第三章 「決定打のステージ」後編
長いので、目が痛くならないように、休みながら読んでいただけるとありがたいです。
芸術祭を明日に控えた日の放課後。
庭園のステージの準備は既に整い、ナタリーが注文させた電飾がいたるところに配置され、これらの夜の輝きは一層綺麗なものになるだろうと、生徒たちは胸を弾ませていた。
白月と黒陽の生徒がそんな様子で見学にくる中、リドルは辺りを見回して誰かを探していた。
「いましたか?」
カミーユが背後から声をかけ、リドルは振り返った。
「いや。まったく、どこいったんだよ」
「困りましたね。早く伝えないと、クイーンの迎えが遅くなってしまいます」
カミーユは眼鏡を上げながら、少し焦って言った。
「最悪の場合、カミーユ一人で行ってくれよ」
リドルはジロッとカミーユを睨んだ。
「わたしが行くと、彼女は余計に不機嫌になりますよ?」
カミーユもリドルにジロッと目を向けた。
二人は「はぁ……」っと重たいため息をついた。
二人が探している当の本人のケイシーは、珍しくチャペルに来ていた。
礼拝の生徒たちは皆帰宅し、中には彼一人しかいなかった。
「…………」
一番前に並ぶ椅子に座り、膝の上に組んだ手をじっと見つめていた。
思い出されるのは、数日前の体育倉庫での出来事。
シリウスとフランのあの場面だ。
「っ!?」
ケイシーはぎゅっと目を閉じ、口に手を当てて、高まる動悸が静まるのを待った。
荒れる呼吸の中、ケイシーは辛そうに目を開いた。
(……親友のあんな場面を見たくらいで、一体なんでこんなにも動揺しているんだ……?)
自分の呼吸が何故こんなに上がっているのか……。
ケイシー自身にも理解ができないようだった。
親友であるシリウスとフランの、あの生々しい行為――。
(……あんなところを見るのが初めてだったからか……?)
ケイシーは自分のウブさを実感して、やりきれない思いでうつむいた。
ーーあなたって、案外ウブですのねーー
「っ!!?」
以前言われたナタリーの言葉を思い出し、ケイシーの目はカッと見開いた。
その時、チャペルの扉が開いた。
ケイシーはハッとして振り返った。
「こんなとこにいたのか! ずいぶん探したんだ」
扉にはリドルが立っていた。
「……リドル」
ケイシーは身体の力を抜いた。
「今日の夜、最終のリハーサルをすることに決まった」
「……え?」
話しながら歩いてくるリドルに、ケイシーは疑問の表情を投げかけた。
「何もかも本番同然にしたリハーサル。……また、あのワガママお嬢様の提案だよ」
リドルは露骨に「やれやれ」という顔をして言った。
ケイシーは視線を落とした。
「……じゃあ、白月も……?」
「言ったろ?何もかも本番同然だって」
リドルは答えた。
「…………」
「……?」
元気のないケイシーを不思議に思ったが、リドルは話を続けた。
「ナタリーのヤツ、今部屋でドレスに着替えてるんだ。悪いけど、支度ができる頃、迎えに行ってもらえないか?」
「……わかった」
ケイシーは頷いて椅子から立ち上がった。
「あっ、僕たちはステージでスタンバイしてるから! ワンドも持って行くからな!」
ケイシーの様子から、ナタリーのことを全て彼に任せていることに気がつき、今さらながらリドルは罪悪感を抱いた。
リドルに言われ、扉の方に足を向けていたケイシーは、振り返って頷いた。
「……….」
疲れ切ったケイシーの背中を、リドルは心配そうに見つめた。
陽が沈み、辺りは暗くなった。
ステージの電飾や、庭園のあちこちに飾られたライトが点灯し、オーナメントにも光が反射して、夜を感じさせないほど辺りは輝かしく光った。
「まぁ! 素敵ですわね! やっぱりわたくしが設計したデザイン! このわたくしの美しさが一層引き立つようですわ!!」
舞台の中央へと上がったドレス姿のナタリーは、ハイテンションでクルクル回った。
「何が設計だよ。自分の欲求を業者に伝えただけだろーが」
端にいるリドルは口を尖らせ、ナタリーに聞こえないように言った。
ナタリー専用のワンドを持ったカミーユは、彼女の近くにいるケイシーのところまで、それを持っていった。
