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追憶のICカード  作者: 松山 さくら


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第二章 パスケース エピソード2

「あのね、多分人違いだと思うんだけど……」

 そう前置きをして、私は、今日、大学を出るときにある人の姿を見かけたことを話し始めた。私が見かけた人とは、祖母のこと。祖母によく似た人が、キャンパスの中にいたのだ。私がキャンパスの中を歩いているときも、子供連れの家族やOBやOGと思しき年配の人たちとすれ違ったので、大学って学生だけでなく色々な人たちに開放されているんだなと思ったけれど、私が見かけた女性は祖母にそっくりだった。

 見かけたのは、ちょうど私たちが大学の門を出るときで、その人も大学を後にするところだった。どうやら、私たちが向かおうとしていた駅の方向とは別の方向に向かっているようだった。他人の空似と言うし、よく似た服装の人のことを見間違えたのかなと思ったけど、一緒に住んでいる祖母のことを見間違えるはずはない。そう思った私は、その人に声をかけようと、彩香に門のそばでちょっと待っていてもらって、その人の後を追った。

 だけど、ちょうどオープンキャンパスが終わる時刻で、たくさんの人たちが大学から出てきて、駅に向かっているところだった。人ごみにかき消されて、すぐに私はその人を見失ってしまったのだった。

 私の話を聞いていて、母は何を言い出すのかと言いたげに、強張っていた表情を一気に緩めると、

「陽茉莉、何を言い出すのかと思ったら……おばあちゃんが大学にいる訳ないでしょ」

 と言って笑った。それはそうだ。私だって、祖母がそんなところにいるはずはないと思っている。

「だけど、あれは絶対におばあちゃんだったんだけどな」

 諦めきれずに食い下がる私に、母は続ける。

「その人、陽茉莉たちが帰る道とは別の方向に歩いて行ったんでしょ。お母さん、そこにいた訳じゃないからわからないけど、きっと近くに住んでいる人が、たまたま大学に散歩に来ていたんじゃないの。その人が向かった先に駅なんてないんでしょ」

「うん……それはそうだけど……」

 声のトーンを幾分下げてそう答えながら、私は心の中に引っかかるものを感じていた。

「世の中には、自分と似ている人が何人かいるというじゃないの。おばあちゃんは、今日も集会所に行っているわよ」

「うん……」

 悶々とする気持ちを抱えながら、目のやり場に困った私は、母に見せるためにテーブルの上に置いていた、大学のパンフレットをペラペラとめくった。学長の挨拶や各学部の紹介、大学の施設の案内などが書かれたそれの最後のページをめくったとき、あるイラストが目に飛び込んできた。

『本学へのアクセス』と題されたもの。大まかな鉄道路線図の下に、大学の最寄り駅からの道順が描かれている。そこには当然、今日私が歩いた甲東園駅までの経路が載せられているのだが、私が気になったのは、甲東園駅の隣の駅からもアクセスができること。川の名前だろうか。そもそも、大学のまわりに川なんてあったかな……。

 そのとき、私の頭の中の神経回路にビビッと電流が走った。

「あっ、もしかして……」

 母は、私がとっさに大きな声を出したものだから、気圧されたように目を大きく見開き、眉を吊り上げてしまった。

「ちょっと、陽茉莉、突然大きな声なんか出して、お母さん、びっくりしちゃうじゃないの」

「あっ、ごっ、ごめん……なさい」

 瞬時に顔を赤くして謝ってみたものの、私の心臓は激しく脈打っている。ずっと気になっていた謎が解けそうで、私は、自分を落ち着けるのに必死だった。

「もしかしてって、どうしたの?」

 母が、投げかけるように訊いてきたので、私は、ゴクッと唾を飲み込むと、少しテーブルに身を乗り出すように話し始めた。

「あのね、私が今日行った大学って、最寄り駅が二つあるの。私の家から向かうのなら、手前の甲東園駅で降りて向かうのが普通なんだ。今日も、みんなそうしていた。でもね、もう一つ先の駅からでも大学に行くことができるんだ」

「ふうん、それがどうかしたの? 二つの駅から行けるのなら、お母さんみたいに人混みが苦手な人にとってはありがたいけど……」

「そこなんだよ。実は、今日、大学を案内してくれた学生の人が、甲東園駅からの道は少し歩きにくくて学生たちで混雑しているから、もう一つの駅から歩くのがおすすめだって話していたんだ。実際に歩いてみると、確かに坂道や階段が続いていて、雨の日とかは通うのが大変そう。でもね、その学生の人によると、もう片方の駅からは、少し距離が伸びるけど、川沿いの平坦な道が続くんだって。だから、おばあちゃんが帰るとしたら、そっちの道を選ぶと思うんだけど……」

