お祭り
待ちに待った祭りの日がやってきた。
夏の終わりを告げるように、その日は朝から町全体がどこか浮き足立っていた。普段なら静かな街道にも人の姿が多く、遠くからは祭りのために奏でられているらしい笛の音まで聞こえてくる。公爵家の屋敷にも朝から出入りする者が増え、窓の外を眺めれば、祭りへ向かう親子や若者たちが楽しそうに行き交っていた。
私も朝から落ち着かなかった。
昼を過ぎ、ようやく出発の時間になると、私は散策用に仕立てられた淡い色のドレスに着替えていた。いつもの社交用のドレスよりも裾は軽く、広がりすぎないように仕立てられている。控えめな刺繍と細いレースがあしらわれてはいるものの、華やかな祝宴用のものとは比べものにならないほど身軽だ。そして今日は、髪をまとめた上からボンネットを被っている。淡い色の布に細いリボンを結んだ上品なものだ。顔の横まで柔らかく布がかかるため、私の目立つ淡い桃色の髪はかなり隠れている。毛先の水色も、後ろからほんの少し覗く程度だ。
私の珍しい髪色はこの辺りでは有名だ。祭りのような人の多い場所で、公爵令嬢だとすぐに気づかれてしまうのは面倒だった。
「どうかしら?」
鏡の前でくるりと振り返ってから、私は部屋の入口に立つアルヴィンへ尋ねた。
「よくお似合いですよ」
そう答えたアルヴィンは、執事服を着ていなかった。白いシャツに落ち着いた紺色のベスト、その上から身体に合ったオーダーメイドの上着を羽織り、手には薄い革手袋をしている。派手な装飾品は身につけていないが、仕立ての良さは隠せない。普段の黒い執事服を脱いだ彼は、どこからどう見ても男爵家の次男である貴族の青年だった。
見慣れているはずの顔なのに、こうして私服姿を見ると印象が違う。
「……やっぱり変な感じ」
「何がでしょう?」
「あなたが執事じゃないみたい」
「本日は勤務中ではありませんので」
「じゃあ、純粋なデートってこと?」
「勤務時間外といえども、お嬢様のお出かけに付き添うのも仕事のうちです」
「……つまらないわね」
「何がでしょう?」
私はじっと彼を見つめたあと、ふっと笑った。
「デートなのに」
「買い物に付き合うだけです」
「デートよ」
「違います」
「絶対にデート」
「では、そういうことにしておきましょう」
いつものように軽くあしらわれたが、私は気にしなかった。今日はお祭りなのだ。それだけで十分楽しい。
屋敷の前には馬車が用意されていた。二人が乗り込むと、護衛も数名が別の馬車に乗り込み、町へ向かって走り出す。窓の外を眺めながら、私は嬉しそうに笑った。
「昔は毎年行っていたのよね」
「そうですね」
「最後に行ったのはいつだったかしら」
「お嬢様が社交界デビューの準備で忙しくなる前ですから、四年ほど前でしょうか」
「そんなに?」
「そんなに、です」
アルヴィンが苦笑する。
幼い頃は祭りが近づけば何日も前から楽しみにして、当日になれば屋敷を出る時間すら待ちきれず、アルヴィンを急かしていた。会場に着けばあちらこちらの出店へ駆けていき、珍しいものを見つけるたびに立ち止まる。最後には小さな袋や箱を両手いっぱいに抱えたアルヴィンの後ろを、満足そうについて歩いていたものだ。
「今日は昔みたいに楽しめそうね」
「……私は少々覚悟しておいたほうがよさそうですね」
「何の覚悟?」
「荷物の量です」
「失礼ね」
私が頬を膨らませると、アルヴィンは小さく笑った。
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やがて馬車が町へ入ると、祭りの賑わいがはっきりと聞こえてきた。
規模としては決して大きな祭りではない。それでも通りには色とりどりの飾りが吊るされ、道の両側には所狭しと出店が並んでいる。焼き菓子の香ばしい匂い、果物を煮詰めた甘い香り、焼いた肉の匂い。子供たちの笑い声に、大人たちの楽しげな話し声が混ざり合い、普段は静かな町が別の場所になったようだった。
「わあ……!」
馬車を降りた瞬間、私は思わず笑顔になった。
「アルヴィン、見て! あれ、昔もあったわ!」
「ええ。覚えております」
「あっちも行きましょう」
「まずはゆっくり歩いてください」
「分かってるわ」