「エース。これをクイーンに……」
「あ、ああ……ありがとう」
ワンドを受け取ったケイシーは、カミーユに礼を言った。
「…………いえ……」
ケイシーの顔をじっと見たカミーユは、頭を下げて、リドルの横の定位置へと戻った。
「……エース……なんだか様子が変ですね……」
カミーユはリドルに言った。
「そうなんだよ。最近元気ないんだよな。……僕たちが、あの女王を押し付けたせいかな?」
リドルは眉をしかめてカミーユを見た。
「…………」
カミーユは黙ってケイシーに目を向けた。
「ケイシーも、あの女王に目をつけられなきゃ良かったんだけど……。ま、あと数ヶ月で、あの女王から解放されるんだ。もうしばらくの辛抱ってとこだな」
軽薄に考えるリドルは、笑いながらカミーユに言った。
「……ええ。そうですね……」
カミーユは、どこか胸騒ぎを覚えた。
「ほら、ナタリー。ワンドだ」
ケイシーはワンドをナタリーに差し出した。
「まだリハーサルは始まってませんわ! それまであなた、持っていてくださる?」
ナタリーは「フンッ」とそっぽを向き、ライトの中で光る自身の姿に酔いしれていた。
「…………」
ケイシーは黙って彼女に従った。
「へぇ! 結構ゴージャスじゃないの! ねぇ?クァント!」
すると、白月の守護者の二人、バーバラとソードを持ったクァントがステージへと上がってきた。
「俺、こんなとこに上がんの気が引けるんだが……」
クァントは眩しそうに目を細めながら言った。
「…………」
そちらに目を向けたナタリーは、露骨に彼らを睨んだ。
「気をつけろよ、フラン。階段は危ないからな」
すると、ドレス姿のフランを気遣いながら、シリウスが舞台へと上がってきた。
「…………っ」
その声を聞いたケイシーは、とっさに視線をそむけた。
「ありがとう、シリウス」
シリウスに手を引かれ、フランが舞台へと上がってきた。
「……へー。向こうのクイーン、案外ドレス似合うんだな」
フランの姿に見惚れたリドルが、顔を赤くして言った。
「どーお!? フランのドレス、すっごく綺麗でしょー!?」
「見たか!」と言わんばかりに、バーバラが黒陽の守護者たち(特にリドル)に向けて大声で言った。
「バ、バーバラ……っ!」
フランは恥ずかしそうにバーバラを止めた。
シリウスはフランを庇うように一歩前へ出て、黒陽の守護者たちからの視線を遮った。
「ちっ! 何を得意げになってやがるんだよ……」
ちょっとでも見惚れてしまった自分を情けなく思い、リドルは小言を吐いた。
「そっちのクイーンは変わらずの気高さだな」
シリウスはナタリーのドレスを見て言った。
後ろでバーバラがクスクス笑っている。
「な、何が言いたいんだよっ!?」
リドルがすかさず言い返した。
「褒めてるんだぜ? さすが、ワンドの豪傑さに合わせた派手なデザインだって」
バーバラはたまらずに「キャハハ」と笑い出した。
「く……くそぅ……っ」
悔しそうにするリドルを見て、カミーユが口を開いた。
「あなたは黙っていた方が賢明です。向こうのエースの相手は、こちらのエースに任せた方が」
カミーユの言葉にリドルは頷き、救いを求めるようにケイシーの横顔を仰ぎ見た。
シリウスもケイシーを真っ直ぐに見据え、彼が何か反論するのを待っていた。
「…………」
だが、ケイシーはシリウスとは目を合わさず、彼に反論する姿勢すら見せなかった。
「…………?」
何も言ってこないケイシーに、シリウスは眉をしかめた。
「ど、どうしたんだよ? ……ケイシー!」
「……エース?」
リドルとカミーユも動揺して、ケイシーに呼びかけた。
「なんなの?どうしちゃったのさ、あっちのエースは?」
バーバラが疑問に思って言った。
「さぁな」
クァントは関係なさそうに、ソードを肩に担いだ。
「…………」
フランは調子を狂わされているシリウスを、心配そうに見つめた。
すると、ナタリーが間に割り込んで言った。
「このわたくしのドレスを見て、照れているのですわよ? 彼は」
(…………は?)
