お祭りの終わり
夕暮れが近づくにつれて、祭りの通りには少しずつ灯りが増えていった。店先に吊るされた小さな魔石灯が一つ、また一つと淡い光を灯し始め、昼間とは違った華やかさが町を包んでいく。人の数も減るどころか、むしろこれからが本番だと言わんばかりに増えていた。
私は買い物袋を抱えたアルヴィンの隣を歩きながら、気になることを見つけては彼の服の裾を指先で掴んだ。
「ねえ、アルヴィン」
「はい」
「あれは何?」
「焼き菓子でしょうか」
「その隣」
「……何かの玩具かと」
「見に行きましょう」
「はいはい」
そんなやり取りを何度繰り返したことだろう。気づけば空はすっかり茜色に染まり、通りには夕闇が降り始めていた。それでも祭りは終わる気配を見せない。むしろ夜に向かって賑わいを増しているようだった。
そして、通りの向こうから一際大きな音が聞こえてきた。ドン、と腹の底に響くような音。私は振り返った。
「今の何?」
「おそらく、花火の準備でしょう」
「花火……」
その言葉を聞いた瞬間、私の目が輝いた。
「ねえ、アルヴィン」
「いけません」
「まだ何も言ってないわ」
「お嬢様がその顔をなさった時点で、だいたい分かります」
「どうしてよ」
「どうしても何もありません」
アルヴィンは抱えている荷物を持ち直しながら、穏やかに首を横に振った。
「もう十分遅い時間です。帰りましょう」
「でも、花火よ? 昔だって見たでしょう?」
「昔のお嬢様は今のお嬢様よりずっと幼かったでしょう。それにあの時は護衛もついていました」
「今だって見たいものは見たいわ。それにどうせ、わからないように最低限の護衛はついてきているんでしょう?」
「それは分かりますが……」
アルヴィンは少し困ったように私を見た。
「お嬢様ももう年頃です。公爵令嬢であるお嬢様が、若い執事と二人で夜遅くまで町を出歩くのは感心しません」
「……でも」
「旦那様に知られたら、私が叱られます」
「私がお願いしたって言えばいいじゃない」
「聞き入れていただけると思いますか?」
「……思わない」
即答すると、アルヴィンは小さく笑った。
「でしょう?」
「……花火」
「また来年があります」
「じゃあ来年は花火まで見たいわ」
「お嬢様が望まれるのでしたら、旦那様が目立つ護衛をつけるでしょう」
「来年も一緒に来てくれる?」
「来年の話は来年いたしましょう」
私はしばらく唇を尖らせていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……分かったわ」
「ありがとうございます」
「でも今日は楽しかったから、許してあげる」
「それは何よりです」
そう言って歩き出したアルヴィンの横顔を見ながら、私も渋々その後についていく。
帰りの馬車に乗り込む頃には、空はもうすっかり暗くなっていた。ゆっくり歩けば少しくらい見れるかなと期待していたけれど、結局花火を見ることはできなかった。それでも今日一日を思い返せば、胸の奥はまだふわふわと浮かれている。昔と同じ祭りを、昔と同じようにアルヴィンと歩いた。違うのは、自分もアルヴィンも、あの頃よりずっと大きくなったことだけだ。
――それに。
私は向かいに座るアルヴィンをちらりと見た。私服姿の彼は、やっぱり少しだけ格好よかった。
「……何でしょう?」
「何でもないわ」
「そうですか」
アルヴィンはそれ以上追及しなかった。やがて馬車は公爵家へと戻っていった。
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屋敷に到着した途端、アルヴィンの足が止まった。
「……おや」
玄関ホールの奥に、公爵家当主――私の父が立っていた。その表情を見た瞬間、私は嫌な予感がした。
「お父様?」
「フィオナ、お前は先に部屋へ戻りなさい」
「え?」
父の視線がアルヴィンへ向く。
「アルヴィン。少し話がある」
「……かしこまりました」
「待って、お父様!」
私は慌てて父の前へ駆け寄った。
「私がまだ帰りたくないって言ったのよ。アルヴィンは悪くないわ」
「分かっている」
「だったら――」
「分かっているからこそ話をするんだ」
静かな声だった。怒鳴っているわけではない。それでも、有無を言わせない父親の声音に、私は口を閉じた。
「お前は部屋へ戻りなさい」
「……でも」
「フィオナ」
「……はい」
