夕食
夕食の時間が近づくと、私はアルヴィンの部屋へ向かった。普段なら祝祭の日であっても、使用人であるアルヴィンが私たちと同じ食卓につくことはない。だから今日も当然のように自室で食事をとるつもりでいるはずだ。
けれど、今日はそう言うわけにはいかない。
私はアルヴィンの部屋の扉を開けるなり、書類に目を落としていた彼のすぐ横に立った。
「アルヴィン、夕食よ」
「はい。存じております」
「じゃあ行きましょう」
「……どちらへ?」
「ダイニングに決まっているでしょう?」
ようやく書類から目を離し、こちらを見上げるアルヴィン。私が彼の服の袖を引っ張ると、アルヴィンは椅子から立ち上がりながらも、どうにも納得できない顔をした。
「お嬢様。私は自分の部屋でいただきますので」
「今日は駄目」
「なぜです?」
「いいから」
それだけ言って、私はそのまま彼を連れていった。
ダイニングの扉を開けた瞬間、アルヴィンの足がぴたりと止まった。普段より少しだけ照明を落とした室内には、ささやかではあるけれど祝祭らしい飾りつけが施されている。窓辺には冬らしい枝ものが飾られ、暖炉の上には小さな花束が置かれている。テーブルの上にも控えめな装飾があり、料理が並ぶ前から、いつもの夕食とは違う空気が漂っていた。
そして何より、私の向かい側には、もう一人分の食器がきちんと用意されていた。アルヴィンはしばらく何も言わなかった。目の前の光景を見て、それから私を見て、もう一度テーブルを見る。その間、ほんの一瞬だけ、珍しく本当に固まっていた。
「……お嬢様」
「なに?」
「これは……」
「見ればわかるでしょう?」
私は笑いながら自分の席についた。
「アルヴィンの誕生日のお祝いよ」
そう言われても、アルヴィンはまだ動かなかった。やがて困ったように息を吐くと、テーブルの向かいに用意された椅子を見ながら首を横に振った。
「ですが、これは……さすがに」
「なによ」
「私は執事ですので。旦那様や奥様、そしてお嬢様と同じテーブルをご一緒するわけにはまいりません」
「なら、その執事服を脱げばいいわ」
「……はい?」
あまりにも当然のことのように言ったので、アルヴィンが目を瞬いた。私は椅子の背にもたれながら、こともなげに続ける。
「あなたは執事である前に、男爵家の次男でしょう? だったら、今日は執事としてじゃなくて、男爵家の次男としてテーブルにつけばいいじゃない」
「そういう問題ではないと思いますが……」
「私にとってはそういう問題なの」
アルヴィンは困ったように眉を下げた。けれど私は知っている。
彼は私が10の時に執事見習いとしてこの屋敷に来た。もうここに来て8年になるが、祝祭の日をここで過ごすのは今日が初めてなのだ。例年、冬の祝祭には男爵家の実家へ顔を出している。だから、誕生日当日にこうして私と同じテーブルについて、私から誕生日を祝われるのは、記憶にある限り今日が初めてだ。私は毎年、アルヴィンの誕生日には贈り物を用意してきたけれど、こうして真正面に座って、食事をしながら「お誕生日おめでとう」と言える日はなかった。今年だって、予定通り両親が帰ってきていたらアルヴィンも実家に帰ってしまっただろう。だからこんなチャンス、二度とないかもしれない。
「今日はアルヴィンの誕生日なんだから、いいでしょう?」
「ですが……」
「いいでしょう?」
「……お嬢様」
「いいでしょう?」
そのせっかくの機会だと言うのに、何度言ってもアルヴィンは頷かない。私は黙って彼を見つめた。アルヴィンも私を見る。
少し離れたところでは、執事長も料理長も黙々と準備をしている。ちらりと二人を見れば、私と目が合った料理長は、何も言わずに視線を逸らした。執事長に至っては、最初から助ける気などないらしい。こちらをチラリとも見ない。反対側の壁沿いに立つメイド長は、私と目が合うとにっこり笑って、「ファイト!」と口だけ動かした。