皆は眉をしかめて彼女に目をやった。
「……まったく。相変わらず素直じゃありませんのね。ほら、もっとよく見て構いませんわよ?ケイシー」
ナタリーはクルッと振り返り、左手をケイシーの腕に添え、右手で彼の頬に触れた。
「っ!!?」
十五歳とは思えぬほど大胆なナタリーの行為に、皆は顔を赤くして驚いた。
一番驚いたのはケイシー本人で、彼女に触れられたケイシーは、ビクッと肩を跳ね上げた。
と、同時に拒絶するように、彼女の手を払いのけた。
「やめろよっ!!」
「っ!?」
ケイシーの大きな声が響き渡った。
ナタリーに対する反射的な拒絶に、場の全員が驚き、しんっと静まり返った。
ケイシーは、「しまった」と我に返った。
リドルとカミーユは冷や汗をかいてナタリーの動向を凝視した。
醜態を皆の前でさらされ、怒りで顔を伏せ震えていたナタリーだったが、彼女自身、感情をコントロールして、いつもの様子で顔をあげた。
「本当にあなたって恥ずかしがり屋ですのね……これじゃあ、本番が思いやられますわ」
ナタリーの言葉を皆は疑問に思った。
「……本番?」
ケイシーが聞いた。
ナタリーはフフッと笑った。
「ええ! 明日この場で、わたくしとあなたの婚約発表を致しますのよ!」
「なっっ!?」
ケイシーは目を見開いた。
「こ、婚約……っ!?」
全員は度肝を抜かれた様子で、その場に佇んだ。
「…………っ」
そんな話を一言もケイシーから聞いたことがなかったシリウスは、衝撃と困惑に目を見張り、じっと彼を見つめた。
「ま、待てよっ! 僕たちはそんな話、一切聞いてないぞっ!」
リドルはナタリーに訴えた。
「あら、当たり前ですわよ。だって、わたくしと彼の間で内密に進めていた話ですもの」
ナタリーは得意げな顔で、リドルを蔑みながら言った。
「…………っ」
リドルはたまらずケイシーに目を向けた。
「じょ、冗談だろ?ケイシー…………アイツと婚約だなんて……」
信じられない様子のリドルは、ケイシーに歩み寄りながら聞いた。
カミーユはハッとした。
このところケイシーの様子がおかしいのは、そのせいだと察し、カミーユは心配そうに彼を見つめた。
「…………っ」
ケイシーは悲痛な表情でうつむいている。
「…………」
彼の反応を見たリドルとカミーユはこれ以上何も聞けずに黙った。
「っは〜。さすがは名家、驚きだね。婚約だってさ」
黒陽の様子を見ていたバーバラは、クァントに言った。
「あれが相手だなんて……地獄だな。俺だったら逃げ出すぜ」
クァントは自分ではなくて良かったと、安堵しながら言った。
「あそこまで家柄が重いと、自分の結婚相手すら選べなくなんのかな」
「…………」
バーバラの言葉を聞いたシリウスは、不安な表情を浮かべて、再度ケイシーに目をやった。
(……まさか、ケイシーがそこまで追い詰められていたなんて…………一体いつからなんだ……? 何でオレに一言言ってくれなかった……っ)
シリウスはケイシーの胸の内を察し、痛切に拳を握りしめた。
隣にいるフランは、そんなシリウスを心配して見つめている。
「……こんな場で発表するなんて、聞いてない……」
ケイシーはゆっくり顔を上げ、ナタリーに言った。
「ええ! それはわたくしからのサプライズですわ! あなたを驚かせたかったから。フフッ! 予想通り、だいぶ驚いてますわね!」
満足そうに話すナタリーに、ケイシーは怒りの目を向けた。
「俺は認めてないっ! 婚約の話だって、君が一方的に進めてるだけじゃないかっ!」
「あら、聞き捨てなりませんわね。それではまるで、わたくしがあなたに好意を寄せているみたいではないの」
ナタリーは、ムッとした顔でケイシーを睨んだ。
ケイシーは眉をしかめたが、ナタリーはクルッと背を向けて続けた。
