十一話 予感
ラルサルト男爵領を旅立つ時が来た。
黒渦の仮面は被らず、土色の外套をのみ羽織る。背嚢を背負って城門へと向かい、カタロガ行きの馬車に乗り合いを見つける。
徒歩では6日程、馬車では途中で小さな集落に立ち寄り、到着は3日後。
同乗者は若い褐色肌の夫婦と小綺麗な老婆。ネイ達を合わせて5人程の乗り合いになった。御者は中年の男性、繋がっている眉毛が特徴的だ。
ネイは馬車から離れて行くラルサルト男爵領を見つめる。領内での記憶を思い浮かべるが林檎酒しか思い出せないでいた。
滞在中は二日に一度は口にしていた程林檎酒を嗜み、飲み比べなどもしていた。ちなみに、エシェはまだ酒を飲んだことがないのだが、小さな見た目のせいか酒を勧めづらい。
馬車は西の城門を出て正道を沿いを進む。向かう先は西の方角。
今後の予定はカタロガを経由して王都ラニンへ。王都に暫く滞在した後、冬隣には南へと向かうつもりである。
カタロガへと続く道は比較的穏やかであり、道沿いに大きな森は存在しない。見渡す限り広がる草原に微風が駆け抜ける。
所々に見受ける村落の畑からは未だ青い麦穂が揺れている。
横に座っているエシェが景色を見るのではなく、ジッと此方を見つめてくる。
「どうしたの?頭になんかついている?」
「いえ、何でもありません」
最近エシェはネイをジッと見つめることが多く、その度問うてみるが「何でもない」と無愛想に返事をしてくる。
数刻も進むと馬車を停めて休憩を挟む。退屈と無言に耐えかねたのか、若い褐色肌の女が口を開き、興味本位に質問をする。
「君達2人ともすっごい綺麗な顔してるね、どこ出身なの?」
ネイとエシェはお互い顔を見合わせてから答える。
「僕はヒヒズモ方面ですね、血は混血ですが」
「私はその…魔大陸出身です」
「魔大陸!それは遠くから来たわね、てか、魔人族って怖い見た目の奴ばっかだと思ってたけど、随分と可愛い子もいるのねえ」
「こら、マヌエ。失礼だよ。それに困っているだろ」
「あら、そんなことないわよ」
「いいから」
褐色肌の男は肌の色と対照的な白い歯を輝かせ、歯に噛みながら声をかける。
「ごめんね、僕はサムエルブ、この五月蝿いのが妻のマヌエ。出身は南方のルブタ。よろしくね」
「僕はネイ、こっちがエシェです。よろしくお願いします」
エシェもペコリと頭を下げる。
「おやおや、私だけ仲間外れにするつもりかい」
馬車の前部に静かに佇んでいた白髪の老婆が口を挟む。衣服は見窄らしいが、身体は小綺麗だ。
「そんなつもりはないですよ」
「冗談さ。私はビルマ、出身はクレモルトのケルル村よ」
「馬車にはクレモルト人がビルマさんだけですか」
「私も母親はヒヒズモからの移民だからねえ、純粋なルダン人の血は引いてないのよ」
「へぇ!変な面子だわ」
「ネイ、ルダン人とは何ですか」
「ルダン人というのは…」
ネイが説明し始める前にビルマが口を挟む。
「お嬢ちゃん。ルダン人というのは神聖アルカンタラ帝国を築いた白肌人種のことだよ」
「白肌人種…」
「そう。そこの夫婦達はルダン人とサラナン人の混血だね。純潔のサラナン人はより黒い肌をしとるよ」
「へえ、驚いたわ。ビルマさんは博識なのね!」
「長く生きてればいろんな人に会う。それだけよ」
「人族も皆が一緒ではないのですね」
「うん。人族もいろんな人がいる。皆が仲良い訳ではない。魔人族ときっと然程変わりないんじゃないかな」
話は次第にクレモルト王国の話に移る。東西南方のご当地料理の話から最近の怪事件まで。
大蛇の森の話が専ら噂になってると聞き、ネイは僅かに冷や汗をかいた。
1日半取り留めの無いの話をしながら暇を潰していると、途中に寄った貧しさ溢れるラルナ村で老婆ビルマは下車した。
「会えて良かったよ。道中気をつけな」
