夜道のタクシー
寿司屋を出た途端、紫が腕を組んだ。
「なんでお酒飲んじゃうの。車で来てるのに」
雅也は靴を鳴らして歩きながら言う。
「あんな美味い寿司を酒なし食えるかい。お前かて気づいたん途中からやろ」
「気づいた時にはもう飲んでたじゃん!」
「ほな止めろや」
「止めたよ!」
「止まらんかったやろ」
「先生が聞かなかったんでしょ!」
やいのやいの言い合いながら歩いていると、ちょうどタクシーが流れてきた。
雅也が手を上げる。
「おーい」
タクシーは静かに寄ってきて止まった。
二人が乗り込む。
「○○町まで頼むわ」
車は夜の道を滑るように走り出す。
しかし後部座席ではまだ口喧嘩が続いていた。
「だいたい先生はさぁ」
「お前が細かいねん」
「細かくない!先生が大雑把過ぎ」
「男の一人身はだいたいこんなもんやろ!」
「そこは男女関係ない!」
前からくすりと笑い声。
「まぁまぁ、その辺で。仲がよろしいですな」
雅也が顔を上げる。
「これのどこが仲ええように見えんねん」
「こう見えて私、洞察力には少々自信がありましてね」
バックミラー越しに運転手の目が光る。
「お客さんの職業なんかも、だいたい当てられるんですよ」
雅也がにやりとする。
「ほう、おもろいなぁ。ほな運転手さん、俺の職業は何に見える?」
隣で紫が肩を震わせている。こいつ、オチを見透かしとるな。
運転手は少し考えた。
「そうですねぇ……」
ミラー越しに雅也を観察する。
「ぱっと見、その筋の人に見える」
紫が吹き出しそうになる。
「ですが、眼光の鋭さにその筋特有の匂いがない」
雅也は黙って聞いている。
「となると……そうですな」
運転手は自信満々に言った。
「マル暴の刑事さんじゃないですか?」
一瞬の沈黙。
紫が盛大に吹き出した。
「ぶはははは!」
雅也は呆れた顔。
「全然違うわ」
紫は涙を拭きながら言う。
「当たらずとも遠からずじゃん!」
「どこがやねん」
「ある意味さすがかなって思った」
雅也はため息をつく。
紫がふと思いついたように言う。
「じゃあさ、運転手さん」
「はい?」
「私たちの関係はどう見える?」
運転手はまたバックミラーを見る。
「そうですな……」
少し首を傾げる。
「親子には見えませんな。なんとなく雰囲気的に」
紫がむっとする。
「先生と呼んでいるが、学校の先生と生徒にも見えない」
雅也が笑う。
「ほう」
「師弟関係ですかな。柔道か何かの」
紫が不満げに言う。
「全然違うよ」
雅也が肩を揺らす。
「なんでや。これこそ当たらずとも遠からずやろ」
紫はそっぽを向いた。
――その時だった。
雅也がふと窓の外を見る。
視線が、止まった。
山道。
街灯もない。
両側を木々が壁のように塞ぎ、ヘッドライトの先に道だけが続いている。
雅也の目が細くなる。
運転手を睨む。
「あんた」
低い声。
「どこに向かってるんや」
運転手が、静かに笑った。
「お客さん」
「幽霊とか、見えます?」
雅也の声が冷える。
「質問に答えろや。どういう――」
その瞬間。
エンジンが唸った。
車の速度が一気に上がる。
「私はね」
運転手が言う。
「割とよく見えるんですよ」
バックミラーの顔。
「よく乗せたりするんです」
紫が眉をひそめる。
「それがどうしたって言うんだよ。さっさっと止めなよ」
運転手の額から、
どくどくと血が流れ始めた。
「そして、ある時気づいたんですよ」
血が頬を伝う。
顎の先から、シートに落ちる。
「自分が、とっくに死んでいたことにねぇ」
狂った笑顔で振り向く。
その瞬間。
「死ね!」
紫が後ろから運転席を蹴りつけた。
凄まじい衝撃。
座席がひしゃげ、運転手がハンドルに叩きつけられる。
エアバッグが弾ける。
首がありえない方向に曲がる。
だが。
運転手は嗤っている。
アクセルがさらに踏み込まれる。
車は狂ったように加速した。
「先生!」
雅也が銃を抜く。
響く轟音。
数発撃ち込む。
運転手は止まらない。どころか、笑い続けている。
紫がドアを蹴り飛ばす。
ドアが吹き飛び後方へ凄まじい勢いで転がっていく。
しかし速度が出すぎて飛び降りられない。
そのとき紫が気配を感じた。
足元ではない。
もっと奥。
車の、芯。
「……下か」
座席の深いところで、何かが蠢いている。
紫は拳を振り上げた。
アームハンマー。
座席がめり込む。
ぎゃあああああああ!!
響いた悲鳴は、人間の声ではなかった。
鉄とゴムが軋み、車そのものが絶叫しているようだった。
雅也が舌打ちする。
「そういう事かい」
銃口を座席へ向ける。
再び数発の轟音。
凄まじい断末魔。
エンジンが悲鳴のように唸り、
車が急停止した。
静寂。
二人は車から降りる。
雅也が前を見る。
山道はその先で途切れていた。
断崖絶壁。
あと数十メートルで落ちていた。
紫が肩を回す。
「ギリギリセーフだったね」
雅也は煙草に火をつける。
「今日は厄日やのう」
紫が笑う。
「助かったんだからいいじゃない」
「楽観的やのう」
雅也は壊れたタクシーを一瞥する。
ボンネットがかすかに軋んだ。
まるで、まだ生きているように。
雅也がぼそりと言う。
「……運転手やないな」
紫が首をかしげる。
「え?」
雅也は煙を吐く。
「あれは車や車の怪異……とでも言うんか。面倒いもんに遭遇したわ」
沈黙。
紫がゆっくりと周囲を見回す。
真っ暗な山道。
民家も街灯もない。
風の音しかしない。
「……」
「……」
紫が小さく言う。
「先生」
「なんや」
「ここ、どこ?」
雅也は深い山を見回す。
長い、長いため息をついた。
「……こっからどう帰ろうかのう」
二人は同時に絶句した