「この婚約は親同士が決めたことですわ。だから、わたくしたちの意思など関係ありませんのよ? ……家同士が関係を築く。あなただって、お家の尊厳を守るためには、わかっていることだと思ってましたのに……」
ナタリーは「はぁ」っとため息をついた。
「あなたの返事があまりにも遅いから、わたくしがお父様に頼んで、話を進めてもらいましたの。あなたのお父様も認めてくださいましたわ」
「…………っ!?」
絶望の淵に立たされたケイシーは、足元から血の気が引いていくのを感じながら、ただその場に立ち尽くした。
「と、いうわけで、明日の本当の目的は、わたくしたちの婚約発表ですのよ!」
ナタリーは、唖然としている周りの者たちへ見下ろすように告げた。
「黒陽の守護者の二人はともかく、そちらの方々は、いてもあまり意味がありませんので、せいぜい邪魔だけはしないでいただきたいですわね」
「っ!?」
部外者扱いされた白月の守護者たちは、ナタリーを鋭く睨んだ。
「……待ちなよ!」
すると、痺れを切らしたバーバラが、ズンズンと前へ出てきた。
「バ、バーバラっ!?」
敵のクイーンに物申そうとするバーバラを、クァントは冷や汗をかきながら呼び止めた。
だが、バーバラはやめなかった。
「…………っ」
シリウスとフランも、不安そうに顔を見合わせた。
「何か?」
ナタリーはバーバラにジロッと目を向けた。
「そんな勝手な話ってないんじゃないの? あんたらが好き勝手するのを黙って見てろって言うの? ……笑わせんじゃないよっ!!」
バーバラは怒鳴ったが、ナタリーはフンッとそっぽを向くだけだった。
「ここまで準備させといて! ならフランは何のためにドレスを着てんのかわかんないじゃないさ!」
バーバラは頭に血を上らせて怒鳴り続けるも、ナタリーは「ツーン」っと相手にしなかった。
バーバラは頭に血を上らした。
「〜〜〜っ!? ……あくまでも無視するつもりだねぇっ! ならいいよ! こっちだって好きにやらせてもらうからっ!」
「っ!? バーバラ……一体何を……」
クァントが冷や汗をかいて問いかけようとすると、バーバラはシリウスとフランの方へ振り返った。
「こっちだって、この二人が付き合ってること、明日、この場でみんなに発表してやればいいんだよっ!!」
「へっ!!?」
「バ、バーバラっ!?」
突然、恋仲をバラされたシリウスとフランは、赤い顔で慌ててバーバラを止めた。
「そっちの政略結婚とは違って、こっちのは純愛なんだから! みんな白月側に共感するにきまってるよ!」
得意げに腰に手を当て、バーバラは言った。
「……あー……やっぱ付き合ってたんだな……」
そんなバーバラを見ながら、呆れた顔でリドルが呟いた。
「…………」
ケイシーは、寄り添い合う二人へ力なく視線を向けた。
シリウスは、いたたまれない様子でうつむくフランを見ると、視線をそらしてバーバラに話しかけた。
「バーバラ。そんなことをしたら、フランが……」
黒陽側に顔を向けていたバーバラは、二人の方へと再度振り返った。
「だって、こんな機会でもないと、アンタたち公に付き合えないよ? ……それに、明日、アタシ達がただ黙って見てるだけの存在になってもいいわけ?」
彼女の熱心さに、シリウスはたじろいだ。
「白月の生徒たちにだって申し訳がないじゃないさ! あっちの婚約発表に対抗するには、もうこれしかないんだよっ!?」
バーバラはうつむくフランに目を向けると、歩み寄って、彼女の肩に手を置いた。
「……勝手なことして、ごめんね……フラン…… けど、アタシはアンタたちの綺麗な関係をみんなに知って欲しいんだよ。……あんな汚い婚約なんかよりも……」
バーバラは振り返って、まるで憎むべきものを見るようにナタリーを睨んだ。
熱心なバーバラの説得を聞いたフランは、小さく口を開いた。