結局、私はそれ以上何も言えなかった。振り返れば、アルヴィンはいつもの落ち着いた顔で立っている。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
「……本当に?」
「ええ」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はありません」
そう言ったアルヴィンに見送られ、私は渋々自室へ向かった。部屋へ戻ると、先ほどまでアルヴィンが抱えていた荷物が、すでにメイドたちによって運び込まれていた。
「お嬢様、こちらでよろしいでしょうか?」
「ええ……」
机の上やソファの脇に、今日買ったものが次々と並べられていく。小さな包み、箱、袋。あんなに心躍って、見つけるたびに嬉しくなって買ったものばかりだ。本当なら、この光景を見ただけでまた嬉しくなっていただろう。
けれど今は、どうにも胸が弾まなかった。
「……私のせいだわ」
ぽつりと呟く。
アルヴィンは自分についてきただけなのに。自分が花火を見たいと言ったから帰るのが遅くなった。自分があちこちの店に寄ったから、帰宅も予定より遅くなった。父に「私のせい」と言っても、結局聞き入れてもらえなかった。もしかしたら今頃、アルヴィンは父に叱られているのかもしれない。
そう考えると、さっきまで楽しかった記憶まで少しだけ苦くなった。私はベッドの端に腰を下ろし、ぼんやりと荷物を眺めた。
「……せっかく楽しかったのに」
小さな声が部屋に落ちる。それでも、せっかく買ったものをそのままにしておくのも嫌だった。私は立ち上がり、机の上に並べられた包みを一つずつ眺めていく。
これは髪飾り。これは魔石細工。これは刺繍の入った小袋。
どれも覚えている。自分で選んだものだから。そして、一番奥に見覚えのない小さな箱があった。
「……これ、何?」
私は箱を手に取った。祭りで買った覚えはない。包み紙も、お祭りらしく華やかな他のものとは違う。小さな箱には簡素な紙が掛けられているだけで、店の名前も何も書かれていなかった。
私は首を傾げながら、それを開けた。
「……」
箱の中には、白い蝶の羽のような光沢を持つ、繊細なブローチが入っていた。
私は息を呑み、そっとそれを取り上げた。
白蝶貝を薄く削り出して作られたブローチだった。乳白色の表面には、貝そのものが持つ淡い虹色の光が浮かび、見る角度によってほんのりと青や桃色が揺れる。その表面には細かな彫りが施されていて、中央には一輪の小さな花が浮かび上がっていた。花びらは一枚一枚丁寧に彫り分けられ、その周囲には細い蔓や葉の模様が伸びている。さらにその外側は、まるで細かなレースを編み込んだように白蝶貝が透かされていた。繊細な模様の隙間から向こう側が見えるほど細やかな細工なのに、どこにも不自然な途切れはない。
その白蝶貝の縁を、ごく細い銀の枠が静かに取り囲んでいる。銀は決して目立たない。白蝶貝の柔らかな光を邪魔しないよう、装飾も控えめに抑えられている。それでも、透かし彫りの細かな輪郭を支えるように銀の縁が添えられていることで、全体がひとつの美しい絵画のようにまとまっていた。
「……綺麗」
私は指先でそっと花の彫りをなぞった。
白蝶貝の表面は滑らかで、細かな細工が指先に引っかかることはない。それなのに、中央の花も、その周りを取り巻く葉も、レースのような透かし模様も、眺めているだけではっきりと分かる。派手な宝石が使われているわけではない。けれど、だからこそ目を離せなかった。
淡い光を受けるたび、白蝶貝の中で色が揺れる。私はそれを胸元にそっと当ててみた。
ふと、あの日のドレスを思い出す。淡い色の生地に、幾重にも重なったチュール。細かな刺繍に施されたビーズが、蝋燭の光を受けてきらめいていた、十六歳の誕生日のドレス。
「……これ」
あのドレスによく似合う。そう思った瞬間、胸の奥がきゅっとなる。誰がくれたのかなんて、考えるまでもなかった。
けれど、どうして今日まで渡さなかったのか。どうして、あのとき何も言わなかったのか。疑問は次々に浮かんだのに、私はそれを口にする相手がいないことに気づいた。まだアルヴィンは戻ってきていない。
私はブローチを両手で包み込むように持った。さっきまで沈んでいた気持ちが、ほんの少しだけほどけていく。
「……アルヴィンの、馬鹿」
呟いた声は、思ったよりずっと優しかった。