別れの挨拶を一言で済まし、振り返ることもせずに村奥で進んでいった。
一行は更に西へと赴く。ラルナ村から4刻が過ぎた頃日が暮れ始めたため道の脇で夜営をすることになった。
中年御者を含めた5人で火を囲いながら、満天の星空を眺めながら干し肉と錆びた鉄鍋で煮込んだ野菜汁を頂く。
エシェは遠くに一際輝く星が気になり、赫目に魔力を込めた。すると、幸か不幸か此方に向かってくる小汚い集団を見つける。
「ネイ。此方に集団が直線に向かっています。距離は七町程、数は14。武具を持ち、身なりは汚れています」
「ええ。賊の類かな、どうしようか」
「とりあえず皆さんに話すべきですか?」
「そうだね」
2人は互いに頷き合い、3人を真剣な眼差しで見渡す。混乱させない言い方が分からず、包み隠さず正直に伝える。
「皆さん此方に怪しい集団が向かっているらしいですよ。どうします?」
「え!?」
「本当かい!?」
最初に驚いたのはサムとマヌエの夫婦であった。食事の手を止め、驚きの様子でネイを見る。
中年御者の青年が一拍遅れて、驚愕の顔で此方を見ながら口を挟む。
「ちょっと待ってくれ、何故そんな事がわかる?」
突然、若者の奇怪な発言を信じろと言うのも無理な話だ。中年御者は怪訝な表情で此方見るが、ネイは冷静に事実を話す。
「エシェは観測術士で、5町以上は観測できます。もう此方に近づいてます、どうしますか?」
一同の時が一瞬止まる。
「どうなってるのよ!この辺は衛兵達が巡回してるんじゃ…」
「マヌエ、落ち着いてくれ」
「糞。おれは積荷を運ぶのが仕事だ。1人でも逃げるぞ」
「あんた!!」
「御者殿。それはちと酷くないですか」
「五月蝿え!!お前達は積荷のついでだ。黙ってその辺に隠れてろ」
「この、糞野郎」
胸ぐら掴もうとマヌエは動きを止める。
御者の男が懐から小刀を取り出し、ちらつかせたのだ。
そのまま、マヌエの背後に回り込み首元に当てる。
「マヌエ!!御者殿なにしてるんですか!」
「動くなよ。一歩間違えたらうっかり、刺しちまう」
皆は一歩も動けず、眺めることしかできない。
御者の男はマヌエを引き摺りながら馬車まで辿り着くと、脚に小刀を刺して地に突き飛ばす。
その隙に馬車に乗り込み勢いよく逃げ去るのであった。
「糞!あいつ!」
マヌエが刺された脚を痛がりなが、唇を噛み締め悔しがる。
「ネイ、どうしますか?」
「とりあえず、マヌエさんを運んでどっかに隠れて治療しようかな」
「マヌエさん。僕は治癒術士なので、少しの時間があればそのくらいの傷は直ぐ治せます。とりあえず、あの辺まで逃げませんか? ここはもう、賊が来てしまうので」
「わかった…。助かるわ」
ネイが指差す場所は北の方角にある雑木林。
周囲に大きな森は無く、身を隠す場所は小ぢんまりとした雑木林しかない。サムはマヌエを担ぎ、4人は急いで雑木林に向かう。
林の中の岩陰に身を隠しながら、ネイはマヌエを治療を始める。出血は多いが幸い大事な箇所は切られていないと瞬時に判断する。血止めを最優先に治癒術で治し始める。
治癒中エシェは自分の役割を理解し、『天遥眼』を使い賊の位置を把握する。距離にして僅か一町。
「ネイ、直ぐそこまで迫っています。戦いますか?」
「戦う?!」
サムエルブがエシェの発言に慄くが、説明する暇はない。
「一度身を隠そう。おそらく敵は賊の癖に観測術士がいる。じゃないと、あの距離から最短距離から追うのは不可能だ?一度『隠れ蓑』を使って観測から逃れよう」
「『隠れ蓑』って、前に森で使っていた…」
「そうだね。エシェ、マヌエさん、サムさん、観測術避けの魔術を使いますので、僕の身体に触れてください」
「「観測術避け…の魔術?」」
「時間が無いので説明はできませんが」
