第三章 おばあちゃん エピソード2
その週末、私は特別養護老人ホームのボランティアに出かける準備をしていると、階段の下から母が忙しなさげに声を上げた。
「ちょっと、陽茉莉。お母さん、パートに出かけてくるから、もし出かけるんだったら戸締りをお願いね」
「もう~私も急いでいるのに……」と、口には出さずに、
「わかった。閉めておくから」
と、しぶしぶ答えた。
今日はホームの一か月に一度のイベントで、お茶会をやると聞いていた。利用者の人で、茶道の師範をやっていた人が作法を教えてくれるというから、楽しみにしていたのだ。だから遅れてはならないと、私はそそくさと自分の部屋を出ると、二階の部屋のチェックに取りかかる。どこも異常なし、続いて一階。大体のところは母が戸締りをやってくれているだろうと、甘い期待を寄せていると、リビングの白のレースのカーテンが隙間風に揺れている。
「もう、お母さんたら」
私は、片足で床を蹴るふりをして、開いていた窓を閉める。鍵もちゃんとかけて。それからダイニングに応接間、そして縁側と、一階をぐるりと回るようにチェックしていった私は、最後に祖母が使っている奥の和室の前に立った。
「まさか、おばあちゃんが開けっ放しで出て行くなんて……」
そう呟きながらも、母から頼まれたので、仕方なく祖母の部屋に足を踏み入れる。
実はこの部屋、私はほとんど入ったことがなかった。それは、祖母への遠慮があったから。本当は、「おばあちゃん、何してるの?」なんて訊きながら中に入って、一緒に炬燵で温まりたかったが、祖母の妙に他人行儀な振る舞いが、私がこの部屋に入るのを拒んでいるように思えて、近寄れなかったのだ。
部屋の扉をスライドさせると、畳のい草の匂いに混じって、微かに化粧品の香りが漂ってきた。祖母は、出かけるときは必ずおめかしをする。近所のスーパーに行くときも、他人様の前に出るからと、念入りに化粧をするほどだった。
だから、炬燵の奥には、祖母が前に住んでいた家から持ってきた、年季の入った化粧台が、ポツリと置かれている。部屋の中の他のものと言えば、本棚くらいだろうか。大体のものは引っ越しするときに処分したと言っていたし、普段着る服などは押し入れにしまってあるのだろう。
それにしても、祖母の几帳面な性格を言い表したような、きれいに片付けられた部屋だった。本棚には、文庫本やハードカバーの本などが、整然と並べられている。祖母が読書家だと言うことは知っていたけど、どんな本を読んでいるのかまでは知らなかった。
川端康成や夏目漱石など、中学校の国語の授業で読んだことのある物語に混じって、『〇〇殺人事件』と題された推理本や、そのタイトルから恋愛小説と思しき本までもが並んでいる。本棚の一番下の段に収まっているのは、図鑑などの大型本だろうか。その横には、子供が好んで読みそうな絵本までもが並んでいて、私は思わず、
「へぇ、おばあちゃん、こんなのまで読んでいるんだ……」
と、感嘆の声を出してしまった。
「あっ、いけない。窓を確認するんだった」
とっさに思い出して、窓を確かめてみる。もちろん、ちゃんと窓は閉まっていて、二重鍵までかけられていた。
「よし、これで確認は完了。あとは玄関の鍵を閉めるだけ。早く行かなきゃ」
そう言って部屋を出ようとしたところ、化粧台の上、観音開きの扉のさらに上に、箱が置いてあるのが目に入ってきた。白の細長い箱。何だろうと思った。化粧品なら、抽斗の中にしまってあるのに……もしかしてどこかにしまおうとして、そこに置き忘れているのかも知れない。
私が、その箱を手に取ったのは、ほんの親切心からだった。化粧台の鏡の前や炬燵机の上など、祖母の目につく場所に移そうと思ったのだ。
手に取ってみると、箱の中にさらに箱のようなものが入っていそうだった。幸いにも封はされていなかったので、箱はすんなりと開けられた。
出てきたのは、黒くて細長いケース。ネックレスなどを買ったときについてくるようなケースだった。
「もう、おばあちゃん、こんな大事なものをこんなところに置きっ放しにして……」
そう呟いたところで、そのまま化粧台の観音開きの扉の前に置き直せばよいものを、何を考えたのか、私はケースの蓋を開けてしまった。
「えっ、これって……」
強い電流が身体全体を駆け抜けたように、呆然と立ち尽くす私。
中から出てきたのは、見覚えのあるネックレスだったのだから。そう、彩香が身につけていた、一緒にボランティアをやっている人からプレゼントされたと、話していたものと同じもの。それだけのことなら、凍りついてしまうほど、驚く必要はなかった。たまたま彩香と同じものを、祖母が持っているというだけのことだから。だけど、私が驚かずにはいられなかったのは、それがオーダーメイドで作られたものだと、彩香から聞いていたから。
オーダーメイドで作られたものと同じものが、そう簡単に見つかるはずはないだろう。唯一無二と言うけれど、同じものがこの世に存在しないからこそ、オーダーメイドで作られたものには価値が宿るのだ。
「おばあちゃん、これって一体どういうこと?」
いつしか私の頭の中は、このネックレスのことでいっぱいになっていた。私は、魂を抜かれたように、ほとんど無意識のまま持っていたネックレスを箱の中にしまうと、その箱を元あった場所に戻したのだった。




