邪神招来 中編
チャイムが鳴ったのは、夜も更けきった時刻だった。
晩御飯の途中で、雅也と紫は同時に顔を上げ、互いを見た。
「……こんな時間に来客なんて」
紫がいたずらっぽく笑う。
「嫌な予感しかしないね、先生」
「やかましいわ」
雅也は箸を置きながら唸った。
「もう慣れた。客にしろトラブルにしろ、ろくなもんやない」
「慣れるのもどうなんだろうね」
「俺もそれは同感や」
立ち上がってドアホンを覗く。画面に映っていたのは、女子高生だった。制服には見覚えがある――桃花と同じ学校のものだ。
ひどく取り乱している。息が上がり、顔は蒼白だった。
雅也は早足で玄関へ向かい、引き戸を開けた。
「――っ」
女子高生が、転がり込むように飛び込んでくる。雅也はすぐに引き戸を閉めた。
「なんや、あんた」
振り返り、彼女を見る。
「こんな時間に、えらい慌ててるようやけど――」
「すみません……!」
声は震えていた。
「私、水見さんと同じクラスの、白石胡桃と言います。助けてください……追われてて……」
言葉の途中で、涙がこぼれる。
「ああ、どうして、こんな……」
「一体、何に――」
雅也が言いかけた、その刹那。
背後で、引き戸が消し飛んだ。
木片が舞う暇すらなかった。まるで最初から何もなかったかのように、玄関の戸が消え、そこに――
佇んでいた。
不動明王を思わせる、禍々しい剣を携えた石仏。
全身は苔むした石でできているはずなのに、纏う気配だけが、生々しく周囲の景色が揺らめく。
(まずい)
雅也がそう感じた瞬間、石仏の足元から火柱が噴き上がった。
「――っ!」
胡桃の悲鳴が響く。雅也はほとんど反射で彼女の腕を掴み、居間へと引きずり込んだ。
廊下で紫と鉢合わせる。
「先生、今の――」
「居間戻れ、はよ」
短く言い捨て、雅也は胡桃を連れて居間へ飛び込むと同時に、今の入り口へ向けて結界を張った。
パン、と空気が張る音。
だが。
近づいてくる足音は、止まらない。
「……いつもより焦ってる感じがするけど、これ、やばいやつ?」
紫が低く聞く。
「やばいっちゅうか」
雅也は懐から拳銃を抜いた。左手の指が、無意識に何かを探るように懐の奥へ動きかけて――止まる。
「詰んでる可能性があるのう」
言い終わるより早く、居間の入口に何事もなかったかのように石仏が現れる。結界ごと、素通りしてきたのだ。
紫が、震える胡桃を庇うように前へ出た。
雅也は銃を構え、迷いなく引き金を引く。
一発、二発。
銃声だけが、やけに大きく響いた。
石仏はそれを受けてなお、歩みを止めない。傷どころか、削れた欠片の一つも落ちなかった。まるで銃を撃ったことにすら気づいていないかのように、剣を振り上げる。
「っと――」
紙一重で躱す。着地と同時にさらに数発撃ち込むが、結果は同じだった。
(……こら、あかんやつや)
雅也の背に、冷たい汗が伝う。
――詰んでいる。
その言葉が、頭の中で嫌な重さを持って居座った。
同じ頃。
雅也の家からほど近い路地に停めた黒塗りのベンツの中で、加藤蓮は携帯を耳に当てていた。
「――ああ、俺だ。今、奥川雅也の家の前にいる」
紫煙をゆっくり吐き出す。
今頃ちょうど、家の中で暴れている頃だろう。加藤は口の端を歪めた。
奥川の主な武器は虚空聖鉄の弾丸だ。虚空蔵菩薩の力を宿している銀の弾丸、対怪異には全特効の代物だ。しかし……
煙を吐く。
神仏由来の怪異には効かない。そして今回用意した怪異は邪神系だ、相性は最悪のはずだ。
中禅寺静が助太刀に来る可能性ももちろん考慮に入れている。奥川があいつに教わった術も似たようなものだ。中禅寺は巫女の家系、神道系だ。これもまた分が悪い。
加藤は煙草を灰皿に押しつけながら、笑う。
中禅寺静に泣きついたところで、どうにもならない。……それに
奥川雅也は甘い。いや――甘くなった、が正しいか。今のあいつは、助けを求める子供を見捨てられない
終わりだな。奥川雅也。
――居間では。
紫が素早く回り込み、石仏へ渾身の連撃を叩き込む。だが石仏は微動だにせず、振り抜いた紫の拳から鮮血が飛んだ。
「っ……くそ、痛……」
紫が握った拳を庇うように引く。拳に血が滲んでいる。
「やめろ」
雅也が鋭く制する。
「お前の拳が壊れるだけや。こいつ連れて二階行け」
「先生は!?」
「ここで時間稼ぐ。今、別の手考えるわ」
言うが早いか、雅也は弾倉を交換し、再び石仏へ撃ち込んだ。
今度は違う。銃声の後、石仏の巨体が、わずかにたたらを踏んだ。
(通常の弾丸に切り替えた……物理でなら、多少は押し返せる)
だが、それだけだ。
押し返しているだけで、倒せているわけではない。
時間稼ぎにしかなっていないことは、雅也自身が一番よく分かっていた。
「今度は対物ライフルを注文せんといかのう」
自身を励ますように軽口を叩く。
壁際まで後退したところで、弾切れになる。
雅也も踵を返し、階段を駆け上がった。
「先生、敵は!?」
二階へ転がり込んできた雅也に、紫が左手だけで詰め寄る。右手はだらりと下げたままだった。
「まだピンピンしとるわ」
「どうするの、あれ」
「詳しい事情、聞いて手を打ちたいとこやけど――」
時間が、圧倒的に足りない。
雅也は面倒臭そうに舌打ちすると、胡桃の方へ向き直った。
「……えっ」
胡桃が、唖然とした顔で雅也を見上げる。
まさか。
その一言が浮かぶ前に、雅也はもう距離を詰めていた。
「悪く思うなよ」
「先生、やめてよ……! 何する気――」
紫の声が、悲鳴に近い高さに跳ね上がる。
――それきり。
雅也の家から、邪神の気配が、忽然と消えた。
ベンツの中で満足げに頷いた。
「――そろそろ終わ」
言いかけて、言葉が止まる。
耳を澄ませると、家の中からは確かに人の気配がする。
雅也と紫の、甲高い声も聞こえてくる。
(……あれ?)
加藤は煙草をもみ消し、家の方を見た。
邪神の気配は、消えている。だが、雅也たちの気配は残っている。
それも、悲鳴に近い声で、何やら騒いでいる。
「……は?」
加藤の顔から、笑みが引いていく。
「ちょっと待て。どういうことだ」
「あの邪神が、なんで……」
煙草を持つ指先が、かすかに震える。
「どうやって祓ったんだ。あれ、邪神だぞ……」




