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水車小屋

 三頭の馬にそれぞれ跨ると、私たちは屋敷を出た。先頭を走るのは私とレスター様。その少し後ろを、アルヴィンがついてくる。


 屋敷の敷地を抜けるまでは整えられた道が続いていたけれど、少し進めば舗装も途切れ、なだらかな草原の間を縫うような細い道へと変わっていった。初夏の風が頬を撫で、耳の横でまとめた髪がふわりと揺れる。こうして馬に乗って外へ出るのは久しぶりで、胸の奥まで風が通り抜けるような心地がした。


 後ろから聞こえる蹄の音は、一定の間隔を保っている。護衛として同行しているアルヴィンは会話に加わることもなく、私たちから少し距離を取ってついてきていた。


「気持ちいいですね、レスター様」


「そうですね。今日は遠乗りにはちょうどいい天気です」


「最近は勉強ばかりでしたから、余計に嬉しいです」


「なるほど。王都ではずいぶん忙しくされているんですね」


「ええ。先生が増えたんですもの。歴史に政治、領地経営に外国との交易、それから社交の勉強まで。最近は何をしていても『もっと淑女らしく』と言われる気がします」


 思わずため息をつくと、レスター様が楽しそうに笑った。


「それは大変ですね」


「でしょう?」


「でも、今のところは十分に淑女らしく見えますよ」


「……本当ですか?」


「ええ。少なくとも、ドレスを破く気配はありませんね」


「もう……」


 私は少しだけ頬を膨らませた。


「この前、私のことを子うさぎみたいだって言ったでしょう?」


「言いましたね」


「もう子どもではありませんからね」


「そうでしたね」


 素直に頷かれてしまい、かえって調子が狂う。しばらくして、レスター様がふと私のほうを見た。


「フィオナ嬢は、本当に乗馬がお好きなんですね」


「ええ。大好きです」


「見ていればわかりますよ」


「そんなに顔に出ていますか?」


「ええ。先ほどからずっと楽しそうです」


「……レスター様は前にも仰っていましたよね、私はなんでも顔に出るって」


「そうでしたね」


 くすくすと笑いながら進んでいると、レスター様が少し考えるような顔をした。


「そういえば、ひとつお願いしてもいいですか?」


「なんでしょう?」


「私にも、アルヴィンに対するように、もう少し気安く話していただけませんか?」


 思わず瞬きをした。


「私が、ですか?」


「はい。先ほどからずっと『レスター様』ですし、言葉遣いもずいぶん丁寧ですから」


「だって、レスター様は年上ですし……」


「それを言ったらアルヴィンも年上でしょう?」


「アルヴィンは立場が違うじゃありませんか」


レスター様は笑った。


「昔、一緒に遊んだ仲でもあるんですから。もっと普通に話してくれて構いませんよ」


「でも、私たちが子どもの頃に会ったのは一度だけでしょう?」


「それでも、でしょう?」


 そう言われると、なんとなく断りにくい。私は少しだけ迷ってから、口元を緩めた。


「……じゃあ、レスター様もやめてください」


「え?」


「私だけ変えるのは不公平でしょう。私にも気安く話してほしいなら、あなたも私に敬語を使わないでください」


 言ってから、私は少しだけ得意になった。これならお互い様だ。


 レスター様は一瞬目を丸くしたあと、ふっと笑った。


「なるほど。それは確かに」


「でしょう?」


「では……そうさせてもらいます」


 そう言ってから、レスター様は少しだけ考えるように私を見た。


「フィオナ」


 年頃の男性に自分の名前を呼び捨てにされるのは、なんだか不思議な感じがした。


「……なに?」


「これでいい?」


「うん」


 私も小さく頷く。


「じゃあ、私も。……レスター」


「はい」


「それ、敬語」


「おっと」


 レスターが声を上げて笑った。私もつられて笑う。


「慣れるまで少しかかりそうね」


「そうかもしれない」


「そう、でもそれでいいわよね」


 道はさらに草原の奥へと続いている。遠くには低い丘がいくつも連なっているけれど、目的地の水車小屋はまだ見えない。後ろからは、アルヴィンの馬の蹄が一定の間隔で響いている。それ以外は、風に揺れる草の音と、私たちの話し声だけだった。


 久しぶりの遠乗りは、思っていた以上に楽しかった。



********************



 しばらく進むと、それまで左右を草原に囲まれていた道が、ゆるやかに丘を上るようになった。坂を越えたところで視界がふっと開ける。


「あ……」


 思わず声が漏れた。


少し先にまた小高い丘がある。そしてその上に、こぢんまりとした水車小屋が見えた。木造の建物は周囲の緑に馴染むように建っていて、その脇には大きな木が一本、枝を広げている。初夏の日差しをたっぷり浴びた葉が重なり合い、その下にはちょうどいい具合に涼しげな木陰ができていた。


