当日
そして、冬の祝祭当日。
――もとい。
アルヴィンの誕生日がやってきた。
朝から屋敷の中は、いつもの祝祭とは少し違う空気に包まれていた。両親がいないため、例年のような家族揃っての祝祭ではない。それでも、屋敷の者たちはそれぞれの仕事をこなしながら、どこか浮き足立っているように見える。もちろん、その理由を知っているのは私と、料理長と、執事長と、メイド長、それから今回の計画に協力してくれている一部の使用人だけだ。アルヴィンには、何も知らせていない。準備はすべて昨日のうちに済ませてあるし、贈り物も自室の奥に隠してある。食事についても、飾りつけについても、できるだけ普段の祝祭と変わって見えないようにしてもらった。
大丈夫。これなら、きっとアルヴィンは気が付かない。そう思っていたところへ、朝食を終えて自室へ戻ろうとしていた私の前に、アルヴィンが現れた。
「お嬢様。旦那様から電報が届いております」
「……お父様から?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。
まさか。まさか、何か気づかれたのではないだろうか。アルヴィンが差し出した小さな銀色の器具を受け取り、私は浮かび上がった文字へ目を向けた。そこにあったのは、思っていたよりもずっと短い文章だった。
――問題を起こさないように。あと二日以内には帰る。
「…………」
私はしばらく、何も言えなかった。問題を起こさないように。まるで、お父様がこれから何か起こることを予想しているような言い方ではないか。私は思わず隣に立つアルヴィンを見上げた。けれど、彼はいつもと変わらない顔で私の返事を待っている。
もしかして。お父様は何か聞いているのだろうか。厨房へ行ったことも、執事長のところへ行ったことも、メイド長のところへ行ったことも、考えてみれば普段の私ならそれほど頻繁にはしないことだ。使用人たちの誰かが、うっかり話してしまった可能性だってある。
私は少しだけ不安になった。けれど、お父様が何を察していたとしても、今ここにはいないんだから邪魔されることはない。今はそれよりも、アルヴィンの誕生日を無事に祝うことのほうが大切だ。
「分かったわ」
私は銀色の器具をアルヴィンへ返しながら、できるだけ何でもないことのように言った。
「お父様には、なにも起きていないって伝えておいて」
アルヴィンが、ほんの少し眉を上げた。私は構わず続けた。
「『なにも問題は起きておりません』って。それから、祝宴はお父様とお母様が戻ってきてからお祝いしましょう、と伝えて」
「…………」
「今日はささやかなお祝いをして、早く寝ますね、って」
我ながら完璧な返事だった。
両親を心配させない、模範的な娘らしい言葉。祝祭を勝手に変更するつもりなどありません、両親が戻ってくればきちんと家族で祝います、今日は大人しく過ごします――そう聞けば、お父様だって安心するだろう。もちろん、その「ささやかなお祝い」が誰のためなのかは言わない。
私は内心で満足していたのだけれど、目の前のアルヴィンは、なぜか納得のいかない顔をしていた。それは、何かを疑っているというよりも、むしろ私の返事そのものに呆れているような表情だった。
「……お嬢様?」
「何?」
「随分と聞き分けがよろしいですね」
「そう?」
「ええ」
アルヴィンは銀色の器具を手にしたまま、私を眺めている。その視線に、私は少しだけ居心地が悪くなった。
「両親が不在だからといって羽目を外すこともなく、祝宴は両親が戻ってからにする。今日はささやかなお祝いだけして、早く寝る、と」
「ええ」
「…………」
「何よ」
「いえ」
アルヴィンは少し間を置いてから、なんとも言えない顔で微笑んだ。
「随分と立派なお嬢様になられたものだと思いまして」
「どういう意味?」
「いえ。何でもございません」
明らかに何でもない顔ではなかった。私は少しむっとしたけれど、ここで言い返して余計なことを口にするわけにはいかない。今日ばかりは、何を言われても優等生のお嬢様で通すのだ。
「だって、お父様とお母様が帰ってこられないのよ? 家族でのお祝いを勝手にするわけにはいかないでしょう?」
「それは、まあ……」
「だから、戻ってきてから改めて祝宴をするの」
「はい」
「今日は大人しくするわ。いつもよりちょっとだけいい夕飯にしましょう」
「…………」
また、その顔。どうしてそんなに疑わしそうなのかしら。
私が不思議に思っていると、アルヴィンは小さく息を吐いた。
「承知いたしました。そのようにお伝えしておきます」
「お願いね」
「はい」
アルヴィンはそれ以上何も言わず、電報の返信をするために踵を返した。私はその背中を見送りながら、ようやく胸の内で息を吐いた。
今日はアルヴィンの誕生日。両親が帰ってくるまでの、たった一日だけの秘密のお祝いだ。私はアルヴィンに気づかれないように口元を緩め、今日の準備を確認するために部屋を出た。