「……」
「……」
しばらくの沈黙のあと、アルヴィンが二人のほうへ視線を向けた。
「執事長」
「申し訳ございません、アルヴィン様。本日はお嬢様の仰せの通りに」
「料理長」
「私も同じでございます」
二人とも見事なくらい素っ気なかった。アルヴィンは首を回して今度はメイド長をみるが、彼女は私に対してしたように朗らかに笑うばかりだ。
味方がいないと悟ったらしいアルヴィンは、とうとう大きなため息をついた。
「……旦那様がなんとおっしゃるかわかりませんよ」
「大丈夫よ」
私はにっこり笑った。
「あなたが黙っていればバレっこないわよ」
「そこを私に任せるあたりが、なんともお嬢様らしいですね」
そう言いながらも、アルヴィンはとうとう観念したらしい。黒い執事服のジャケットに手をかけると、ゆっくりとそれを脱いだ。いつもの制服がなくなるだけで、不思議なくらい印象が変わる。
今日は執事としてではなく、アルヴィンとしてここに座ってもらう。それだけのことなのに、なんだかいつもの夕食よりずっと特別な夜になる気がした。
「……とはいえ、ベスト姿で食事をするわけにもまいりませんので」
アルヴィンは脱いだジャケットを腕にかけたまま、少し考えるように私を見た。
「少々お待ちください。着替えてまいります」
「ええ。待ってるわ」
そう答えると、アルヴィンはいったん自分の部屋へ戻っていった。
ほどなくして戻ってきた彼は、いつもの執事服ではなく、私服のジャケットを羽織っていた。白いシャツに落ち着いた色のベスト、その上から仕立てのよいジャケットを合わせている。派手さはないけれど、執事服を着ているときよりもずっと年相応に見えたし、何より、こうして私の向かい側に座っている姿には、いつもとは違う新鮮さがあった。
「これでよろしいでしょうか、お嬢様」
「ええ。とてもいいわ」
私は満足して頷いた。アルヴィンは少しだけ苦笑したけれど、もう席につくことには抵抗しなかった。
やがて料理が運ばれてくる。最初の皿からして、普段の夕食よりほんの少しだけ手が込んでいた。前菜の盛りつけがいつもより綺麗で、スープにも祝祭らしい飾りが添えられている。肉料理にはいつもなら使わない付け合わせが添えられ、焼き菓子まで出てきた。
けれど、あくまでも「いつもより少しだけ豪華」な程度だ。両親が戻ってきたあとで帳簿を確認されても、「祝祭の日ですから」で済ませられるくらいの、絶妙な加減である。
料理長、さすがだわ。そんなことを考えながら、私は向かいに座るアルヴィンの顔を覗き込んだ。
「美味しい?」
「ええ。とても美味しいですよ」
「でしょう?この付け合わせも美味しいわ、アルヴィンも食べて」
「はい」
料理を作ったのは私ではない。そんなことはもちろんわかっている。それでも、アルヴィンが美味しそうに食べてくれるのが嬉しくて、私は料理が運ばれてくるたびに「これも食べて」「こっちも美味しいわよ」と勧めていた。
自分でも、ずいぶん浮かれていると思う。だって、今日はアルヴィンの誕生日で、こうして二人で食卓を囲んでいる。それだけのことが、私にはたまらなく嬉しかった。
料理が進み、テーブルの上が少しずつ賑やかになっていく。私はグラスを指先で弄びながら、ふと棚のほうへ目を向けた。そこには祝祭用に用意された酒瓶が何本か並んでいる。一本くらいなら、開けても気がつかないのではないかしら。今日は両親もいないのだし、せっかくの祝祭で、何よりアルヴィンの誕生日なのだもの。
そんな邪な考えが頭をよぎった、そのときだった。テーブルの端に置いていた小さな銀色の魔法電報機が、突然淡く光った。
「……あら?」
