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敵国に嫁いだ長女は振り返らない ~元婚約者ヴィンセルside~  作者: 鷹居鈴野


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7/10

一周目、戦場にて

 従軍して半年で、俺はヤニクに命を助けられた回数を、数えるのをやめた。


 多すぎて、数える意味がなくなったからだ。


 夜襲の矢を防いだのも、崩れる岩壁を支えたのも、いつもあの寡黙な従者だった。地味な守りの魔法しか使えない、と本人は言っていたが、その「地味な魔法」に、俺はこの戦場で何度も生かされていた。


「――ヤニク。おまえ、恋人はいるのか」


 ある夜、焚き火越しに聞いた。眠れない夜だった。


「……結婚、しています」


「へえ。会いたいだろう」


「どうでしょう。……相手は、自分のことを、好きではないので」


 妙な間があった。声が硬かった。俺はそれを、従者の照れだと思って、笑い飛ばした。


「なんだそれは。そんな相手はさっさと別れちまえ。時間の無駄だ」


 言ってから、少し、苦く笑った。


 人に言えることではなかった。俺自身が、まさにその「時間の無駄」そのものの結婚生活を送っているというのに。


「俺の妻はな」


 聞かれてもいないのに、続けた。


「家の決めた枷だ。国と家門が結んだだけの、顔も見たくない枷。あれがリュシ……あの人の半分でも可愛げのある女だったら、俺の人生は違ったんだろうが」


 言ってしまってから、なぜか、胸のどこかがちくりとした。


 可愛げがない、というのは、正確な言葉だったろうか。あの完璧すぎる妻の、笑った顔を思い出そうとして――なぜか、出てこなかった。浮かぶのは、少しうつむいた、どこか悲しげな顔だけだった。毎朝顔を合わせているはずなのに、笑ったところなど、一度も見た覚えがない。


 ヤニクの瞳は、まっすぐだった。


 まっすぐすぎて、時折、居心地が悪くなるほどに。


 ――妻に、似ている。


 情熱的で、まっすぐな女だった。大嫌いだった。家同士の都合で、俺に娶らされることになった女。逃げ場をくれない、あの目を、俺はいつも、どこかで避けていた気がする。


「その方のことを、愛しておられるのですね」


 ヤニクが、静かに聞いた。その目もまた、まっすぐだった。


「ああ。……死んでしまったがな」


 その一言を口にするたび、俺の中の何かが、ますます固く凍っていく気がした。死んだ女への愛のほうが、隣で息をしている妻より、いつも大きな顔をしていた。


 *


 夜襲は、月のない晩に来た。


 三日三晩の行軍のあと、俺たちの結界は擦り切れていた。第一波、第二波はどうにか防いだ。


 第三波の矢が来たとき、ヤニクの体が動いた。


 だが、間に合わなかった。三日三晩の行軍で、あの男の反応さえ、擦り切れていたのかもしれない。


 それに――ヤニクが気づいていない矢が、もう一本、別の角度から飛んでいた。


 考えるより先に、体が動いていた。


「――ヤニク!」


 叫んで、その体を突き飛ばした。


 鈍い音が、自分の背中でした。


 気づいたときには、俺の背に、深々と矢が生えていた。


 ――ああ、そうか。


 ずっと守られてばかりだと思っていたが、最後の最後で、俺にも守る番が回ってきたらしい。


「……ヤニク。この一月、ずっと……お前に、守られてばかりだったな……今日、ようやく……俺が、守れた……」


「喋らないでください」


「聞け。……遺言だ」


 ヤニクの腕に抱かれながら、その瞳を見上げた。


 なぜか、その目を見ていると、どうしても思い出すのは、リュシオラではなく――リディエンヌだった。


 理由は、分からなかった。


 体から、血の気が引いていくのが分かった。


 ――俺は、もう死ぬんだ。


 その事実だけが、はっきりとしていた。だからこそ、余計に、遺言を残さなければと思った。急くように、焦るように。


 俺は、やっと、リュシオラのもとへ行ける。


 そう、自分に、言い聞かせるみたいに。


「俺は……リュシオラの仇を、討てなかった。それだけが……心残りだ。あんなに、綺麗な人は……いなかった。なあ、ヤニク……来世が、あるなら……」


 それは、九年間、俺が信じ続けた台詞だった。最後まで、その台詞しか、俺には持ち合わせがなかった。


「来世があるなら……今度こそ、あの人と……結ばれたい……」


 震える手で、胸元のお守りを外した。


 あの日、リュシオラ自身は「もういらない」と、興味も失ったように目を逸らした髪飾りだった。それでも俺は、九年間、これを後生大事に抱えて生きてきた。誰にも要らないと言われたものを、俺だけが、大事にしてきたのだ。


「これを……あの人の、墓に……供えてくれ。頼む……」


 誰の手に、それを渡したのか。


 最後まで、俺は、知らなかった。

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