第二章 パスケース エピソード3
木枯らし何号かが吹き荒れて、冷え込む日が増えてきた。この先に私を待ち受けているのは、二学期の期末試験と一年後に控える大学入試。こないだの担任の先生との面談で、志望校を訊かれたけど、私はすぐには答えられなかった。もたつきながら答えたのが、オープンキャンパスに行った山手学院大学の名前。先生は、「おう、そうか」と、意味のわからない反応を示していたけど、そこで何を勉強したいのかを訊かれた私は、瞬時に答えに詰まった。
そう、高校までとは違って、大学は学部を決めて入学するもの。こないだの相談会でも、学部によって勉強する内容がまったく違うから、自分が大学に入ってどんなことを勉強したいのかという目的意識を、しっかり持っておくべきだと言われた。
それはそうなのだろう。入学していざ勉強を始めてみて、こんなのじゃなかったと後悔しても遅いのだ。だけど、考えてみれば、まだ社会に出たこともない私が、将来こんな仕事に就きたいから、それに必要なこんな知識を身につけたいだなんて、わかるはずがないのだ。何もわからないのに、進む道を決めろだなんて、大学入試ってなんて酷な制度なんだろう。それに比べて彩香は、こないだのオープンキャンパスに参加して、さらに山手学院大学のことがわかったみたいだったし、帰り道で「私、絶対にこの大学に入ってみせる」と言って、意気込んでいた。夢が叶うかどうかは別にして、何かを追い求めることができるのは羨ましいと思う。だって、追い求めている間は、必死にわたしと向き合うことができるのだから。
日曜日、私は、久しぶりに電車に乗って出かけていた。いつもは彩香に誘われるまま、どこかに出かけていたけど、今日は私一人。行き先も決めずに、電車に揺られていようと思った。
そうして降り立ったのは、いつもは素通りしている三宮の手前の小さな駅。車窓から、真新しい建物が並んでいるのが見えて、何となく降りてみようと思った。
駅を出ると、細い道路沿いに住宅や商店がひしめくように並んでいた。自転車に乗った主婦が買い物袋を前カゴに乗せて走り去っていく。ほのかに漂ってくるのは、たこ焼きの匂いだろうか。来たことがないはずなのに、どこか懐かしい風景だった。
それから高速道路をくぐって、幹線道路をわたった私の目の前に現れたのは、きれいに区画された真新しい街並み。全面ガラス張りの建物や、近未来的な形をしたビルが、広い道路に沿って建ち並ぶ。どうやら私が車窓から見た景色は、この辺りのもののようだった。
その中に、資料館があった。私が生まれる前に起きたとされる、阪神淡路大震災を後世に伝えるために建てられた資料館。震災のことは、毎年一月が近づくと学校で話題に上がったし、直接震災を経験した両親からも聞かされていた。大変なことが起きたのだと思う。だけど、神戸のすぐ近くに住んでいながら、どこか他人事のように思っているわたしがいるのも確かなことだった。
入ってみようと思った。震災が起きたとき、ここに住んでいた人々がどんな思いでいたのかを知りたかった。
資料館の中で私が見たもの、震災が起きた時刻で止まったままの時計、欠けた湯呑茶碗、首が外れた人形……それらは震災の記憶を生々しく伝えるものばかりだった。地面から突き刺すような強い揺れ、耳をつんざく物と物とが激しくぶつかり合う音、迫りくる火災の炎の熱、人々が経験したであろうそれらの恐怖を想像していると、心が押し潰されそうになった。
それ以上立っていられないような、いたたまれない気持ちになって、その場を逃げるようにして展示室を出た私の目に飛び込んできたのは、一枚の大きな写真。夕暮れの学校のグラウンドで、群がるようにして人々が何かを囲んでいる様子を写したもの。
「それはね、ボランティアの方が、炊き出しをしている様子ですよ」
声をかけられたことに気づいて、そっと後ろを振り向くと、そこには一人の高齢の女性が立っていた。
「ボランティアの方?」
私は、ほぼ反射的に訊き返す。
「そう、震災の後、全国からたくさんの……」
女性は、震災が起きたときに、全国、いや世界中の国々からボランティアが駆けつけてきて、瓦礫の撤去や救援物資の配布、食事の炊き出しなどに加わって、被災した人たちが避難生活を送るのを手助けしたのだという。そしてそのことがきっかけで、震災が起きた年のことを、『ボランティア元年』と呼ぶことを教えてくれた。
「あのときは、水も電気も食料も、家も家族も何もかも失って、みんな生きることに必死だったの。そのためには、誰がどこに住んでいるとか、どんな仕事をしているとか、そんなものは関係がなかった。みんなが自分にできることをやって、お互いに助け合おうとした。一人ひとりの力は小さくても、みんなの力が合わされば、大抵のことはできたわ。そのことがあって、今の私たちが住んでいる街があるの」
女性は、淡々と話しているようで、その声はわずかに震えていた。きっと、今でもこうして当時の様子を、ここを訪れた人たちに語りながら、当時の様子をまるで昨日のことのように振り返っているのだろう。よく見れば、女性が首から下げているネームプレートにも、『語り部ボランティア』の文字が見える。この女性だけでなくここに住んでいる人たちすべてが、ボランティアという言葉に、特別の思い入れがあるように思えた。
「あなた、高校生? このあたりに住んでいるの?」
私が黙り込んでいると、女性が訊いてきた。
「あっ、はい。高二です。西宮に住んでいます」
私の声を聞いた女性は、ほんの少し表情を緩めたかと思うと、優しい口調で続けた。
「それなら、あなたの心の中にも、震災を乗り越えた人たちの想いが息づいているわ。高校二年生なら、これから忙しくなるわね。この先の人生に色々迷うこともあるかも知れないけど、今しかできないことをいっぱい経験してみなさい。そうしたら、自ずと自分の進む道が見えてくるかも知れないから」
「今しかできないことですか……」
そう返事しながら、私はもう一度、震災のときの写真に目を遣った。炊き出しをする人も、それを受け取る人も、不思議にもみんな笑っていた。面白さとは違った意味の微笑み。夢や希望、人の温もり……辛いときだからこそ、心の奥底から湧き起こってくる明るい表情だった。
恐らく、私が自分の将来に悩んで、一人でここにやって来たことを見越して、女性は私にそう語りかけてくれたのだろう。私自身、どうしたらいいのかがまだわからないけれど、自分にできそうなことを何か一つ、本気で見つけてみたいと思った。
私は、最も震災の被害が大きかった場所にきて、なんだか背中を押してもらえたような気がして、語り部の女性に感謝の気持ちを込めてこう言った。
「私も、誰かのために、一生懸命になってみたいと思います」
「しっかりね。あなたの未来は、きっと明るいわ」
女性は最高の笑顔で、私を送り出してくれた。