「……バーバラ…………わかった……」
フランは顔を上げた。
「……私……明日、シリウスと一緒にここに立つわ」
「……フラン……っ」
隣にいたシリウスは、彼女を見つめた。
バーバラは笑顔になって大きく頷いた。
「……フフフ……っ。あはははははははっ!!」
突然、夜の静寂を切り裂くような、高利貸し染みたナタリーの笑い声がステージに響き渡った。
「っ!?」
白月の四人は怪訝な表情でそちらに目を向けた。
黒陽の守護者三人も、眉をしかめて彼女に目をやった。
「あなた方、それで対抗しているおつもり? そんなことをしたら、困るのはそちらのクイーンですわよ?」
意味深な発言をするナタリーに、バーバラは苛立った。
「どういう意味!? アンタと並んだフランに勝ち目がないっていいたいわけ?」
「それもありますけれど……そちらの大事なクイーンの化けの皮が剥がれることになりますのよ?」
ナタリーはフランにジロッと目を向けた。
「何にそんなに自信があるのかわかんないけど、フランにやましいことなんてこれっぽっちもないんだから、変な言いがかりつけないでよ!」
そう啖呵を切ると、バーバラは「言いがかり」というフレーズにハッとした。
「そういえば、アンタこの間、言いがかりつけてきたね! フランにとられたものがあるとか言って……」
バーバラの言葉に、その場にいる全員が弾かれたように息を呑み、ナタリーへ視線を集中させた。
「…………」
ナタリーは「フフン」っと笑っている。
「そのこと、今、謝ってもらおうじゃないさ! ……あ、でも待って。なんなら、明日、みんなの前で謝ってもらおうじゃないの! 婚約発表じゃなくて、謝罪会見にでもしちゃおーかっ!」
バーバラはケラケラ笑ってナタリーを挑発した。
白月の三人は、ヒヤヒヤしながらバーバラを見ている。
ナタリーはバーバラを冷酷に一瞥すると、その瞳の奥に不気味な愉悦の光を宿した。
「……いずれわかると言ったでしょう? そこまでわたくしを侮辱するのなら、もう容赦は致しませんわ! 今、この場で、そこの嘘つき女から奪われたモノを教えてあげますわよっ!!」
ナタリーは大声でフランを指差した。
「…………っ」
怯えるフランの前にシリウスが立ち、ナタリーを鋭く睨んだ。
どうせいつもの虚言だろうと、バーバラとクァントは冷ややかな目を向けて鼻で笑っていた。
ナタリーはツカツカとフランの方へ歩いた。
「ナ、ナタリーっ!!」
今の彼女が何をするか読めないケイシーは、慌ててナタリーに呼びかけた。
「…………っ」
ゆっくり歩み寄ってくるナタリーに、フランは震えて目をつむった。
シリウスはナタリーを刺し殺すような視線で睨んだ。
だが、ナタリーは構わずフランの方へ身体をかがめた。
「……あなた……このわたくしから婚約者を奪うなんて、いい度胸してらっしゃるのね…………」
「っ!?」
フランはハッと目を開いた。
「…………は……? 何言ってんの? ……アンタ……」
バーバラは呆気にとられた。彼女だけでなく、その場にいる全員が、何が起きたのか理解できずにキョトンとしている。
「まだわかりませんの? この女がわたくしから奪ったのは、わたくしの婚約者のケイシーですわ!」
ナタリーはクルッと身体を返して、元の位置まで歩いた。
「……???」
当事者のケイシーは訳がわからず、黙ってナタリーを見つめていた。
シリウスも同様だった。
「わ、私……」
すると、フランがとっさに口を開き、ナタリーの背中に向けて訴えた。
「私……あなたから何も奪ってないわっ!!」
ナタリーは歩みを止めた。
興奮するフランは、肩で息をして、動悸を抑えるように胸に手を当てている。
「お、落ちつけ、フラン。相手の勘違いなんだ。お前は黙っていればいい」
シリウスはフランの肩に手を置いて、彼女の気を落ち着かせた。
