013 急ぐ者は報酬を与える
ローブの土埃を軽く払って、その裾を掴む。ゆっくりと膝の辺りまで捲りあげる。そして、目線だけで深紅の狼の様子を伺った。
お、反応したな。わずかに尻尾が揺れたぞ。
やはりな。
確信し、さらにローブを引き上げ、足の付け根までを晒した。覗き込むように狼の頭が下がるのを見て腰を下ろす。木の幹を背もたれにし、両足を伸ばし地面の上に座った。
「な、何をしている、幼女よ……」
「いや、なに、魔獣に襲われていたからな。足が痛むのだ」
「足が——」
ふん。やはり釘付けのようだな。
儂はコイツの仔狼時代をよく知っている。当時のゼナロリスは、同年代の仔狼達と共によく儂のもとへ遊びに来ていた。面倒だった儂は、寝そべったまま尻尾だけで狼の仔らをあしらっていたものだ。
皆競ってじゃれあっていたのだが、その頃のコイツは、同年代の中でリーダーになれるような強さを持っていなかった。むしろ最弱だった。
結果として、遊び相手であった儂の尻尾と仲間から、ゼナロリスはいつも弾き出されていた。弱肉強食の世界に生きる奴らだ。子供とて力無きものは失う。それは仕方無きこと。
しかし、将来我が配下として働くことを思えば捨て置けなかった。そして、コイツも諦めなかった。
手に入らぬのであれば、別のものを狙う。それが仔狼ゼナロリスの考えだった。コイツの遊び相手、狩りの仮想の相手は儂の足となった。
やがて他の仔狼達が遊びでは物足りなくなり、本格的な狩りを始めるようになっても、ゼナロリスは儂から離れなかった。儂の足に執着していた。
まあ、慕われることに悪い気はしない。儂はコイツに世話を焼いた。少しばかり鍛えてもやった。やがてゼナロリスは同年代最弱から、群れを率いるリーダーにまで上り詰めた。そうなったあとも、儂を慕い執着し続けていたのだ。
つまり、だ。
片足を上げ、触れんばかりに近づいていた狼の口元に、爪先を突きつけてやった。
「どうした、ゼナ」
お預けをくらった犬のような表情のゼナロリスは、儂に戸惑いの視線を向けてきた。
だが、気づいているのかゼナロリスよ。すでにお前の尻尾は、先の魔獣と変わらぬ程の風を巻き起こしているのだぞ。
さて、儂も覚悟を決めるか。最後の一押しをする前に。
ふぅと息を吐き、ぷっくり唇を引いて、狼の首輪を外す言葉をかける。
「構わぬ。お前の主も許すぞ」
「う……? う、う、ウォォォーーーーーーーーッ!」
解放の叫びとともに、儂の脚は生暖かいものに包まれた。足先から下肢。太腿まで。儂が晒した全てを狼の舌がなぞっていく。アルビオーネのねっとりとした舌使いとは異なる、本能的な、激しい動き。まさに飢えた獣だ。
「うっ、ウオゥ、ウオッ、フォゥ——」
予想通りだ。ゼナロリスの執着は儂だけではない。誰のモノに対してもだ。それは同族と行う毛繕いを見ていれば解る。コイツが執拗に舌を這わせるのは、四肢だけなのだから。
「ハッ、ハッ、ハフッ、ワフッ」
「ん、くっ……」
く……夢中だな。げに恐ろしきは、幼き頃の原体験よ。だがこちらは不快だ。声を抑えるのもこれ以上は辛い。
太腿にむしゃぶりつくゼナロリスの頭を、鷲掴みにしてやった。
「も、もう十分だろう? 褒美はここまでだ、ゼナ」
「フッ、フッ、フウゥゥッ!」
くっ、コイツ、より強く舌をっ。な、ならばっ。
「そんなに、くうっ、ほしければ……っ、この腹も——」
「上半分などいらんっ!」
ゼナロリスはピタリと動きを止めて叫んだ。コイツは他の対象を示されると醒める。わかっていたことではあるが、その言い草はなんだか納得できん。
「は……ふっ、ず、随分と夢中だったな、ゼナ。褒美は十分だっただろう?」
「…………はっ、褒美? 褒美っ!?」
よろよろと後退りながら、頭を振る深紅の狼。やめろ、口元のよだれが飛び散る。
「く、な、なんと小賢しい幼女だ……。我が種族の習性を利用するとは……」
「いや待て。お前の嗜好を種族の問題にすり替えるな。見ろ。お前の同族は食事も止めてドン引きしているではないか」
「なんだとっ」
勢いよく振り返るゼナロリスと、慌てて視線を逸らす深紅の群れ。うむ、気持ちは痛いほどわかるぞ。
「ともあれ、お前は褒美を受け取った。それはもう、念入りにな。この足をここまで唾液まみれにしおったからには、言い逃れできんぞ。儂の要求に従ってもらう」
「……くっ、わかった。受け取ったからには、オレは不義はしない。お前を街まで連れて行けばいいのだな、幼女殿」
「そうだ。麓の街の教会だ。急げ」
「了解した。だが、その後はグリムワルド様のところへ連れてゆくぞ。——さあ、乗るがいい、幼女殿」
足を折り、背を差し出してきた狼にまたがった。足が不快なままだが、道中コイツの毛皮で拭けばいいだろう。
「いくぞっ」
一声吠えて、ゼナロリスは嬉々として駆け出した。




