訃報と、開戦の鐘
嘆願が却下されてから、事は驚くほど早く進んだ。
俺は、諦めていなかった。せめて、彼女を守る方法はないかと、密かに算段を進めていた。国外へ逃がすことは叶わずとも、グランハルト家の別宅に、しばらく匿うことができれば――そう思っていた。
だが、その企みが、どこかから漏れたのかもしれない。俺がリュシオラと駆け落ちするとでも、警戒されたのだろうか。
リュシオラの輿入れは、公表されていた日取りよりも、ずっと早く、秘密裡に執り行われた。
気づいたときには、もう手遅れだった。別宅の支度を、ようやく整え終えた、その翌朝のことだった。
城壁の上へ駆け上がったとき、見えたのは、もう国境へ向かって遠ざかっていく、豆粒ほどの馬車の列だけだった。
追う術は、なかった。
その数週間後、俺とリディエンヌの婚礼が、執り行われた。
式は、ひどく華やかだった。国と国の絆を内外に示すためだけに、これでもかというほど飾り立てられていた。花も、旗も、楽団の音色も、何もかもが過剰なくらいに祝福を演出していた。
その中で、リディエンヌは、綺麗だった。
幸せそうにさえ、見えた。少なくとも、居並ぶ招待客の誰もが、そう見ていたはずだ。
その隣で、俺は、世界でいちばん不幸な花婿だと思った。
誓いの言葉を、口先だけで並べた。愛を誓う一言も、貞節を誓う一言も、中身が何ひとつ詰まっていない、空っぽの器のような言葉だった。これほど盛大に飾り立てられて、これほど空虚な誓いを、俺は他に知らない。
喜びも、怒りもなかった。ただ、決まっていたことが、決まった通りに進んでいく。意味のない結婚が、それだけの一日として、粛々と過ぎていった。
*
訃報が届いたのは、それから、たった三月後だった。
「――リュシオラ王女殿下、御逝去。敵国にて、毒殺されたとのことにございます」
使者の声を、俺は最初、意味のある言葉として聞き取れなかった。
三月。
たったの、三月だ。
嫁いでからの日数を数えて、俺は目の前が暗くなった。あの国へ着いて、まだ何も知らないまま、誰にも守られないまま、彼女はそこで死んだ。
「――なぜ」
声が、震えた。
「なぜ、止められなかった。……なぜ、俺は」
誰に向けた言葉かも、分からなかった。父にか。王にか。それとも、あの夜、嘆願書を差し出しただけで満足していた、数ヶ月前の、愚かな自分自身にか。
恩人だったのに。
命を懸けて、俺を救ってくれた人だったのに。
愛していたのに。
もっと早く、別宅の算段をつけていれば。もっと早く、危険を察していれば。
俺は、彼女を守れなかった。
*
「――大公国との和平は、決裂した」
訃報から間もなく、王は、そう宣言した。
「リュシオラ王女殿下は、毒によって弑された。……あちらの国が、我が国の王女を害したのだ」
真偽など、俺にはどうでもよかった。
俺は、その日のうちに、王の御前に自ら罷り出た。
「――陛下。開戦を、ご決断いただきたい」
「グランハルト卿。控えよ、そなたの立場で」
「立場など、もはやどうでもよろしい。……リュシオラ様の仇を、討たせてください。あの国を、この手で」
王は、しばらく俺を見据えていたが、やがて静かに頷いた。俺の声にどれほどの理性が残っていたか、自分でも分からない。ただ、何かをしなければ、この後悔に押し潰されて、立っていられなかった。
その夜、俺はリディエンヌに、開戦と従軍のことを告げた。
「――戦は、なさらないほうがよろしいかと」
彼女は、静かに、だがはっきりと言った。
「まだ、交渉の余地はあるはずです。両国とも、大きな戦を望んではいないでしょう。使者を立てて、真相を確かめてから――」
「交渉?」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
「リュシオラ様が、毒で殺されたんだぞ。それでも、交渉ができると?」
「だからこそ、慎重になるべきだと申し上げているのです。感情のままに開戦すれば、犠牲になるのは前線の兵たちです」
「――君は」
俺は、リディエンヌを睨みつけた。
「実の妹が殺されたというのに、そんなに冷静でいられるのか。交渉、犠牲、慎重に……そんな言葉ばかりだ。妹への情が、あまりにも薄すぎる」
「ヴィンセル様」
「君は、本当に冷たい人間なんだな。……軽蔑するよ」
言い切ってから、部屋を出た。
振り返らなかったから、そのときの彼女の顔を、俺は知らない。