ナタリーは振り返った。
「よくそんなことが言えますわね。エースのあなたも、わたくしと同じで、この女に利用されてますのよ?」
ナタリーはシリウスに冷たい視線を送った。
「……な、なにぃ….っ!?」
シリウスは、そのおぞましい言いがかりに不快感を剥き出しにして、ナタリーを睨みつけた。
「シリウスっ! 私、本当に何もしてないっ! ケイシーさんとは、なにも……っ」
以前、ナタリーの嫌がらせに遭い、その時の恐怖心が蘇ったフランは、必死にシリウスに訴えた。
「わかってる! あの女のでまかせだ」
確信しているシリウスは、取り乱すフランを壊れ物を扱うように優しく、けれど強く抱き寄せ、彼女の頭を撫でた。
ナタリーは不愉快そうにその光景を見ると、顔をそむけて、黒陽の守護者たちの元へ戻った。
「……どういうつもりだ。ナタリー」
問い詰めるケイシーの瞳には、底冷えするような漆黒の怒りが宿っていた。
「怖い顔……けれど、もう大丈夫ですわよ。あの女の誘惑は、これで終わりますわ」
ナタリーは横目でケイシーを見て言った。
「ナタリー……っ」
ケイシーがナタリーに言いかけた瞬間。
「いい加減にしなよっ!!」
白月の方から、バーバラの罵声が飛んできた。
ナタリーは涼しげな表情で、そちらに目を向けた。
「さっきから嘘ばっかり! フランがそんなことするわけないでしょーが! フランが好きなのはシリウスだけだよ!」
「……そもそも、こっちのクイーンとそっちのエースの接点なんてないじゃねーか」
バーバラとクァントが仲間を庇うように言った。
日頃の二人を見ていたからこそ、ナタリーの話はとても信じがたいことだった。
「……な、なんだか、とんでもないことになってきたな……」
ずっと端で見ていたリドルは、ものすごい修羅場を目の当たりにして、顔を引きつらせていた。
「そろそろ止めなくては。彼女のハッタリにこれ以上付き合っていられません。後始末をさせられるのは、私たちなんですから」
これ以上の暴走を阻止すべく、カミーユは毅然とした足取りでナタリーの前に進み出た。
「クイーン。もういいでしょう? 証拠もないのに、あなたの想像だけで話を作らないでください。お互い得をすることは何一つありません!」
ナタリーはカミーユの方へゆっくり振り返った。
「あなた……ナイトの分際でわたくしに偉そうに物申す気……?」
「……….っ!?」
カミーユはもちろんのこと、ケイシーとリドルも、ナタリーの殺気立った表情を見て、冷や汗を流した。
「わたくしの想像ですって……? いいですわ! 証拠なら充分なくらいありますもの!」
ナタリーは髪を翻し、ステージの全員に言った。
「…………証拠?」
フランを腕に抱いたまま、シリウスは不吉な予感に眉をしかめた。
ナタリーはケイシーの方へ身体を向けた。
「っ!?」
ケイシーはハッとして、近づいてくるナタリーを警戒した。
「……あなた……どうしてあの時ブローチを持っていましたの?」
「……え?」
目の前にきたナタリーに問われ、ケイシーは眉をしかめた。
ナタリーは苛立った。
「もう一度聞きますわ! わたくしが、あの女のカバンに忍ばせたブローチを、何故あなたが持ってらしたの!?」
「っ!?」
ナタリーの質問の意図することがわかったケイシーは、言葉を詰まらせて視線を泳がせた。
「……っ!?」
シリウスも彼と同様だった。
フランから預かったブローチをケイシーに渡したのは、紛れもなく彼本人だからだ。
「……シリウス……?」
フランは困惑していた。彼女は確かにシリウスにブローチを手渡した。
だが、いつのまにかそれはケイシーの元に渡っていた。
「っ!?」
フランはシリウスとケイシーの反応を見て察した。
――二人は、誰も知らない『秘密』を共有している。
