第8話 お命頂戴する③(捕物編)
一ノ瀬の手と刀に巻き付いた黒いものは、徐々に首へと移動した。
「お兄ちゃん、そろそろ返してね」
一ノ瀬は目の玉だけを女の子に向ける。
口も、手も、足も動かぬ。
子供の姿で油断したとはいえ、同時に全ての動きを封じられるとは不覚。
「陰陽師は、全ての侍の上に立つ」
女の子の声から低い声が漏れる。
同時に、一ノ瀬の首が締まり始める。
「私たちの立場を返してもらう」
(このままではまずい)
一ノ瀬は目を瞑り、体の力を抜いた。
(陰陽師が武士より格上?)
首をぎりぎりと締め上げる黒いものから意識をはずす。
焦り。
恐怖。
いらだち。
腹の底から湧き上がるもの全てを強靭な精神力で封じ込めた。
―― 息ができない。
それでも。
心の中に水面を描く。
一太刀で相手を倒す、その瞬間の時のように精神をとぎすます。
―― これらは全て、実態がない。
気がついた。
首を絞める黒いものも、手足を縛る何かも。
全て、相手の"念"でしかない。
―― ならば
一ノ瀬は目を見開いた。
己の中を巡る血の動き、神経のひとつひとつに意識を集中させる。
呼吸を止め、肺の残りの空気を感じる。
女の子に見えていた顔が、陰陽師の男の姿として、一ノ瀬の目に映し出された。
全て、相手が作り出した幻想!
幻に惑わされるな。
自分の身体が何を感じているのか。
どこに力が入り、どこが動かないのか。
それだけを確かめろ。
瞬間、体が自由を取り戻した。
大きく刀を振りかぶる。
「なに!!」
男は素早く避けた。
―― ブン
少し遅れをとり、一ノ瀬の刀が男のいた場所に振り下ろされた。
「武士の精神力を舐めてもらっては困る」
言葉を発したと同時に、肺が、全身が、空気を求めるように小刻みに震え始めた。
ゴホッゴホッ
一ノ瀬は手で口を抑え、その場に片膝をついた。
止まっていた時間が一気に早送りでもされたように、肺が空気を求める。
息を吸うたびに苦しく、目の前がチカチカした。
「私の術をやぶるとは……」
陰陽師は呆然と後退り、一ノ瀬をまじまじと見る。
「侍ごときが……」
しかし、すぐさま印を結ぶ。
(すぐに、この男を殺さねば)
男が手を振り上げた瞬間
「一ノ瀬!!!」
黒崎が刀を抜き、その場に駆けつけた。
「お前の狙いは私だろうが!」
怒りをはらんだ声で、素早く男に斬りかかる。
「来たか!
黒崎!!」
男はすぐさま印を結んだ。
黒崎の足元から、黒い蔦のようなものが湧き出る。
「通じぬ」
それらを、刀の一振りで薙ぎ払った。
(瞬時に呪を発動させる。
上級の陰陽師か)
振り払った刀の勢いそのままに、黒崎は男に斬りかかる。
男はそれを、足元から呼び出した巨大な岩で受け止めた。
(反応も早い)
黒崎は数歩後ろに下がり、一ノ瀬の近くへ寄る。
「大丈夫か?」
一ノ瀬は、言葉を発することなく、肺のあたりを抑えたままうなずいた。
黒崎は一ノ瀬の状態を瞬時に確認する。
「珍しくおとなしいな」
「今……黒崎さんの……」
荒い息づかいの中から、一ノ瀬が言葉を絞り出す。
「なんだ?」
黒崎は振り返り、一ノ瀬の顔を見た。
「今は、黒崎さんの…… 相手をするの……無理だから」
黒崎の目が細くなった。
「お前は、一度、死ね」
黒崎は男の姿をじっくり観察する。
相当な力を持つ陰陽師。
しかし ――
「幕府に仕える者ではあるまい?」
「当たり前だ」
黒崎の問いに男は苛立ちを露わにした。
(なぜ、これほどの男が職にもつかず、私を付け狙う)
「黒崎、お前は恥ずかしくないのか?
