010 追いかける者は空を駆ける
蛇身をくねらせて進むアルビオーネの腕の中で儂の体は揺れていた。
横倒しに抱えられた姿勢はいわゆる『お姫様だっこ』という奴だが、いかんせんこの体では揺り籠に収まった赤子といった方が近い。
「おい、アリュ」
「なんですか、グリムちゃん。おねむですか? 眠ってしまってもいいですからね〜」
成程それは魅力的な言葉だ。微風に任せて空を漂うかのような揺らぎは眠気を誘ってくる。儂を見つめるコイツがしきりに舌舐めずりしていなければ従っていただろうな。
「そうではない。見ろ! 全く追いついていないのではないか?」
小さな腕を振り回して、竜の背中を指差してやった。
「そうですねえ」
「何を落ち着いておるかっ! 早く止めねばっ!」
「いえ、グリムちゃん。残念ですが、これが現実なのです。これがグリムちゃんとアイソスちゃんの、心の距離なのですよ」
心の……?
アルビオーネの言葉に思い知らされた。考えるに、それは正しいのかもしれん。
儂はアイソスを傷つけた。キツい言葉を浴びせてしまった。儂は近づきたいのに、儂の方から突き放してしまった。
だからこそ追いつかねばならない。謝らねばならないのだ。
「……あれ、グリムちゃん? 何を深刻になっているんですか?」
「あ? なんだと?」
「いやですね。私てっきり『そんなわけあるかーっ!』って怒鳴られるものだと思っていたのですが。拍子抜けですよ、全く」
は? コイツはなぜ肩をすくめてため息をついておるのだ?
「お前、まさか。本気ではなかったと……」
「いえ、本気ですが。けれど正確ではないですよ。いやですねぇ、グリムちゃん。心の距離なんてわかるわけないじゃないですか」
「なんだとっ」
「ああ、それとも。グリムちゃんなら、幼女の気持ちがよ〜〜くわかるんですかね?」
「あ、当たり前だっ! いいからいしょげっ!」
「はいはい、頑張りますね〜」
ぐっ。なぜそこで笑顔なんだ。不愉快な奴め。この儂を翻弄しおって。儂の心を動かすには、お前は成長しすぎているというのに。
「あ、あれ? 見てください、グリムちゃん」
「なんだっ!」
「アイソスちゃん、立ち止まっていますよ」
遥か前方だが、確かにアイソスは歩みを止めていた。辺りを窺うように頭を振り、山林を、上空を見ている。
思い直したのか? わからんが、好機だ。
「アリュ、今のうちに距離を詰めろっ!」
「了解ですっ! 縮めましょう! 二人の距離を————っ?」
あ? なんだ? 竜の体躯が一瞬沈んだように見えた。そして地面を蹴り、翼を広げ——
「お、おいっ。飛んだぞっ!」
「そうですねぇ。飛んでますねぇ」
「何を呑気にっ」
「竜ですから。それはもう飛びますよね」
「そーいうことではないっ! あのまま街に行ったらどうなるっ!」
アイソスに周囲への気遣いなどできまい。この山中のように、街の建物を薙ぎ倒す様が容易に想像できる。そしてもし、儂の姿でアイソスが言葉でも発したら——これ以上は考えたくもないっ。
「だめだっ。儂の、王国の守護竜としての地位はどうなるっ。せっかく創り上げた儂の立場はっ! 生活はっ!」
「グリムワルド様っ! また自分のことばかり考えて! アイソスちゃんは寂しいのですよ。きっと早く家に帰りたいのです。もう忘れてしまったのですか!」
「そ、それは。それはそうだがっ。だが儂の数十年の苦労がっ! 止めろっ! なんとしても、アイソスに追いつくのだぁっ!」
衝動のままに、手足をばたつかせていた。
せっかく人間どもの信頼を得たのだ。一度壊れてしまえば、取り戻すには数倍の時が必要だろう。アイソスのことはもちろんだが、街のことも捨て置けぬのだ。
焦る儂をアルビオーネはそっと地面に下ろした。空中の竜の姿を捉えて、ふぅ、と息をつく。
「仕方ないですね。久しぶりに、やりますか」
その言葉と共に、アルビオーネの蛇身の尾が儂の身体に巻きついた。足が地面から離れる。蛇に巻きつかれた鼠のような儂を、アルビオーネは真剣な瞳で見下ろしていた。
「お、おい、アリュ……」
「気をつけてくださいね、グリムちゃん。私、抑えられなくなるかもしれませんので。もう、振り返りませんよ」
そう宣言し、アルビオーネは再び竜に視線を向けた。
「——光蛇転鱗!」
言葉と共に、アルビオーネの姿が変異を始めた。
頭部が人のモノから三角錐型に変形してゆく。両腕が胴体に癒着する。露出していた皮膚が波立ち鱗へと変わってゆく。人間の姿であった上半身は、今や蛇のモノへと変わっていた。
下半身の蛇身もまた、そのままの姿を保っていない。元々長大だった蛇の部分は、緩く締めつけていた儂の身体をこすりながら伸びる。その長さは、儂の洞窟のそばに建てられた小屋など一巻きにできるほどだ。
儂はこの『光蛇転鱗』をよく知っている。目にするのは久方ぶりだが、相変わらず美しいものだ。まあ、中身はアレなのだが。
半人半蛇のアルビオーネは一匹の巨大な蛇へと姿を変えた。それは見るものに畏怖を与える神々しさを備えている。彼女の元々の蛇の部分は毒々しい紫色だったのだが、その面影はない。今の全身は、まるで脱皮直後の蝉のように純白で、『光蛇』の名の通り淡く輝いていた。
上手く立ち回れば、儂のように崇められる存在になり得るだろう。
まあ、中身はアレなのだが。
「竜……竜ぅぅ……。グリム……ワルド、さまぁぁ……」
やはりコレだわ。
邪悪な笑みに引かれた口の端は背後からでも見ることができた。そこに伝うものも。引き裂かれたかのように開いた顎に、儂の全身は縮こまってしまう。
「グリムワルドさまぁ。いきます。いきますよぉぉ」
上半身をもたげ、胴半ばをぐいと引く。上空の竜に狙いを定める。発射寸前の弓矢の如く力を溜め、蛇身で大地を鞭打った。
彼女は一条の光となった。
儂を置き去りにして。




