うさぎかりすか
アルヴィンがシートの端に腰を下ろすと、レスターはさっそく彼にも話しかけた。
「水車の修理って、やっぱり難しいものなの?」
「場所によりますね。今回は軸の部分が少しずれていただけでしたので、思ったより簡単でした」
「なるほど。僕はそういうのはさっぱりだな」
二人は初対面だというのに、妙に自然に会話を続けていた。私はそれを横で眺めながら、少し不思議な気持ちになった。
そういえば、馬小屋にいたときもそうだった。レスターは馬番の人とも楽しそうに話していた。身分を意識して距離を取るというより、相手が誰であろうと普通に声をかけて、相手の話を聞いて、笑っていた。王都で会う高位貴族たちは、使用人に話しかけること自体が少ない。必要があれば呼びつけるし、礼儀正しく接する人もいるけれど、こうして同じ目線で気軽に話す人はほとんどいなかった。
レスターは、少し違うのかもしれない。それが辺境伯領で育ったからなのか、それとも本人の性格なのかはわからないけれど、私はアルヴィンが認められたようで嬉しかった。
「ところで、フィオナとは、昔から一緒なんだよね?」
レスターがアルヴィンに尋ねる。
「ええ。もうかなり長くなりますね」
「どれくらい?」
「私がこちらに来たとき、お嬢様は十歳でしたから、もう六年になりますね」
「そんな頃から?」
「はい。私は執事見習いになる前の顔合わせで、こちらへ来ました」
「へえ」
レスターが感心したように頷く。
「じゃあ、昔のフィオナもよく知ってるんだ」
「それはもう」
アルヴィンがこちらを見る。私は嫌な予感がした。
「……なによ」
「いえ」
なぜかアルヴィンは少しだけ笑った。それから、ふと頭上を見上げる。私もつられて視線を上げた。
大きな枝葉が頭上いっぱいに広がっている。木漏れ日が揺れるたび、葉の隙間から淡い光が落ちてきた。
「この木も、だいぶ大きくなりましたね」
アルヴィンが、しみじみと言った。
「そうね」
私も見上げる。確かに、立派な木だ。けれど、それがどうしたのだろう。そう思った次の瞬間、アルヴィンが何でもないことのように続けた。
「レスター様の初対面では、お嬢様は野山を駆け回っていたそうですが、私との初対面では、この木から降りられなくなっていました」
「…………」
私は固まった。
「え?」
レスターが目を丸くする。
「ちょっと、アルヴィン」
「はい?」
「どうして今、それを言うの?」
アルヴィンはまったく悪びれた様子がない。
「可愛らしかったですよ。木に登って遊んでいたところ、思ったより高くまで登ってしまったようで」
「……」
「降りられなくなって、下から見上げていた私に、『アルヴィン、どうしよう』と」
「言ってない!」
「おっしゃっていましたよ」
「覚えていないわ!」
「では、言っていないとは言えないのでは?」
「…………」
答えられない。レスターがとうとう吹き出した。
「ははっ……!」
「笑わないで!」
「いや、ごめん。でも……」
「もう!」
頬が熱くなる。けれど、レスターの笑いはなかなか収まらなかった。とうとう目尻に涙まで浮かべながら、何度か息を整えるようにしてから、私を見る。
「そうか……子うさぎだと思っていたけれど」
まだ笑いを含んだ声で、レスターは言った。
「子りすだったのかもしれないね」
「子りす!?」
「まあ、木から降りられなくなったのは事実ですから」
横からアルヴィンが淡々と付け加える。
「アルヴィンは黙ってて!」
「はいはい」
その返事まで昔と変わらなくて、余計に腹が立つ。
そして残念ながら、私も段々と思い出してしまった。
私は十歳。アルヴィンは十二歳。まだアルヴィンが執事見習いになる前で、正式に私付きになるかどうか、その前に顔合わせをした日のことだった。あの日の私は、庭を歩いていたらこの木を見つけて、どうしても登ってみたくなったのだ。木は今よりも低くて、幹は太くてゴツゴツしていて、ちょうど足を掛けて登りやすそうだった。大人たちはお酒を飲みながら話していて構ってくれないし、アルヴィンとはまだ会ったばかりで打ち解けていなくて、暇で暇でしょうがなかった私の目には、それはとても魅力的にうつった。
登ってみたら思ったより高くて。降りようと思ったら、怖くなった。そこへやってきたのがアルヴィンだった。……うん、確かに、「助けて」と言った気がする。
「……もう、その話はいいでしょう」
「そうですね」
アルヴィンはあっさり頷いた。けれど、口元にはまだ少し笑みが残っている。
「ただ、あの頃からお嬢様は変わらないなと思いまして」
「どこがよ」
「好奇心旺盛なところなど」
「それは褒めてる?」
「もちろんです」
「……本当かしら」
私が疑わしそうに見ると、レスターがまた笑った。
「いいなあ」
「なにが?」
「二人とも、昔からこんな感じだったんだね」
その言葉に、私は少しだけ黙った。アルヴィンも特に否定しなかった。
木々の間を風が抜けて、頭上の葉がざわざわと揺れる。昔と同じ木の下で、昔から知っているアルヴィンと、昔に一度だけ出会ったレスターと一緒にいる。なんだか、不思議な感じがした。
そして私は、やっぱりレスターは王都で会ってきた人たちとは少し違うのかもしれない、と改めて思った。




