刀が消えた夜
――兵庫県姫塚市周辺で通り魔事件が連続発生。
犯人は日本刀のような刃物を所持しており、現在も逃走中――
ニュース番組のアナウンサーは淡々と事あらましを語っている。
「また物騒だね。結構、近所だよ」
居間。
雅也は煙草をくわえたまま神妙な面持ちで考え事をしているようだった。
「もしかして犯人に心当たりあったり?」
「昨日、神代から話聞いたとこや」
灰を落とす。
「刀や。妖刀。確か銘は備前長船やったかな」
「妖刀? 持ったら頭おかしくなるとか言う?」
「まぁ大体合っとる。もともと刀には人を惑わす魔力みたいなもんがあってそれが特に強いのがいわゆる妖刀とか呼ばれるわけや」
雅也は煙を吐いた。
「元々は灰羽組の先代組長、仙波清光の持ちモンや。あのおっさん、骨董集めが趣味でのう、よう出入りの骨董商からわけのわからんもんをよう買うとったんや。その刀もそのおっさんのわけのわからんコレクションのひとつなんやがこれが曰く付きの刀でな。殺人現場にあったとかなかったとか。ただ持つ者の精神に異常をきたす。おっさんもようこの刀持って自宅で錯乱状態で暴れたりしとったらしい」
「うわ、迷惑。そんな刀捨てちゃえばいいじゃん」
「せやけど腐っても長船や先代も頑なに手放したがらんかったから仕方がなく普段は厳重に封印しとったんやが……」
そこで雅也は眉間を押さえた。
「アホな若い衆が盗みよった。佐久間いう二十二の部屋住みの小僧や。組の中では目立たん、普通の奴やった」
「なんでまた」
「単純に売って金にしよう思ったんやろ。厳重に隠してのをたまたま見つけてこりゃお宝やと」
紫は呆れた顔をした。
「で、その結果が通り魔?」
「せや」
雅也は立ち上がる。
「組としては警察に捕まる前に回収したい。内々で終わらせたいんやと」
「極道って大変だね」
「今時組員が組の刀持って暴れて逮捕されましたなんて組の存続にも関わる。極道はな現代社会では吹けば飛ぶような存在や」
煙草を揉み消す前に、雅也はふと紫を見た。
「今日は、これ着とけ」
ぽん、と投げてくる。
受け取る。黒い、分厚いシャツのようなものだ。
「……なにこれ?」
「防刃ベストや。お前は来んな言うても来るやろ。万が一があってからでは遅い」
「なんでこんなもんが普通に家にってこれ、本当に大丈夫?」
「知らん。そもそも来い言うてない」
紫はしばらくベストを眺めてから、無言で袖に腕を通した。
「ほな行くぞ」
深夜。
シャッター街。
人気の消えた商店街には、風の音だけが流れていた。
街灯がちらつく。
遠く。
カラン、と音がした。
誰かいる。
男だった。
背を向けて立っている。
黒いコート。
右手には、日本刀。
だが——ただの人間じゃない。
空気が違う。
異様に張り詰めている。
まるで彼だけが別の時間を生きているような、そんな静けさ。
「……おったな。こういう時、組の情報網言うは役に立つのう」
雅也が呟く。
男がゆっくり振り返る。
目が濁っていた。
だがその奥に、妙な静けさがある。
「……来たか」
低い声。
「佐久間」
雅也は顔をしかめた。
「お前、まだ意識あるんか」
男——佐久間は刀を撫でる。
まるで恋人に触れるように、ゆっくりと。
「素晴らしい刀だ」
「頭が澄み渡る。知ってるか。人を斬るというのはこんなにも気持ちがいいものなのか。これに比べればどんな酒も水にも劣る」
「典型的に飲まれとるな」
雅也は肩を竦める。
「その刀、返してもらうで。お前みたいなシャバ憎にはちと過ぎた刀やからのう」
佐久間は静かに構えた。
その瞬間。
空気が変わる。
殺意ではなかった。
もっと静かな、確信のようなもの。
自分が世界で一番強いと信じきった者だけが持つ、あの無音の圧。
紫が眉をひそめる。
「……来る!」
地を蹴る。
同時。
佐久間が消えた。
「っ!」
紫の横を刃が走る。
とっさに反射でしゃがみ間一髪で避ける。
横にあった電柱が斜めに滑り落ちた。
ズズ、と崩れる。
「冗談みたいな切れ味やな」
雅也が発砲する。
轟音。
だが。
佐久間は弾道を読み、横へのステップで躱す。
「銃など」
「遅い」
次の瞬間。
雅也の懐へ踏み込む。
速い。
異常な速度——練習で身につけた速さじゃない。
本能だけで動いている獣の速さ。
雅也が後ろへ飛ぶ。
「おいおい、なかなかに人間やめとるのう。弾丸避けんなや」
佐久間は無言。
ただ静かに殺意だけを向けてくる。
その様子を見て、紫が小さく舌打ちした。
「先生」
「こいつ、私の動きも見てる」
「ああ」
雅也は短く返す。
「剣豪気取りやな。全部読みながら戦っとる」
その瞬間。
紫が背後へ回る。
低い姿勢からの水面蹴り。
だが。
佐久間は振り向きもせず跳躍して躱す。
読まれている。振り向きざまの一閃が紫の肩を襲う。
「っ!」
紫の目が見開く。
斬られる——
斬撃音。
紫の身体が吹き飛ぶ。
地面を転がる。
だが。
斬れていない。
「……?」
初めて佐久間の表情が揺れた。
紫は咳き込みながら笑う。
「っは……残念」
上着を叩く。
裂けた布の下——黒い防刃ベスト。
「最近物騒だからさ。先生が着ろって」
佐久間が困惑する。
ほんの一瞬。
動きが止まった。
その瞬間。
雅也が笑う。
「さすがに切れへんやろ。特殊合金性や。」
雅也は間髪入れず距離を詰める。右手に持っていた特殊警棒を伸ばす。
左手で刀身を掴むと警棒を刀の横に振り下ろす。
乾いた音。
長船の刀身が真っ二つに折れる。
その瞬間。
佐久間が絶叫した。
「ァァァァァッ!!」
まるで刀と神経が繋がっているようだった。——そんな叫びだった。
同時に。
佐久間の身体から黒い煙のようなものが噴き出す。
絶叫。
そして。
沈黙。
男は崩れ落ちた。
静寂。
「……終わった?」
紫が息を整える。
雅也は煙草を取り出した。火をつける。
「多分な」
「"多分"って何」
雅也は足元を見る。
折れた刀——のはずだった。
そこにあるべき刀がない。
「……あ?」
紫も気づく。
「刀、ないじゃん」
雅也は深くため息を吐き、煙草に火をつける。
「長船だけ逃げよった。あの妖刀は刀自身が動けるとは。ちと甘かったのう」
紫は一瞬黙った。
「……つまり」
「せや」
雅也は吸いかけの煙草を揉み消す。
「また誰かが、あの刀を拾う」
とある骨董店。店は雑然としていてどこに何があるか、店主も把握していない。
常連の客が何やら嬉しそうに声をかけてくる。
「これ長船じゃない」




