押し付けてきた。
「よーじょ。わたしたち、そんなこといえない。わたしたち、アルビオーネさまには逆らえない。だからダメ」
ブチは努めて平静を装っているが、言葉の端々が震えている。アルビオーネのコイツらへの扱いが知れるな。だが、このままでは。
「そうか。ならば、こう伝えてくれ。『グリムちゃんが、お前の助けを必要としている』と。それで奴は来るはずだ」
「グリムちゃん? それで大丈夫? アルビオーネさま、怒らない?」
「無理無理無理。ムリだよぉ。絶対、ひどいことされちゃうよぉ」
「ああ、大丈夫だ。アレでも儂の言葉には従うだろう」
半信半疑のブチと泣き顔の黒は、お互いに顔を見合わせる。だが、ここを離れるそぶりは見せない。
「あなたたち、行きなさい。アルビオーネさまは、このよーじょに会いたいのよ。だから来てくれる」
儂にしがみついていた白が、戸惑う二人にキッパリと言い放つ。そして、なおも動かない二人を諭すように穏やかに語りだす。
「わたしたちは、アルビオーネさまの眷属。だから、なにをされてもいいの。それがわたしたちの全てなの。わたしたちはアルビオーネさまのためなら、潰されても、引っこ抜かれても、切り開かれてもいいの。それがわたしたち一族の使命なの」
「そ……それは。うん。そう。わたしたち、アルビオーネさまのために、がんばらなきゃ」
「うう……。そう……だよね。やる……よ。う……ん。やる、から……」
え、そんなおおごとか? たかがアルビオーネを呼んでくるだけだろう? なぜ死地に赴くような決意が必要なんだ?
「わかったなら、早く行くの。ほらっ」
「うん。わかった。行くよ」
「うん……。でも、きみは?」
「わたしは、このよーじょと一緒にいるから。よーじょを守らないといけないの」
「それはズルいっ。お前も行くんだっ」
「そ、そうだよ。自分だけ逃げようなんて、ズルいよぉ」
「よーじょ、かわいそうだもの。一緒にいてあげないとダメなの。それに、よーじょもわたしを放してくれないの」
あ、そうか。儂、いつの間にかこの白い鼠を抱きかかえていたな。姿だけならコイツらも幼女。まあ、コイツらの種族的な寿命からしたら、幼女、という枠には収まらないだろうが。それでも、こうして抱きかかえていると、なぜだか安心できる。
「じゃあ、わたしもっ。わたしもぎゅってして、よーじょ!」
「わ、わたしだって」
ブチと黒が押し寄せてくる。これはこれで良いものだが、今はそんなことをしている時間はない。
「お前たち、儂は大丈夫だ。すまないが、早くアリュを」
「うあああ〜〜〜ん。やっぱり、いきたくないよぉ」
「そーだよ。よーじょ、いこう。がんばっていこうよぉ」
「わたしはここにいるの」
ダメだ。これ以上魔力を使っては、本当にまずいのだ。動けなくなってしまう。
三人の鼠を抱え、なだめるように背中をさすって泣き止むのを待った。
「お前たち、聞くんだ。アルビオーネはな、アレでも気づかいのできる奴だ。儂を諭してもくれた。それに今も、儂を助けようとしてくれている。根本のところで、優しい奴だ。そんなアルビオーネが、儂の言葉に従ったお前たちを褒めこそすれ、叱責などあろうはずがない」
「よーじょ……ぐすっ……ほんとう?」
「アルビオーネさま、ほんとに怒らない?」
「わたしはここにいるからいいわ」
「もちろんだ。奴も素直ではないだけなのだ。眷属に対して弱いところを見せたくないだけなのだろう。それが厳しさにつながっているだけだ。だから、安心して行くがいい」
「うん……わかったよ」
「いく。わたし、いくね」
「いってらっしゃい」
ようやく鼠たちは儂から離れていった。そして、彼らは路地の奥へ、白いのを引きずりながら消えていった。
……ああ。
まことにすまない、鼠たちよ。
諸々、真実ではないことを語ってしまったな。