「おばあちゃん」というフレーズを聞いて、母は眉間に皺を寄せる。

「陽茉莉はどうしても大学で見かけた人を、おばあちゃんだって言いたいようね」

「だって、その隣の駅って仁川駅だから」

 私は言い切った。

「えっ、仁川駅って……どこかで聞いたことがあったけど……」

 私はとっさにテーブルの上に置いてあるカゴに腕を伸ばす。「あれっ、ない」と、心の中で声を上げる。

「ほら、あのパスケースの中に入っていたICカード、私、カードの履歴を印字したでしょ。その中に、仁川駅の名前があったじゃない」

「あぁ……そう言われてみれば……」

 母は、口をポカンと上げた。呆気に取られているのではなくて、驚いたときに母が見せる表情。

 私は、ここぞとばかりに話を続ける。そう、パスケースの中から出てきた写真シールのこと。やっぱり祖母が一人で、プリント機で写真を撮るなんてどこか変。

 パスケースがないので実物は見せられなかったが、私は母に、写真シールのことを詳細に話した。

「そう……おばあちゃんが、一人でそんな写真を……」

 母は、頬に手を当てながら、考える素振りを見せている。視線をあちこち彷徨わせているのは、もの思いに耽っていることのサインだった。

「私ね、あの写真の後ろに写っている景色を、どこかで見たことがあるんだ。彩香と一緒に遊びに行ったときだったかな。緑の線が入ったあの電車と、背の高い新しいビル……」

 母は、ハッと何かに気づいたかと思うと、今度は私にしっかりと視線を向けた。

「三宮じゃないかしら。背の高いビルは、最近できた神戸三宮駅の駅ビルで、その空中を走っている電車は、『みなとライナー』じゃないの」

「あっ」

 凍りついたように、口を開けて唖然とする私。さぞかし、おかしな顔を母に見せているに違いない。

 確かに母の言う通りだった。『みなとライナー』なら、地上から見れば空を飛んでいるようだし、背の高い茶色いビルは、デパートやホテルなどが入っている三宮の新しい顔で、駅に降り立ったときにいつも彩香と並んで見上げている。

 ということは、あの写真シールを撮ったのは、彩香とときどき寄っている駅前のボウリング場だろうか。

 そこまでわかったところで、私は再び母と顔を見合わせた。

「仁川駅も三宮駅も、あのICカードに記録された駅でしょ。でも、どうして、おばあちゃんはそんなところに行ったんだろう」

 いつしか、私の頭の中では、大学を出るときに見かけた女性が祖母だと決めつけていた。これだけ色々な証拠が見つかったのだから、母はもはやそれを疑ったりしていないだろう。

 その母は、しばらく口を真一文字に結んだままだった。時々視線を宙に浮かべるその頭の中では、あることを考えているようだった。それは、私が思い浮かんだことと同じだったかもしれない。

「おばあちゃん、もしかして、認知症を患っているのかな」

 ポツリと私が漏らした言葉に、母の瞼がわずかに動いた。恐らく、母も同じことを言おうとしていたのだろう。

 ふらっと電車に乗って仁川駅で降りて、用もないのに大学に入ったり、三宮駅近くのボウリング場で、一人で写真シールを撮ったり……認知症がどんな症状を伴うのかは詳しくはわからないけど、訳もなく徘徊することがあるって、前に見たテレビで聞いたことがあった。それが原因で事故に巻き込まれることも考えられない訳ではない。

 もしもそうだったとしたら、一刻も早く病院で検査を受ける必要があるのだろうけど、でも今の祖母を見ていたら、一概にそうとは言い切れないものがあるのも確かだった。言葉数は少ないけど受け答えはしっかりしているし、毎日集会所で楽しそうに過ごしている。こないだも、ウサギのぬいぐるみを作っていた。遠慮して玄関には飾れなかったけど、見た目にも器用に作っていたと思う。

 母は、まだ考え事をしているようで、これ以上、母を不安にさせるようなことは話さない方がよさそうだった。

 私は、さっと椅子から立ち上がると、

「ちょっと、明日の講義の準備をしてくるね」

 と言って、自分の部屋に上がったのだった。


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