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嘘つきは水曜日にやってくる  作者: 白川


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15/22

第15話 雪の校舎裏

 冬休みが明けた。

 一月の中旬の、ある水曜だった。

 朝から雪が降っていた。

 関東の雪はめったに本気では降らない。

 めったに本気で降らない雪が、その日に限って本気だった。

 朝のうちはちらほら舞う程度だった。一時間目が終わった頃には窓の外の景色が白く煙り始めた。三時間目の途中には、校庭の片隅の桜の木の枝の上に、ふわりと白いものが乗り始めた。昼休みの直前には校庭全体が薄く白くなった。

「うわ、雪、積もるかも」

「ねえ、これ放課後どうなんの」

「電車止まるかな」

「えー、止まったらどうしようー」

 教室の中の声はいつもよりどこか浮かれていた。受験勉強と模試の話で重くなっていた三年生の教室の空気が、雪、というたった一つの単語で、ふっと緩んだ。

 昼休み、透はいつも通り机の中の缶コーヒーを取り出した。

 冷たい缶をポケットの中に入れて廊下を歩いた。

 校舎の北側の角を曲がった。屋根の張り出しの下のベンチに桐谷茉莉はもういた。

 今日の茉莉はいつもより厚着だった。マフラーを二重に巻いていた。手袋を外してベンチの上に置いていた。手袋の上に雪が薄く乗っていた。

 茉莉は缶ココアを両手で握っていた。

 白い湯気が缶の飲み口から薄く立ち上っていた。立ち上った湯気は一月の雪混じりの風の前にはすぐに薄くなって消えた。


「来た」

「来た」

 いつもの挨拶を交わした。

 透はベンチの左側に座った。

 いつもよりもほんの少しだけ右に寄って座った。

 茉莉との肩の距離がいつもよりもわずかに短くなった。茉莉はそれに気づいたが、何も言わなかった。言わない代わりに自分の右肩の位置は動かさなかった。

 透の左肩と茉莉の右肩は、いちばん外側の服の表面で軽く触れた。

 雪はまだ降っていた。校舎裏のベンチの屋根の張り出しは、その日二人をほぼ完全に守ってくれた。屋根の縁から外側だけが雪の降る世界で、ベンチの上は雪の降らない、隠れ家のようだった。

 二人はしばらく黙って缶を両手で包んでいた。

 雪は缶コーヒーの蓋の上にも落ちた。雪は缶の温度ですぐに溶けた。溶けた雪が缶の上で水たまりを作った。

 その水たまりの上にもう一粒が舞い込んだ。水たまりがほんの少しだけ大きくなった。その繰り返しを、透はしばらく見ていた。

 茉莉もたぶん見ていた。

 二人とも何も言わなかった。

 今日の水曜は嘘の日ではあった。

 でも、二人とも「今日の嘘」を、最後まで口にしなかった。


 昼休みが終わりに近づくとき、茉莉が口を開いた。

「藤代」

「ああ」

「次の週も、来る?」

「来る」

「卒業まで、あと……」

「言うな」

 透は短く止めた。

「……言うなよ」

 もう一度言った。

「うん……言わない」

 茉莉は缶ココアの上の湯気を見たまま、ふっと短く笑った。

「来週も、ここに──」

「来る」

 透は茉莉の言葉を遮って言った。

 茉莉が透に目線を向けた。

「じゃあ……再来週も?」

「来る」

「ずっと?」

「……ずっとは、契約に書いてない」

「契約書、増やす?」

「お前、また増やすのか」

「うん」

「お前な」

 茉莉は缶ココアを両手でもう一度、温めるように包んだ。

 雪が屋根の縁の外側でまだ降っていた。屋根の縁から、さらっと雪が落ちた。

 その音とその音の間に、二人の呼吸の音が薄く混ざった。

 透は缶コーヒーを開けなかった。茉莉も缶ココアの最後の一口をまだ飲まなかった。

 二人ともしばらく缶をただ温めていた。

 温め続けることにたぶん二人ともそれぞれに、別の意味を預けていた。


 それをお互いに口にはしなかった。

 契約は嘘を一つずつ交換する契約だった。

 今日、二人は嘘を置き合わなかった。

 置き合わなかったことが契約違反であるかどうかは、たぶん二人とも考えなかった。

 考えなかったが、契約はすでに嘘の受け渡しという形を超え始めていた。

 契約の新しい形はまだどちらにもはっきりとは見えていなかった。

 しかし、雪の上の沈黙の中でゆっくりと形になり始めていた。

 透は心の中でひとつ数えた。あと何回ここに来られるんだろう。卒業まであと何回。

 雪が降って、雨が降って、風が吹いて、桜が咲く。

 その時はたぶん自分たちの最後の出会いとなるかもしれなかった。

 春のあとに、自分と茉莉の間の契約がどうなるのかはまだ自分にも分からなかった。

 隣の肩のほんのわずかな温度を感じていたが、それを口にする必要はたぶんなかった。

 茉莉が缶ココアの最後の一口をゆっくりと飲んだ。

 校舎裏の世界は今日だけ、いつもの色とは別の白い色をしていた。

 その白さの中に、二人だけが、屋根の張り出しの下の、雪の降らない小さな部屋に並んで座っていた。

 あと何回……。もう一度心の中で数えそうになって、透は数えるのをやめた。

 数えても変わらない。数えるよりも、肩の温度を感じる方が今日の自分には合っていた。

 茉莉がベンチの背もたれに軽く背中を預けた。

 何度かの水曜のあとに、何が来るのかは、まだ分からなかった。

お読みいただき、ありがとうございました。

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