猫の嫁
神代の舎弟だという男は、一目見ただけで堅気ではないと分かった。
胸元の大きく開いたシャツ。
派手な金髪。
耳にはいくつものピアス。
両腕には意味不明な紋様のタトゥー。
そして妙に軽薄そうな笑み。
雅也は煙草を咥えながら思った。
(神代の周りにはろくな人間がおらんのか)
「桜川竜間っす」
男は人懐っこく笑った。
「で、依頼なんすけど」
「帰れや」
「まだ何も言ってないっす!」
「神代の舎弟の依頼やろ。嫌な予感しかせんわ」
「ひどいなぁ」
居間の隅で漫画を読んでいた紫が顔を上げる。
「うーん、ずばり女絡みでしょ」
「正解っす。お嬢は勘がいいっすね」
「お嬢って……」
なんとなく、言われたことない呼ばれ方にまんざらでもない態度の紫。
「違う違う、聞いてくださいっすよ」
桜川は身を乗り出した。
「俺、猫娘と寝たんです」
沈黙。
紫が本を閉じる。
雅也は煙草を灰皿へ押し付けた。
話を聞くとこうだった。
飲み屋で知り合ったたまたま知り合った女がいた。
名前は玉田薫といい。意気投合し一緒にしこたま飲み明かしたらしい。そのままお互いかなり酔っぱらっており、ノリでその玉田薫の家へ行く事になった。そのまま勢いで一夜を共にするが問題はその後だった。
「途中からその女の身体中に毛が生えてきたんすよ。こううっすらと本当獣の肌みたいな感じになって」
「聞けば、聞くほど不用心やのう。若さ、バカさとはよく言うたもんや」
「ひどいっす!けど旦那だって若い時は似たような経験あるでしょ」
「それを言われると立つ瀬がないのう」
煙草の火をつけ、苦笑いの雅也。
紫が後ろで冷めた目でこちらを見ている。
「俺の事はええわい。さっさっと続きを喋らんかい」
「耳が猫みたいに尖って、尻尾まで生えて!まるで人の形をした獣のようになったんですよ」
「よう、喰われんとここに来れたのう」
「すっごい、気持ちよくて」
「聞いてへんわい」
「で?」
紫が呆れた顔で聞く。
「朝起きたら消えてたんです。影も形もってやつっす」
「ほう」
「で、いろんな所を捜したんっすけど、手掛かりもつかめなくて。けどあの人とも獣ともつかないあの子がなんか忘れられなくて。兄貴に相談したら、ここを紹介されたってわけっす」
「ただヤリたいだけじゃん」
「ちっ、ちっ、お嬢、これは愛だよ」
「あっそ。違うと思うけど」
視線を漫画に戻す。紫からするとチャラ男の情事に興味がないらしい。
結局。
神代への借りもあり。
雅也は調査を引き受けた。
「なんで薫ちゃんは消えたんっすかね」
帰り際、桜川が呟いた。
笑みは消えていた。
「なんか、怖がらせてしまったのかなって」
雅也は煙草に火をつけながら、横目で男を見た。
(まぁ、正体がバレて消える怪異は珍しくないし、捜すとなると苦労しそうやけどな)
何も言わなかった。
玉田薫のアパートは既にもぬけの殻だった。
家具はあるものの。生活感はなく。本当に玉田薫なる人物がここに存在したのかさえ疑わしかった。
まるで最初から誰も住んでいなかったようだ。
「何もないね」
紫が呟く。
「出ていく前提やったか、そもそも、ここにはおらんかったか」
雅也はしゃがみ込んだ。
押し入れの奥。
床板の隙間。
そこに一枚の古びた写真が挟まっていた。
古い寺のようである。鳥居に石段、そして周囲には大量の猫。
写真の裏には住所が書いてある。
「わざとらしいのう」
雅也が呟いた。
「ここに来いって事?案外簡単に見つかったね。あいつ、ちゃんと探したのかよ」
紫も同意する。
さらに管理人へ話を聞いた。
「玉田さん?」
老婆は首を傾げる。
「変わった子だったねぇ」
「どの辺が?」
「夜しか出歩かない。だから私は夜職の子だと思っていたよ。いきなりいなくなって、やっぱり今時の子はなってないねぇ」
「ほう」
「あと猫」
「猫?」
「野良猫がみんな懐いてたよ。どこからともなく集まってきてね。猫ってああいう子に懐くもんなのかねぇ」
老婆は遠くを見るような目をした。
「なんか、寂しそうな子だったよ。まさか、あの子事件にでも巻き込まれたんじゃ」
大家は突如心配そうな表情をする。
「それを今、調べとるところですわ」
「ところでお宅は刑事さんか、何か?」
「まぁ、そんなとこですわ」
帰り道。
紫が言った。
「先生」
「なんや」
「見つけて欲しいみたい」
雅也は煙草に火をつける。
「逃げる奴は痕跡を消す」
煙を吐く。
「見つけて欲しい奴は痕跡を残す」
「つまり?」
「十中八九、罠やろなぁ」
「罠だとしても行くの?」
雅也は少し間を置いた。