「見えてきたね」


 レスターが目を細める。


「ええ。あそこがアルヴィンの仕事場ね」


 丘を上りきり、水車小屋の前まで来ると、私たちは馬を降りた。アルヴィンは少し遅れてやってくると、まず私たちの馬を確認し、それから小屋の裏手へ案内した。


「こちらに繋いでおきましょう」


 三頭の馬を並べて繋ぎ終えると、アルヴィンは馬に藁と水を与え、それから 荷物を降ろし始めた。工具の入った箱や、修理に使うらしい細かな部品の入った袋など、私たちが持ってきたものとは別の荷物がいくつかある。


「では、私は見てきます」


「うん。頑張ってね」


「ありがとうございます。お嬢様方は、あまり遠くへ行かれませんように」


「わかってるわ」


 それだけ言うと、アルヴィンは荷物を抱えて水車小屋のほうへ向かっていった。私はその背中を少しだけ目で追ったあと、小屋の近くの大きな木を指差してレスターに話しかけた。


「私たちは、あそこで休みましょうか」


「そうしよう」


 大きな木の下まで行き、二人で持ってきたシートを草の上に広げる。木陰は思っていた以上に涼しく、風が葉を揺らすたびに細かな光が地面へ落ちていた。


「いい場所だね」


「でしょう? ここなら暑くないし」


「昼寝したら気持ちよさそうだ」


「それは駄目よ。せっかく遠乗りに来たんだから、食事の後にはもうひと乗りしたいわ」


 そう言いながらも、私自身、少し眠ってしまいそうなくらい心地よかった。


 料理長が用意してくれた籠を開けると、中にはサンドイッチや焼き菓子、果物、それから飲み物がきれいに詰められている。三人分ということで、かなり多めに入っていた。


「さすがに食べきれないかもしれないね」


「料理長が、レスターがどれくらい食べるかわからないから多めに入れておくと言っていたわ」


「それはありがたいな」


 レスターが笑いながらサンドイッチを手に取る。私も一つ取った。


 向こうでは、アルヴィンが水車小屋の中に入っている。何をしているのかは見えないけれど、きっと水車の状態を調べているのだろう。私はなんとなくそちらを見た。


レスターは、しばらくしてふとこちらを見た。


「フィオナ」


「なに?」


「アルヴィンが気になる?」


「え?」


 あまりに突然だったので、思わず目を丸くした。


「どうして?」


「さっきから水車小屋を見てるから」


 言われて、私は慌てて視線を手元へ戻した。


「お腹が空いてしまう前に、ちゃんと仕事が終わるのかなって思って」


「なるほど」


 レスターはそれ以上追及せず、楽しそうにサンドイッチを食べている。私はなんとなく落ち着かなくなって、手に持ったサンドイッチをようやく一口かじった。


 そのときだった。水車小屋の扉が開いた。


「……あ」


 思わず顔を上げる。アルヴィンが外へ出てきた。


 さっきまで着ていた上着は脱いだらしく、白いシャツ一枚になっている。袖は肘のあたりまで無造作に捲られていて、腕には作業でついたのか、少しだけ汚れが見えた。


 水車の横へ回り込み、何かを確認する。しゃがみ込み、部品を外し、工具を使って調整していく。普段のきちんとした執事姿とはまるで違う。私は知らず知らずのうちに、その姿を目で追っていた。


「……なるほど」


 隣から、レスターの声がした。


「なに?」


「いや」


 レスターは私ではなく、少し離れた場所で作業をしているアルヴィンを眺めていた。その目線を追うように、私は再びアルヴィンを見つめた。


「これは大変だなと思って」


「何が?」


「フィオナを好きになると」


「……え?」


 思わず振り向く。レスターは少しだけ困ったように笑った。


「恋敵が、こんなにすぐそばにいるんだから」


「……!」


 何を言われたのか理解するまで、一瞬かかった。それから、顔が一気に熱くなった。


「な、何を言っているのよ!」


「違った?」


「違うわけでは……じゃなくて!」


 自分でも何を言っているのかわからなくなって、私は口を閉じた。レスターは声を上げて笑うこともせず、ただ面白そうにこちらを見ている。


 その向こうでは、アルヴィンが何も知らない顔で水車の修理を続けていた。


 私は慌ててサンドイッチへ視線を戻した。けれど、さっきまでよりもずっと、心臓の音が大きく聞こえていた。



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