3人はネイ両肩、背に手の平を当てる。常時練り上げている魔力が急速に全身を巡り、3人も手を通じて伝播される。4人は1つの集合体として魔力が覆われ始め、ネイが付近の岩に触れると岩と存在が同化される。
「な、なんだこれ!」
マヌエが自身に巡る他人の魔力に驚嘆の声を上げ、ネイが自分の口に人差し指を立てる。『隠れ蓑』は対観測術向けに作り上げられた魔術であり、無音の効果はない。耳で音を拾われてしまうと術の意味は皆無だ。
雑木林にある岩陰から小汚い賊達を目視で眺める。
数人が剣では無く、錆びついた鉄鍬を持っていることから農民崩れだと判る。
人数14人、賊の親玉らしき人物は賊の親玉も胸元を覆い尽くす胸毛と濃い口髭がある。これは典型的な北部諸国のアルトニア人身体的特徴だ。
屈強な肉体と濃い体毛は北部諸国の男達にとって誇りと言っても過言ではない。
親玉のみ馬に乗り、その他は徒歩で行動している。
ネイは『盗音』を使用し、賊達の話し声を盗む。右耳朶を揺らし、術を調整する。発動すると音が鼓膜に伝わり始めてくる。
二重に魔術を扱うことは尋常ではない程の集中力を要するため、ネイの額から汗が流れる。
「おい…、いねえじゃねえか」
「いや、こっちに勘づいて逃げちまったんすよ」
「なら、もう一度術を使え」
「次が今日で最後っすよ、おれ術1日3回しか使えないんすから」
「あ、いました!やっぱ勘づいて馬車で逃げてまっせ!」
「よし、てめえら行くぞ」
賊達の中の1人が正道の奥を指さし、賊達は辺りを離れて行った。
「去って行きましたね」
エシェがぽつりと呟き、サム達が安堵の息を漏らす。しかし、馬車という足を失くしたため、街へは徒歩になった。正道を辿れば軈ては辿り着くのだが、賊が待ち伏せていると考えると正道を歩くのは億劫に思える。
「はあ、どうしましょう」
「サム、命あっただけ儲けものよ」
ネイは軽く思考を巡らせる。一旦は雑木林に身を隠したが、結局森は開けて見つかってしまう。
敵と邂逅した場合、賊の15人程度なら軽く捩じ伏せることは可能だが、敵に術士がいた場合、サム達を庇いながら戦うのは"少々"面倒ではある。
「どちらにしろ戦うのかな…。はあ」
「ネイ君、君達はまだ若い。術は使えるようだが戦うなんて…」
「この際だから言いますが、僕はそこそこ強いから大丈夫ですよ」
「強いからって、まだ14でしょう。子供が無茶を言わない方がいいですよ」
「…そうですね。この辺は開けているので、エシェと僕が観測しながら安全を確かめながら進みましょうか」
その晩一同は交代で夜の見張りをしながら、就寝する。翌朝早くに起床し、動き出す。
岩陰から正道を眺めるが賊の姿は一向に見えない。試しにエシェに観測してもらうが、姿は見つからない。
西に向きに正道を4刻も歩き続けると、破損した馬車が見つかる。乾燥で固まりつつある血痕と散らばる僅かな木箱以外、馬車には何も残っていなかった。
視線を下に、地面を見ると大勢の足跡であろう地の窪みを見つける。それは正道を西に向かうのではなく、脇にある背の高い草に覆われた小道に続いていた。
油断してはならないが、賊達は道中に遭遇することは無いように思えた。
客を裏切った御者の安否などは今更気に留めないが、4人に重たい雰囲気が漂う。
「馬鹿ね」
ビルマが1人でにと呟いた言葉が、悲しげに聞こえたのは気のせいではないだろう。
暫く一同は歩みを止めず、日没に差し掛かる時に街の灯り見え始める。それはビルマとサムには希望の光に見えた。2人は安堵と足腰の限界から地にへたり込む。
僅かに休憩してから、本日中に街に入ることにした。
ネイは旅中で御者に聞いたカタロガ街の情報を思い出す。
カタロガ街は大きな街ではないが、王都ラニン近郊の経由地であるため宿屋が多い。また、王都は長く滞在していると費用が嵩むため、この街は王都で働く者の住宅街もあるとのこと。