「……まぁここまで来たら行きがけ駄賃や。ぎりぎりまで付き合ったったらええやろ」
紫は何も言わなかった。
ただ小さく笑った気がした。
数日後。
目的の村へ到着した。
山奥。
雪景色。
人影はない。
静かだった。
異様なほど。
山の気配も、風の音も、鳥の声も、何もかもが遠い。
あるのはただ、白い雪と。
猫だけだった。
一匹。
二匹。
三匹。
十匹。
二十匹。
数え切れない。
どの猫もこちらを見ている。
鳴きもしない。
ただ見ている。
黄金色の目が、一斉に三人を映していた。
「さながら猫の村って感じやのう。猫しかおらん」
雅也が言った。
「前、友達と行った猫カフェがこんな感じだったよ。どこもかしこも猫だらけ」
「ここまで多いとなんか不気味やのう」
その時だった。
「竜間?」
声。
振り向く。
そこに玉田薫が立っていた。
白い着物。
雪の中に溶け込むような佇まい。
目が合った瞬間、猫たちが一斉に動いた。
ただ猫が同時に反応しただけだが、その統一された動きが、何か大きなものの意志を感じさせた。
綺麗ではある。桜川が虜になるのもなるほどどうして理解は出来る。しかし、その美しさはどこか人間離れしていた。
「薫!」
桜川が駆け寄る。
「会いたかった!」
薫は少し驚いたように目を見張り、それからゆっくりと微笑んだ。
「……私も」
小さな声だった。
桜川は立ち止まった。
「なんでいなくなったんだよ。心配したじゃないか」
「ごめんなさい。私、正体がバレちゃったから、もうここにはいられないって思って」
「なんでだよ。そんな事で消えたのかよ。俺がそんな程度で怖気づく男じゃないぜ?」
「竜間は珍しいね。普通、怖がると思うけど」
薫は静かに言った。
「全然、むしろ、ビビッて来たね」
「馬鹿ね」
「いやいや、恋ってそういうもんだろ」
薫は黙った。
猫たちが鳴かずに見ている。
「じゃあ俺ら帰るわ」
雅也は即答した。
「えっ!?」
桜川が振り向く。
「奥川さん、ありがとうございます。おかげで再会できたっす」
「一応、忠告したるけどこっからは保証はないぞ」
「分かってますよ。けどその程度で退くならそれは恋じゃないっす」
「お前がそう言うなら俺からは言う事はないわい」
「奥川さんも頑張ってくださいっす。」
「なんで俺が頑張るねん」
「いえ、なんとなく奥川さんは俺と同じ感じなんだろうなって思って」
「やかましいわ。なんで俺がお前と同じやねん。もうええ、行くわ」
雅也は紫の手を引き、踵を返す。
二人は雪の中を並んで歩き始めた。
村の奥へ。
静かに消えていった。
猫たちが、二人を囲むようにして後をついていく。
まるで花道でも作るように。
その後ろ姿を見送り。
雅也は煙草を吸う。
「先生」
「なんや」
「あれ、絶対ダメなやつだよね」
「多分な。まぁ本人が納得しとるんやからええんとちゃうか」
「なんか今回は妙にあっさりだね?」
「実際、会うてみて、そこまで悪い感じはせんかったからのう。ひょとしたらひょっとするかもしれん」
「確かにいつもの嫌な感じなかったかも」
「せやから、ハッピーエンドにベットしたんや。部の悪い賭けやないはずや」
「先生は何も賭けてないしね」
「そういう事や」
雪がまた、静かに降り始めた。
正月。
年賀状が届いた。
【結婚しました】
写真。
桜川。
薫。
そして大量の猫。
「先生、賭けは勝ちみたいだよ」
紫が言った。
「言うたやろ、悪い賭けやないって」
雅也はさして驚きもせずちょっと嬉しそうに年賀状を見る。。
【家族が増えました】
赤ん坊が写っている。可愛らしい顔だ、嬉しそうにこちらに向かい笑っている。
「可愛い。この感じは薫さん似かな」
紫はどこか嬉しそうに言う。
雅也は黙った。
写真を凝視する。
「先生?どうしたの?」
赤ん坊の瞳。
薄く開いたその目。
縦に裂けた、猫の瞳孔。
沈黙。
雅也は長い時間、その写真を見ていた。
「まぁ」
煙を吐いた。
「ええやろ」
紫は写真を見た。
雅也を見た。
再び写真を見た。
「……人と怪異のハーフって事?」
「そういう事になるな。珍しいがない事はない事例や」
「学校とかどうなるんだろう」
「そもそも、怪異は戸籍の問題もあるし、いろいろ面倒やろな」
紫はしばらく写真を見ていた。
それから、小さく笑った。
「……猫娘の子供か。ここまでくればこれはもう、愛?」
「愛やろな」
雅也は煙草に火をつける。不思議と悪い気はしなかった。
窓の外で。
どこからともなく猫の鳴き声がした。
雅也は煙草を咥えたまま、少しだけ目を細めた




