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011 残された者は襲われる

 じゅっ、と肌を擦過(さっか)する熱。それを感じた瞬間、蛇身は儂の身体を通り過ぎていた。


「に?」


 事態が飲み込めぬまま、光の蛇を目で追っていた。そのスピードは、先行する竜との距離をあっという間に詰め——。


 あ。(かわ)された。


 直前で気づいた竜が体をよじると、軌道修正の効かない光蛇はそのまま前方へと飛び去った。やがて弧を描いて落ちるのだろうが、そこまでは儂の目では追えぬ。


「な、な、な…………」


 不思議そうに首を傾げたのち、再び街へ向けて竜は飛び始める。


「何をしておるのだーーーーーーっ!」


 アイツ、儂のことを忘れていたなっ。竜の体の方にしか意識がなかっただろう? 何が『抑えられない』だ。そもそも普段、何か抑えているのか、アイツはっ?


 い、いや待て。(かわ)されたことを考えれば、あのまま一緒に飛ばずに正解……か? アイツ、無事なのか? 死にはしないだろうが、穏やかな着地の手段など持たないはずだからな。


「いやしかし、恐るべきはアイソス。アレを(かわ)すとは思わなかったぞ。我が体ながら見事な回避能力——などと言っている場合ではないっっ!!」


 どうする? どうするんだ、儂はっ。最早手段がない。儂だけで追いつくことなどできないだろう。このまま竜の姿でアイソスが街に入ったら——。


 この山林のようになぎ倒された家屋の姿が脳裏に浮かぶ。儂を取り囲む兵士の姿が浮かぶ。無論、やられるような儂の体ではないのだが……。


「ああああああああ〜〜〜〜っ! せ、せめて。せめてアイソスが大人しく慎重に行動してくれたら——」


 ああ、ない。それはないだろうな。


 そう思うと全身の力が抜けた。その場に尻餅をついて、仰向けに寝転んでいた。


「ああ、空が高い」


 もう、どうでもいいか。儂の安寧な生活は失われるだろう。色々とお膳立てをしたが、その成果を享受できたのは十年にも満たない刻だ。

 

「遠いなあ、雲」


 なんとなく腕を上空に伸ばして、視界に収めた雲を掴む。小さな幼女の手では何も得られない。


 ん? 小さな……?


 改めて自らの手を見つめた。握り、開き、その感覚を確かめる。


 儂の、手——ではないっ!


 そうだ! アイソスだ! 彼女を放ってはおけぬ!

 そう決意したばかりではないかっ。たとえ儂の素晴らしき暮らしが失われようとも、幼女を救わねばっ! 彼女の、儂の体を戻さねばっ!


 そして儂は再び、いや今度こそアイソスと戯れるのだっ。逃した幼女は大きい。そんなことにはさせん。


 アイソス——ああ、考えてみればまともな触れ合いなど、まだなかった。姿が竜であれ、(かも)し出すは幼女。もう失いたくない。離れたくない。儂の幼女なのだからっ。


 そうだ、何をやっているんだ儂はっ! 素晴らしき幼女との未来を、取り戻すのだっ!


 体が自然と動いた。立ち上がり駆け出していた。幼女の足は歩幅も狭く、踏みつける小石すらも痛む。だが、それが何だ。儂は幼女のために——。


 うっ!?


 不意に、背筋に悪寒が奔った。足を止めた儂の耳に、枯れ枝を踏み折るような音が届く。


「う、な——」


 竜の造った道に、魔獣が姿を現していた。上半身がアンバランスに発達した、熊のような魔獣。そいつが後ろ足で立ち上がり儂を見据えていた。


 まだ距離はある。だが、コイツの習性は遠距離からの——。


 まずいっ。


 振り上げられた腕を見て踵を返す。だが、それよりも早く、皮膜持つ魔獣の腕が突風を呼んだ。


「く、きゃああああーーーーっ!」


 呆気なく儂の体は吹き飛ばされていた。何度転がったか分からぬほどに地面に打ちつけられる。気づけば再び空を見上げていた。


「くっ……、逃げねば……」


 体が動かん。力が入らぬ。


 瞳だけを動かすと、ゆっくりと近づいてくる魔獣の姿が見えた。腕に(ぬる)い血の感触が伝わる。


「う、動け……。儂の、身体……っ」


 この魔獣の動きは遅い。それゆえの遠距離からの先制攻撃だ。今のこの体でも逃げきれるはずなのだ。動きさえすればっ。


 こんなところで、儂はやられるわけにはいかんのだ。アイソスに会うためにも。こんな奴にっ。


「ぬ、ぐうぅぅぅぅっ」


 わずかに指先が曲がった。だが、それ以上は麻痺したかのように動かない。それほどのダメージを受けたのだろう。

 当然だ。若葉の上に佇む水滴の如き幼女の体なのだ。儂の意思がこの肉体に伝わっていないかのようで——。


 いや。


 そうか。理解した。すぐに実践し立ち上がる。


 単純なことだ。意思が伝わらぬのなら、動かせぬのなら、無理矢理動かせばいいだけのこと。


 魔力で。


 儂は今、魔術は使えん。だが体内の魔力操作はできるのだ。それはアルビオーネに襲われたときに試していた。

 ならば、この魔力で肉体を操る。そして、回復はできずとも止血程度は可能だ。


「るうぅぅがあぁぁぁぁーーーーっ!」


 目前に迫っていた魔獣を前に、竜の如く吠声を轟かせていた。


「貴様……貴様あぁっ! 貴様は、禁忌に触れたぞ! この儂の、アイソスの玉体を傷つけるなど万死に値するっ! 貴様は我が手でかならz————んきゃあああっ!」


 再びの突風に、転がる儂の体ぁぁ……。


 く、待て。冷静になれっ。今は体を動かせる程度なのだ。まずはコイツから逃げねば。これ以上、幼女の柔肌を傷つけるわけにはいかん。


 そう決意した儂を嘲笑うかのように、魔獣が腕を振り回す。その度に立ち上がることもできずに吹き飛ばされる。

 コイツ、儂を徹底的に弱らせる気か。最後の一撃までこうして(なぶ)るつもりなのだな。


 ダメだ。


 アイソスの内包する魔力は少ない。いつまでも魔力での身体操作は続けられん。遅かれ早かれ動けなくなるだろう。

 そして、いくら動けようとアイソスの体は破壊され続けているのだ。出血を抑えることにも魔力を割かねばならん。


「ぐぎゃっ!」


 木の幹に叩きつけられ、幼女らしからぬ悲鳴が漏れていた。口の端から血が伝う。

 倒れ込む儂の周囲を影が染めた。


 頭上に、魔獣の爪。


「く、あ、ああああああああーーーーーーーーっっ!」


 目の前が、血の色に染まった。






——違う。


 血のように赤い毛皮だ。


 儂の背後から現れた深紅の狼が、魔獣に襲いかかっていた。

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