大通りには宿屋と飲食店が立ち並び、客引きをする者が多くいる。道沿いには商隊の馬車が停まっているのが多数見受けれる。
一際目立つ宿に貴族の紋章がついた豪華な鞍を装着し、足腰が立派な良馬もいた。推測するに高尚な身分か、それに準ずる者の馬であろう。
「私達の旅もここまでですね、ネイ君、エシェちゃん。君達がいてくれて助かりました」
「私達は到着が遅れた分、急ぎで王都に行かなければいけないけど、今度はゆっくり酒でも飲みましょうね!」
「はい、また何処で会えることを願っています」
サム達は直ぐに夜便の馬車の乗合場に向かって行く。ネイは暫く彼らの背を見つめていると、マヌエがクルッと振り返り元気良く手を振ってくれる。
此方も手を振り返し、その場を後にした。
受付に灯がある適当な宿に入り、受付嬢ならぬ受付婆に問う。
「まだ、泊まれますか?」
「2人か?いけるよ。生憎ベッド2つの一部屋しか空いてなくてね、我慢してくれ」
ネイは宿の婆さんに取り敢えず1泊分の料金を支払い、部屋へと赴く。背から背嚢を下ろし一息つくが、2人とも腹が減っていたため外で食べることにした。
宿から出て食事のために大通りに歩いていると、黄色い声を含んだ歓声が背後から聞こえ始める。
「おい、あれ騎士様…」
後ろを振り向くと、隊列を組んだ騎士達が捕まえた賊達を荒縄で引き摺っていた。賊はネイ達を襲おうとした者達であった。
先頭の馬に乗る騎士が高らかに声を張り上げる。
「この賊は正道を通る民を襲う、悪略卑劣の者達だ。我々、オルブライト辺境伯爵の騎士が捉えた。引き渡をしたいのだが、衛兵は居らぬか?」
群がる野次馬を掻き分けて街の数人の衛兵が飛び出し、賊を引き摺りながら何処かに連行していく。
そんな光景をぼんやりと眺めるネイ達の元に馬に乗った1人の騎士が近寄ってくる。胸元にある紋様に見覚えがあった。
「其方…」
それは何処かで聞いたことがある凛々しい女の声であった。
「…僕に何用でしょうか。騎士様」
「やはり!ふふっ、畏まらなくていいぞ、ネイ。我だ、騎士マリアだ」
兜を外すと、見覚えのある綺麗な女性の顔が現れる。凛々しい細い眉、切れ長な白さ群色の瞳、薄暗い金髪は団子結びされていた。
「マリア、さ…様」
僅かに忘れかけていた記憶が蘇る。
──オルブライトってルルカナの家じゃないか。完全に忘れていた。
「ふっ、以前の態度違うではないか。其方も礼節を弁えているようで結構だが、気にするでない」
マリアはネイを僅かに揶揄いながら笑みを浮かべる。
「…何のことでしょうか。僕の態度は変わりありませんよ」
ネイは表情を一切変えていないが、内心は早く逃げ出しい気分であった。美しい女騎士は野次馬の注目の的だ。加えて、何か面倒ごとを持ち掛けてきそうで気が気ではない。
「ふふふ。そういうことにしておこう。それより、其方に話がある。ずっと探していたのだが見つからなくてな。まさかこんなとこで女と共にいるとは…ルルカナ様が不憫だ」
マリアは軽く視線をエシェに向けると、目が合う。ぺこりと無言で挨拶されため、挨拶を返す。
「騎士マリアだ。オルブライト軍団、第二師団、団長を担っている」
「魔人、赫目氏族エシェと申します」
マリアは魔人と聞いて、驚きから僅かに目を大きく開く。
「それは、随分遠くから」
「で、僕に何か用でもあるのですか?」
「話は後だ。一刻後、其方の宿まで向かう。頼むから逃げるでないぞ、貴族の権威を使わなくてはならなくなるからな」
ネイは踵を返しながら、軽くネイを揶揄いながら隊列に戻るマリアの姿を見つめる。心中で無音でため息を吐きながら、夜空を見上げる。
続け様に面倒ごとに巻き込まれたくないというネイの願いは呆気なく打ち破られる気がして、落胆するのであった。