そう言いながら、私はさっそくアルヴィンの腕を引いた。色鮮やかな布で作られた髪飾り。小さな銀細工。魔石を使った淡い光の小物。手作りの陶器や刺繍の入った小袋。どれも公爵家で扱うような高級品ではないけれど、祭りの出店に並ぶ品々には、店主たちの工夫と遊び心が詰まっている。
私は一軒目から足を止めた。可愛らしいガラス細工がいくつも並んでいる。ミルフィオリのブローチを見つけた私は、その中の一つに目をつけた。
「これ、可愛い」
「そうですね。お嬢様はブローチがお好きなことで」
「いけないの?」
「いいえ、結構なことです」
「そう、ならよかった。買うわ」
「はい」
アルヴィンが代金を支払い、小さな包みを受け取る。次の店では小さな銀色の髪飾りを見つけた。
「これも」
「かしこまりました」
さらにその隣では、淡い光を放つ小さな魔石細工を見つける。
「アルヴィン、これ見て」
「綺麗ですね」
「買うわ」
「……はい」
気づけば、アルヴィンの片腕には小さな包みがいくつもぶら下がっていた。
私がまた別の店へ向かおうとすると、アルヴィンが荷物を見下ろしてから、淡々とした声で言う。
「なるほど。やはり私は荷物持ち要員ですね」
「違うわ。一緒にお祭りを楽しんでいるのよ」
「そうですか。それなら私も楽しんでいることにしておきましょう」
「もう。あなたは本当に……」
文句を言いながらも、私は楽しそうに笑った。
「ねえ」
「はい」
「楽しい?」
「お嬢様が楽しそうなので、それなりに」
「それって、デートとしては合格?」
「ですから、デートではありません」
「まだ言うの?」
「私は買い物に付き合っているだけです」
「じゃあ、私が買い物を終えたらおしまいってこと?」
「そうですね」
「嫌よ。今日はもっと一緒にいたいもの」
私がそう言うと、アルヴィンは一瞬だけ目を細めた。
「……では、もう少しお付き合いしましょう」
「ふふ。やっぱりデートじゃない」
「何故そうなるのでしょう」
笑いながら、私はまた次の店へ向かった。
小さな焼き菓子を買い、祭り限定だという香り袋を買い、今度は可愛らしい刺繍の入った小さなポーチを見つけて立ち止まる。
「これも欲しい」
「承知しました」
「アルヴィン、あなたが持ってくれる?」
「もちろんです。私は荷物持ちですから」
「もう。ちゃんと一緒に楽しんでるんでしょう?」
「ええ。荷物が増えるたびに、祭りを満喫しております」
「絶対楽しんでないわ」
私は笑いながら彼の肩を軽く叩く。そうしてまた歩き始めた。
気がつけば、いつの間にか人が増えていた。小さな通りに出店が密集しているため、少し進むだけでも人の波に押される。私は目の前に並んだ色とりどりのアクセサリーに気を取られ、ほんの少し足を止めた。
その瞬間、横から人が流れてくる。
「お嬢様」
アルヴィンの声がした。次の瞬間、ぐい、と腕を引かれる。
「わっ……」
気づけば私はアルヴィンのすぐ隣に引き寄せられていた。アルヴィンの匂い、体温、息づかい。その全てが急に近付いて、私は思わず息を止めた。
「こちらです。人が多いので、離れないでください」
「……うん」
腕を掴んでいた手が離れる。私は自分の腕をちらりと見て、それからアルヴィンを見上げた。
「アルヴィン」
「はい」
「今の、ちょっとデートっぽかったわ」
「いいえ、危ないのでついてきただけです」
「またそれ?」
「事実ですので」
「じゃあ、もっと近くにいて」
私がそう言うと、アルヴィンは少しだけ困ったように笑った。
「かしこまりました」
今度は私が人波に紛れないよう、彼のすぐ隣を歩く。肩が触れそうなほど近い距離。いつもの執事服ではなく、貴族の青年らしい服装をしたアルヴィンが隣にいる。それだけで、なんとなく胸が浮き立つ。
「ねえ、アルヴィン」
「はい」
「やっぱり今日はデートね」
「……お嬢様」
「何?」
「私は荷物持ちです」
「ふふっ」
とうとう私は堪えきれずに笑った。それからまた別の出店を見つけると、今度はアルヴィンの返事を聞くより先に、その袖を引いた。
「ほら、あっち!」
「はいはい。ですが、買う前に少し考えてください」
「考えているわ」
「……そうですか」
呆れた声を出しながらも、アルヴィンは私の隣を離れない。
そしてまた一つ、荷物が増えた。




