35 壁際に咲く伯爵令嬢
由美の部屋に集まっているさやかを除くバンドメンバー。
さやかは今日はスナックのホステスのバイトだから来ていない。
32インチのパソコンモニターで自分たちのバンドのリアクション動画を見ている。ほぼ全てが英語圏のいかにもハードロック・ヘヴィーメタルが好きそうな男たちが動画を一時停止するたびに熱く語っている。レイジはある程度は英語は出来るがミクや遥にはかなわない。時折レイジに通訳してくれる二人に感謝しながら『いい勉強になるなー」と思っている。
「ごめーん、レイジ。あけてくれるかしら」
由美の声が聞こえたのですっと立ち上がりドアを開けると由美が二つのトレーに五人分の冷やし中華をもって入ってくる。背丈の低いテーブルにそれを置き、あらかじめ持ってきていた飲み物をコップに注ぐ。
ミクは不思議な気持ちで冷やし中華を見ていた。
由美の家にレイジと一緒に来たわけだが初めて来たときの豪華な一室ではない。玄関を入りメイドに誘導されながら階段を上った先は普通の家の趣だった。由美に聞けば初めて来たときに案内されたところは特別な来客用のフロアだと言われた。
元華族で地元のいくつかあるマンションのオーナーでかつ大手食品会社の重役となればそれなりの付き合いがあるのであろう。
由美の部屋は6畳一間のいかにも学生らしい部屋である。
ただしメイドが居るわけだが・・・。
冷やし中華を食べようとするとレイジの胡坐を組んだ足の間にネコのタロスケが再度潜り込んでくる。冷やし中華も食べ終わりレイジと由美が皿を片付けキッチンに向かう。由美たちが戻り、テーブルに置かれたお菓子を頬張る。
深夜1時、そろそろ時間だ。
由美はモニターの画面をテレビに切り替えた。とうとう例のアニメの全世界一斉放送開始である。しかも各国語に翻訳された字幕付きである。恐ろしいほどの人気で、ミクに言わせるとコミケで専用コーナーが設けられ何十ものサークルがしのぎを削っているらしい。
相変わらずこれが魔法少女アニメでいいのかと思いつつ画面を眺めるレイジの横でミクが作画がーとか声優がーとかワイワイ言っている。
アニメ好きの少女が何故あの詩を書けるのかと思うがあんな生活を一時でもすれば誰でもああなると寒いものを感じるレイジ。今は時々牧と会話することもあり荒んだこともない漢気溢れる作詞が出来ている。
ついにエンディングを迎える。
張り裂けんばかりのギターのイントロから始まり重厚なドラムにベースがリズムを刻みさやかのどすの利いた声が男らしい歌詞を紡ぐ。
動画共有サイトを覗けばコメントが溢れている。
どうやら視聴者にかなり気に入って貰えたようである。
エンディングを担当しているバンドの事を尋ねるコメントが増え始める。誰かが由美たちのバンドの動画がアップされているアドレスを貼り付ける。YouTubeのコメント欄を見れば『アニメを見て来たと』書き込むご新規様のコメントが付き始めた。
猫が寝ているのに飽きたのかレイジの体を上ってくる。
ちょっと痛いが可愛いので我慢するレイジ。
広い肩にちょこんと座り顔を舐めるネコのタロスケ。
「なかなか絵とあってるじゃないの」
「あたりまえやー!止め絵とはいえ作画は○○さん、コンテは○○〇さんやで!」
マニアックな解説についていけない3人。
それでもミクは興奮しながら語り続ける。
どう見ても自分の世界に入り込んでいるように見えるがレイジだけはミクの目を見て頷く。ミクの熱い語りに適当に相槌をうっている由美のスマホにメールが入る。
発信は海藤であった。
『とんでもない人から連絡があった。コーデル社知ってるだろ。ネット通販とか検索サイトやあのネットゲームも運営してる会社の社長秘書からだ。どうしよう』
コーデルインターナショナルテクノロジーズといえばアメリカのパーソナルコンピューターソフトウェア開発の草分けでありOSシェアでは世界一、今では世界的なネット関連企業をいくつも抱えた大企業である。
その社長秘書と言えばレナ・ネコースキー以外ありえない。コーデルインターナショナルテクノロジーズ社長にして大株主のマクシミリアン・コーデルに見いだされた天才である。
ネット関連の動画やゲーム事業を成功させた功労者。
しかも日本の同人漫画界では本当の貴腐人、コミケの妖精、セリフを自動翻訳するだけでなく効果音やオノマトペまで各国で通用する自動作画ツールを作って漫画業界に乗り込み世界中の漫画コミックの有料公式共通サイトを作り上げ世界の漫画を一つにした伯爵令嬢と言われている。
ちなみにマクシミリアン・コーデルは1980年代に欧州からアメリカに移住してきた歴とした元伯爵であるのでそのマクシミリアンと共に来日した時は子供なのかと問われ、秘書兼日本語通訳兼本社企画営業本部長と紹介すると騒然となり、その前から名前だけは知っていた日本の同人業界のお姉さま方からそれ以来伯爵令嬢とよばれ男たちからは真の貴腐人と呼ばれている。
「会いたいって」
「なんで」
「アニメを見て感動したみたいよ」
「アニヲタかいな!」
数日後の土曜日、由美とミクと遥が働くメイド喫茶にレイジとさやかと海藤が壁際の隅の席に座っていた。
身長が2メートルはあろうかと思われる屈強な外国人の護衛を従え一目でレナと分かる女性が現れる。メイド姿のレナは由美たちに会うと淑女らしくカーテシーの仕草で挨拶する。由美もミクも遥も慣れた仕草なので戸惑うこともなくカーテシーをし、つられてレイジもカーテシーをしそうになりさやかに止められて普通にあいさつした。
一通り挨拶が済むと全員席に座りレナから話し始めた。
熱いアニメトークが日本語でミクと繰り広げられている。
遥が男と分かると『まあ!』とかいって遥の手を握りレイジとの関係を必死に聞いている。
貸切られたメイド喫茶にいるのは数人の護衛と由美たちだけである。護衛は視線をあちらこちらに向けて時折指示を出し、レイジが護衛の男の緊迫した声を聴きあわてて席を離れて窓の外を見るとカメラを持った男が数人の屈強な外国人の男たちに捻りあげられていた。
2時間も話し込んだであろうかレナは『また会いましょうと』と言うと優雅に店を後にした。
「結局何だったのかしら」
「君らと会いたいって伝えたじゃないか」
「それは知ってたけど本当にそれだけなの」
「ああ、これも仕事だ。社長に話したら命令になった。すまなかったありがとう、これ少ないけど社長から」
レイジが覗くと十万円入っていた。
「いいんですか、何にもしてないんですけど」
「いいんだ、これもコネ作りなんだ彼らと知り合うってのは凄い利益になるらしいんだ、よく知らないけどね」
大人の世界はよくわからないがこの先どうなってしまうのか若干不安になる由美たち。
その年の冬のコミケ二日目、リビドーに突き動かされた女性たちが壁際に殺到し長い列ができた。壁際のブースには見目麗しい伯爵令嬢のような姿をしたレナが薄い本を持ってそこにいた。