フランの胸の奥で、冷たい不穏の種が音を立てて芽吹いた。
「…………っ」
もどかしく口をつぐむシリウスを見て、フランは何も言えずに視線をそむけた。
「ブローチ?一体何の話?」
バーバラは、眉をしかめてクァントに目をやった。
クァントは「さぁ?」といった表情で返した。
「た、確かに……そうだな……」
リドルはナタリーの言うことも一理あると、その理由を求めるようにケイシーに目をやった。
「説明願えますか?エース」
カミーユはケイシーに歩み寄って聞いた。
「…………っ」
ケイシーは顔を曇らせてカミーユから顔をそむけた。
「ケイシー……っ」
「なんでもいいから話してくれ!」と願うように、リドルは彼に歩み寄った。
お互いが必死に隠し通してきた絆を、今ここでバラすわけにはいかない。
努力を水の泡にしないために、ケイシーは固く口をつぐんだ。
そんな彼を見ていられないシリウスは、辛そうに目を閉じて顔をそむけた。
「やっぱり、答えられませんのね……あの女に口止めされているんでしょうけれど……」
ナタリーは、ジロッとフランを睨んだ。
「これ以上、わたくしの婚約者を困らせないでもらえません? いい迷惑ですわよ!」
「……っ」
喉の奥で押し潰された呻きを漏らしながら、シリウスは血の滲むような視線でナタリーを睨みつけた。
「わ……私は……っ」
フランが首を振って必死に弁解しようとすると、ケイシーが口を開いた。
「……違う……あれは……彼女から受け取ったんじゃない……」
「あら? では、一体どなたから受け取ったというの?」
ナタリーは勝ち誇った笑みを深め、楽しげにケイシーへ顔を向けた。
「…………っ」
ケイシーは答えられずに黙った。
「もうあの女を庇うことありませんのよ? わたくし、あなたがこれ以上利用されるのを見ていたくありませんわ……」
ナタリーが彼の頬に触れようとした瞬間だった。
「違う…………っ!!」
目を閉じたケイシーは、ナタリーに必死に訴えた。
「……ケイシー……っ」
シリウスは彼に目を向けた。
「俺は彼女に利用されてなんかない! 彼女からブローチを受け取ってもいない! ブローチは、君の知らない人物から受け取った……それ以上は、詮索しないでくれ……」
肩を震わせて言うケイシーを、ナタリーは面白くなさそうに見た。
「なんですのそれ……? 納得いきませんわ! あなたが必死にあの女を庇ってるとしか思えませんわよ?」
ナタリーはクルッと背を向けた。
「……ナタリー……きさま……っ」
何を言っても分かろうとしないナタリーに、ケイシーは殺意の目を向けた。
「ケイシー……っ」
怒り狂う彼の様子に、リドルは困惑した。
「も、もういいでしょう? エースは白月のクイーンとは接点がないと言っているんです! これ以上は……」
近づいてくるカミーユの言葉を、ナタリーは鋭い目で遮った。
「言ったでしょう? 充分なくらい証拠があるって。ケイシーとあの女が親密な関係である、これ以上ない証拠を、わたくし掴んでますのよ?」
「っ!?」
ナタリーは一体、どんな『証拠』を掴んでいるというのか。
彼女の歪んだ唇が、これからどんな最悪の真実を紡ぎ出そうとしているのか――。
その場の誰もが息を止め、凍りついたようにナタリーを見つめていた。
ナタリーはチラリとフランに目を向けた。
「っ!?」
フランの肩はビクッと跳ねた。
彼女の肩を抱いていたシリウスの手に力が入った。
「……お仲間からは、充分なくらい大切に扱われていますのね……聞くところ、白月のエースとは純愛の仲ですって?」
ナタリーはゆっくりとフランの方へ歩み寄った。
「……っ……っ」
フランは震えながら、近づいてくる恐怖に耐えている。
「その守ってあげたくなるような、いたいけな仮面で彼らを騙しているのでしょうけれど、わたくしには通じませんわよ!」
