第二章 パスケース エピソード1
「あら、陽茉莉、帰っていたの。どうだった、オープンなんとかと呼ぶのは?」
「それなら、オープンキャンパスでしょ。うん……彩香は大学の勉強のことがわかって楽しかったみたいだったけど……ちょっと座っていい?」
そう言って、私はダイニングテーブルに「疲れた~」と言わんばかりに、座り込む。
「お茶淹れるわね。仕事の帰りにケーキを買ってきたけど、食べる?」
私が頷くのを見た母は、電気ポットの中に水を注ぐと、スイッチを押した。
それにしても今日は疲れた。今日、私が行ってきたのは、地元の有名私大の山手学院大学。一緒に行ってみないかと、彩香に誘われて行ってきたけど、人気の大学とだけあって、キャンパスの中は高校生たちで溢れ返っていた。
案内してもらった学生によると、まるで西洋のお城のようなキャンパスの建物は、『スパニッシュ・ミッション・スタイル』と呼ばれているみたい。クリーム色の外壁とスペイン風の赤瓦が特徴的で、芝生の広場越しに見える時計台は、六甲の山並みを背景にして、澄んだ秋の空によく似合っていた。なるほど、たくさんの高校生たちが憧れを抱く理由がわかったような気がする。
オープンキャンパスでは、実際に講義に参加させてもらった。心理学の講義。初老の教授が壇上に上がったので、堅い話ばかりの退屈な講義を想像したけれど、教授が「今日は、身近にある心の動きを、心理学の視点から考えてみよう」と言って、ユーモアを交えてわかりやすく話してくれたおかげで、心理学の『心』の文字もわからなかった私でも、なんとなく教授が話していることがわかった。
明るく開放的な図書館、ずらりと並んだ本棚の奥には、ゆったりとしたテーブルがあって、大きな窓からは緑豊かなキャンパスが見渡せる。こんな整った環境なら、私もさぞかし勉強に集中できるだろうなと思った。
だけど、さすがは総合大学。私が通っているコンパクトな敷地の高校とは違って、大学の構内をすべて見てまわるのは骨が折れた。こんなに広い敷地で、学生たちはよく道に迷わないなとか、講義に遅れたりしないのだろうかとか、余計な心配をしてしまったほど。だから、一通り見てまわって、大学の正門を出る頃には、どっと疲れが押し寄せてきたのだった。
「はい、お茶、淹れたわよ」
そう言って、母がお茶と一緒に出してくれたのは、駅前の小さなケーキ屋さんのショートケーキ。私が子供の頃から夫婦で営んでいて、そこのイチゴショートは、とろけるようなクリームとふんわりとしたスポンジが合わさる食感がたまらない。
「美味しい。お母さん、ありがとう」
思わず表情を和らげて、母に微笑みかける。
「それなら、買ってきてよかったわ。陽茉莉のことだから、慣れない場所に行って、疲れて帰ってくるんじゃないかと思っていたからね」
母は満足そうに、自分の分のケーキを食べ始めた。
それから私は、オープンキャンパスでのことを、こと細かく話し始めた。個別の相談会で進路の相談に乗ってもらったこと、学生会館の中で地元の有名店のハンバーグランチを安く食べられたことなど、行く前はあまり乗り気でなかったけれど、いざ大学を見学してみると、大学がどんなところであるかがほんの少しわかったような気がして、どんなことでも自分の目で確かめてみないと、何も始まらないんだと思った。
「へぇ、それなら行ってよかったじゃないの。もちろん、大学は他にもたくさんあるんだし、自分に合ったところを見つけるのが一番だと思うけど、まずはこうして陽茉莉が楽しそうに話しているのを聞けてよかったわ」
微笑みながらそう言って、お茶を啜る母。
「あっ、そうそう、それで、大学を出て帰るときなんだけどさ。あっ、いや、なんでもない」
私はそう言いかけて、口を手で押さえる。
「えっ、どうしたの、陽茉莉。そんなに慌てちゃって。帰りに何かあったの?」
今までにこやかだった母が、訝しげな視線を向けてくる。それを感じながら、私はその先を話してよいものかどうかを、思案していた。
「せっかく、陽茉莉が有意義な一日を過ごせたと言うのに、最後にそれじゃ、お母さんも気になるじゃない」
それもそうだ。母だけではなくて、私自身が心に引っかかっているのだ。母に打ち明けて、心の中のもやもやを解消しようかと思った途端に、口が勝手に喋り始めていた。