魔力の光が何度か明滅し、短い音を立てる。私は嫌な予感を覚えながら、電報機を手に取り、魔力を流し込んだ。ふわりと文字が表示される。そこには、父からの短い文章が浮かんでいた。
――くれぐれも悪さを働かないように。
「うぐ……」
思わず、なんともいえない顔になった。向かいに座っていたアルヴィンが、私の顔を見て小さく笑う。
「旦那様は、よくおわかりになっていらっしゃいますね」
「まだ何もしてないじゃない」
「まだ、ですか」
「……してないもの」
私はそっぽを向いた。アルヴィンはそれ以上追及することなく、くすりと笑った。
結局、シャンパンの瓶は棚から出されることはなかった。さすがに父からああも念を押されては、開ける勇気が出ない。私は少しだけ残念に思いながら、代わりにグラスの水を口に運んだ。
それにしても、魔法電報というのは本当に便利だ。数年前まではまだ一部の施設や貴族の間で試験的に使われている程度だったのに、今では一般の家庭やお店でも普通に使われるようになっていると聞く。と言っても、電報を送るのにも表示するのにも魔力を要するので、紙の手紙でのやり取りは残されているが、距離がある相手にすぐに届くと言うのはやはり革新的だった。
「ずいぶん便利になったわよね」
私が魔法電報機を眺めながら言うと、アルヴィンもそちらへ目を向けた。
「そうですね。リアルタイムでやり取りができるようになったのは大きいでしょう」
「その前は、どんなに距離があっても鳥や馬で手紙を運んでいたんでしょう?」
「ええ。何日もかかったそうですよ」
「そうよね。それに今回みたいなことがあれば、連絡が取れないこともあったでしょうね。倒木だもの」
「どうですね。今では考えられませんね」
「本当ね」
私は感心しながら、光を失った魔法電報機を指先でつついた。
「そのうち、声や映像でやり取りできるようになったりするのかしら」
「可能性はあると思いますよ」
アルヴィンは少し考えてから答えた。
「ただ、細かな魔力の操作が必要になりますから。今の技術では、まだ安定させるのが難しいようです」
「そうなのね」
「声だけならともかく、映像まで送るとなると、必要な情報量も増えますから」
「へえ……」
私は頷きながら、ぼんやりとアルヴィンの顔を見る。
「じゃあ、いつか遠くにいる人とも顔を見ながら話せるようになるのかしら」
「そうなるかもしれませんね」
「便利ね」
「ええ。便利でしょうね」
なんとも色気のない会話だった。魔法技術の話をしているだけ。祝祭の夜に二人きりで交わす会話としては、あまりにも夢がない。けれど、私はそれで十分だった。アルヴィンと二人で同じテーブルにつき、同じ料理を食べて、どうでもいいような話をしている。それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。いつまでも、この時間が続けばいいのにと思ってしまう。
そんなことを考えているうちに、気がつけば料理はほとんどなくなっていた。
「……お腹いっぱい」
思わずお腹に手を当てる。
「かなり召し上がりましたね」
「アルヴィンが食べてって言ったんじゃない」
「私は何も言っておりませんが」
「言ったのよ」
「そうでしたか」
アルヴィンはいつものように、さらりと受け流した。そのとき、厨房のほうから最後の料理が運ばれてきた。
「……まだあるの?」
運ばれてきたのは、小さな白い皿に乗せられた、可愛らしいホールケーキだった。真っ白なクリームの上には、小さな果物と砂糖菓子が飾られている。蝋燭の代わりに、細い魔法灯が一本だけ、ケーキの中央で柔らかく光っていた。
「まあ……」
思わず声が弾んだ。それは私にも知らされていない、本当のサプライズだった。今日最後の、そしてきっと一番大切な料理だった。




