朝食
朝食の席には、父と母が揃っていた。
長いテーブルの中央には季節の花が飾られ、銀の食器と白磁の皿が朝の光を受けて静かに輝いている。焼きたてのパンに果物、卵料理に温かなスープと、いつもより少し品数の多い朝食が並んでいた。誕生日だからといって、朝からご馳走が並ぶわけではない。それでも、こうして両親と三人で食卓を囲むのは、私にとって毎年楽しみな時間だった。
「改めて、誕生日おめでとう。フィオナ」
向かいに座る父が、穏やかな笑顔でそう言った。公爵家の当主として人前に立つときには厳格な印象を与える父だけれど、家族だけの食卓ではずっと柔らかな顔をしている。
「ありがとう、お父様」
「十六歳か。早いものだな」
「お父様、それ去年も言っていたわ」
「そうだったか?」
「そうよ」
母がくすりと笑った。
「あなた、娘の誕生日になると毎年同じことを言っているもの」
「それだけ大きくなったということだろう」
「そういうことにしておきましょうか」
そんな両親のやり取りを聞きながら、私はパンにバターを塗った。二人とも機嫌がいい。今日は屋敷全体がどこか浮き立っているようで、給仕をしてくれている使用人たちの表情も普段より明るかった。
朝食が半ばを過ぎたところで、父が使用人に合図をすると、いくつかの箱が運ばれてきた。
「さて。これは私たちからだ」
最初に渡されたのは、深い青色の布で包まれた細長い箱だった。蓋を開けると、中には細工の美しい髪飾りが収められている。小さな宝石が花の形に配置され、中心には淡い水色の石が一粒嵌め込まれていた。
「綺麗……」
「今夜のドレスに合うと思ってね」
母が嬉しそうに言う。
「お母様が選んだの?」
「ええ。あなたの髪にはこの色が似合うでしょう?」
「ありがとう。大事にするわ」
母からの贈り物を手に取って眺めていると、父が今度は別の箱を差し出した。こちらには細かな装飾が施された腕時計が入っている。公爵家の令嬢が身につけるものとしては実用的すぎる気もしたけれど、文字盤の縁にはさりげなくエルヴェール家の紋章が刻まれていた。
「これはお父様から?」
「ああ。そろそろ時間くらい自分で気にする年頃だろう」
「私、今までもちゃんと時間は見ていたわ」
「アルヴィンに言われてから、だろう?」
「……」
言い返せなくなった私を見て、父が笑った。
その後も、侍女たちからから可愛らしい刺繍の施された手袋や香水、本など、それぞれが私のために選んでくれたものが次々と手渡された。私は一つ一つに礼を言った。どれも嬉しかったし、こんなふうに自分のことを考えて選んでくれたのだと思うと、胸が温かくなる。けれど、箱を受け取るたびに、私は無意識に扉の方を見ていた。
来ない。
別に、朝食の席にアルヴィンがいる必要はない。彼は執事なのだから、私たちが食事をしている間も屋敷のどこかで仕事をしているのだろう。実際、誕生日だからといって彼の仕事がなくなるわけでもない。それは分かっている。それでも、どうしても気になった。
「……フィオナ」
父の声に顔を上げると、呆れたような目がこちらを見ていた。
「何?」
「またアルヴィンのところへ行くつもりか?」
「失礼ね。ちゃんと朝食を食べているでしょう?」
「ここに来る前には行ったのだろう?」
「……」
図星だった。私は誤魔化すように紅茶へ口をつける。父はそんな私を見て、呆れたように息を吐いた。
「お前は本当にアルヴィンが好きだな」
「好きよ」
即答すると、父はますます呆れた顔になった。
「そこは少しくらい恥ずかしがってもいいところだと思うが」
「どうして? 好きなんだもの」
「まあ、そうだな」
父はそれ以上何も言わず、皿の上のパンを切り分け始めた。母はそんな私たちを見て笑っていた。
「いいじゃない。今日くらい好きな人のところへ行ったって。せっかくのお誕生日なんですもの」
「お母様まで」
「だってフィオナ、さっきからずっと扉を気にしているでしょう?」
「……気にしていないわ」
「そう?」
母は意味ありげに微笑んだ。
「それより、フィオナ。今夜のことだけれど」
「今夜?」
「もう忘れたの?」
母がわざとらしく眉を上げた。
「あなたの誕生日の祝宴でしょう。親しい方々をお招きしているのよ。あなたが十五歳のときに社交界へ正式に出たでしょう? 今年は去年より少しだけ規模を大きくすることにしたの」
「ああ……そうだったわね」
今夜のことはもちろん知っている。けれど、今の私にはそれより気になることがあるだけだ。返事に覇気のない私のことなど気にせず、母は話を続ける。
「それから、今夜着るドレスがようやく届いたのよ。昨日の夕方に届くはずだったのに、運送が遅れてしまって。あそこのドレスは本当に別格だけれど、出来上がりが遅いのだけが難点ね」
「ドレス?」
「ええ。ほら、あなたがデザインを見て選んだでしょう? オートクチュールのものよ」
「ああ、あれ」
ようやく思い出した。
春先から母とあれこれ相談して、生地の色や刺繍まで選んだドレスだ。淡い色合いを基調にしたもので、たっぷりのチュールに細かなビーズ刺繍が入っている。完成したものを見るのは今日が初めてだった。
「きっと似合うわ。夕方になったら着てみましょう。髪飾りも合わせてみないと」
「分かったわ」
「それから今夜は――」
母が今夜招いている客の名前や、挨拶をする相手、何時頃に会場へ出るのかなどを説明している。私は相槌を打ちながら、出された料理を口に運んだ。
「ええ」「そうね」「分かったわ」「忘れないようにする」
適当に返事をしながらも、頭の片隅には別のことが浮かんでいた。
アルヴィンは、今年は何をくれるのだろう。
去年は、小さな銀細工の栞だった。何の飾りもない、ごく簡素なものだったけれど、裏側には私の名前が刻まれていた。私は今でも大事に使っている。一昨年は、手袋だった。その前は髪紐で、その前は小さな菓子箱だった。どれも高価なものではない。でも、毎年ちゃんと私のために選んでくれていた。だから、今年も少しだけ期待している。……まさか、忘れているわけではないだろう。さっきだって私が十六歳になったことを知っていたし、私の誕生日を忘れるような人ではない。なら、後で渡してくれるのだろうか?昼頃かしら、それとも、今夜?確か、去年は夕方だった。私が着替えるために部屋へ戻ったとき、いつの間にか化粧台の上に置かれていた。
そんなことを考えながら、私は母の話に適当に頷いていた。
「……というわけだから、今夜はあまり遅くまで――フィオナ?」
「ええ、分かったわ」
「今の話、聞いていた?」
「聞いていたわよ」
「本当に?」
「本当」
母は少し疑わしそうな顔をしたけれど、それ以上は追及しなかった。私は紅茶を飲みながら、そっと執務室のある方角を思い浮かべた。
今年の贈り物は、何だろう。できれば、去年より少しだけ特別なものがいい。十六歳になったのだから。
そんな期待を胸の奥に抱えたまま、私はゆっくりと朝食を食べ続けていた。