侍に利用され、陰陽の力を使うなど」
「どういう意味だ」
黒崎と男は対峙したまま、ぐるぐると回る。
時折、男の目が一ノ瀬へ向くが、一ノ瀬は膝をついたまま動くことはしない。
「侍など、後から世を刀で奪った外道よ」
(なるほど)
腰に刀を持たぬ、どこにも所属しない陰陽師。
その歴史は侍などより遥かに長い。
その誇りを、こだわりを、捨てきれずにいる者か。
「貴様の価値観など、私には興味がない」
言うと、刀を一閃。
美しい弧を描き男の胸元にひらめく。
男はそれを扇でかわす。
扇が鉄のような音をたてて、刀を弾き返した。
(扇に呪を宿しているか)
(なかなか、やるな)
男は、舞でも踊るように、黒崎の背後に回り込んだ。
扇が刃に変わる。
黒崎は刀を翻す。
しかし
―― ギィイン
黒崎の首を狙った一撃を防いだのは、一ノ瀬だった。
「ほう。動けたのか」
「余裕ぶってる暇はないのでは?」
一ノ瀬の問いに、男ははっと息をのむ。
自分の手足に、地面から伸びた白い人間の手が巻き付いていた。
「黒崎の……式か……」
「動けまい」
男は、黒崎の出した式をしげしげと見つめた。
「美しいものだ」
そんな男の喉元に、一ノ瀬の刀がつきつけられる。
「黒崎さん」
一ノ瀬は男を睨んだまま声をはった。
「どうします?この人」
「お前が私に聞くのか?」
「黒崎さんを狙っている人だから」
「処分は警察の副隊長が決めることだろ」
「副隊長だと?」
男の舌打ちが聞こえた。
「侍に罰せられるのであれば死を選ぶ」
一ノ瀬は静かに刀を下ろし、静かな声で言った。
「黒崎さんは……」
黒崎と男が同時に一ノ瀬の顔を見た。
「自分の意思で警察にいるんだから」
男が眉をひそめた。
「僕たちが、黒崎さんの力を利用しているわけではない」
「だから、なんだ?」
男はふたたび扇を構えた。
だがもう、呪は唱えていない。
「陰陽師がどうとか、侍がどうとかの前に、黒崎さんが自分で選んだことだから」
一ノ瀬は目をふせ、再びその目を開いた。
「邪魔しないでくれるかな?」
開いた一ノ瀬の目に、計り知れない殺意が浮かんでいた。
男は構えていた扇を下に下ろす。
冷や汗が出た。
なんだ、この、威圧感……。
陰陽師は念を使う。
侍は、何を使っている?
気迫……とでも言うものか……。
「そういうことだ」
黒崎は刀を鞘にしまった。
「我々の中では、陰陽だの侍だのという縛りはない」
「ただ、信念の元、同じ思いの者が集っているだけだ」
黒崎の言葉を一ノ瀬が引き継いだ。
「そうか」
男は二人を見比べる。
「そういうものも、あるのかもしれないな」
ふと自嘲的に口元を歪める。
「私が知らぬだけで」
―― 「それで?」
一ノ瀬と黒崎は相良の部屋にいた。
「その、黒崎の命を狙った男はどうなった?」
相良はあぐらをかき、顎をさする。
その目には、ありありと疑いの色が浮かんでいる。
「逃げられました」
一ノ瀬があっさりと自供した。
「逃しましたの間違いではなく?」
「逃してませんけど……」
言うと、一ノ瀬は頭を下げた。
相良の目は一切見ない。
「黒崎ぃー。
お前は、嘘はつかないな」
黒崎は無言だ。
「私は―― 」
言葉を遮るように「失礼します!!」廊下から隊士の声が部屋に響き渡る。
「警察の門の前で、商売をしている者がおります!」
相良は頭をかいた。
「なんの?」
警察の前で物を売るなど正気の沙汰とは思えない。
「それが……」
隊士が言葉を濁す。
「物を売っているわけではなく……」
一ノ瀬が顔をあげた。
「占いをしてくれるようで」
隊士が最後まで言い終わる前に、黒崎が部屋から走って出ていく。
「どう言うことだ?」
首をひねる相良に
「ここの警察の人間全員を、観てくれるらしいですよ」
隊士は嬉しそうに告げた。
「しかも無料です」
少し目を輝かせて、隊士は一ノ瀬に小声で話しかけた。
一ノ瀬がにこりと微笑んだ。
「僕たちも観てもらおう」
相良は興味なさげに鼻をならした。
「とても力のある、占い師だと思うから」