フランの前まで来たナタリーは、腰に手を当てて声を張り上げた。
シリウスはフランを守るように前へ出た。
「何を言ってるんだ? お前」
「そうだよ! フランはそんなことできる子じゃないんだよ!」
バーバラが負けじと言い返した。
ナタリーはそちらへジロリと目を動かした。
「……フッ……見事に巧みに操られてますのね……あなた……本当にこの二人の仲が純愛だと思ってらっしゃるの?」
「当たり前じゃないの!」
バーバラはナタリーを睨んだ。
「なら、ご本人にお聞きしますわ。あなた、一昨日の放課後、どこで何をしてましたの?」
ナタリーはフランに目を戻して聞いた。
「……え?」
とっさの質問に、フランは疑問の表情を浮かべた。
「っ!?」
フランはハッとした。
一昨日の放課後といえば……
ーー体育倉庫にシリウスを呼び出した時だ。
シリウスとケイシーも同様にハッとした。
「答えられませんの? ……なら、仕方ありませんわ。あまり口に出したくはないのですけど……皆のために、このわたくしが話して差し上げますわよ!」
みんなの方へ身体を向け、ナタリーは両手を広げた。
「……待てっ! ナタリーっ!」
シリウスが彼女を止めるも、遅かった。
「この女は、白月のエースを体育倉庫に呼び出し、身体の関係を迫ったのですわ! ここが神聖なクアトロ・コート学園にも関わらず! ましてや、白月のクイーンがですわよ!?」
ナタリーの言葉に、その場の全員が絶句した。
「…………っ」
シリウスはガタガタ震え出したフランに気がつき、彼女の方へ顔を向けた。
「フ、フランっ!?」
フランは両手を口に当て、涙を流している。
シリウスはフランの肩を力強く抱くと、憎悪に満ちた顔でナタリーを睨んだ。
「……な、何言ってんの……? フランがシリウスに迫ったって……そんなの……信じるわけ……」
「…………」
バーバラとクァントは、とても信じがたい様子で立ち尽くした。
「……ほんとかよ……あんなふうに見えて、やること大胆だな……」
リドルとカミーユも同様に驚いている。
「本当ですわよ! わたくし、たまたま居合わせて見てしまったんですわ! それに何より、あのお二人の動揺っぷりが、その証拠ですわよ!」
ナタリーはフランとシリウスを得意げに指差した。
「……お前っ! デタラメもいい加減にしろよっ!」
フランをその場に座り込ませ、ナタリーの方へ歩きながら、シリウスが怒鳴った。
ものすごい形相で近づくシリウスに、ナタリーは冷ややかな目を向けた。
「あら、なにか? 信じがたいのはわかりますけれど、あなたも、わたくしと同じようにあの女に騙されてますのよ? 怒りを向ける矛先が違うのではなくて?」
何を反論しても通じない彼女に、シリウスは意を決して言った。
「…………フランに迫ったのはオレだ!」
「っ!?」
「うそ……っ、シリウス……っ」
「……マジか……」
フラン、そしてバーバラとクァントは驚いた。
「フランは断れなかっただけだ! ……見られていたのならこの際仕方ない……けど、真実をねじ曲げるのだけは、もうやめろ!」
シリウスはじっとナタリーを睨んで、魂を絞り出すように叫んだ。
リドルは「ヒュ〜」っと茶化したが、隣のカミーユは、浮かない表情のケイシーにずっと目を向けていた。
「……ねじ曲げる? あなたこそ何を言ってらっしゃるの? わたくし、その場にケイシーがいたことも知っていますのよ?」
「っ!?」
ナタリーの言葉を聞いた瞬間、全員が弾かれたように顔を上げた。
「……え? ……え? どういう意味?」
バーバラはクァントと目を合わせた。
驚いたシリウスは、動揺しているケイシーに目を向けると、ナタリーに聞いた。
「……ど、どういうことだ?」
「ですから、あなたたちの情事を、ケイシーが扉の外で見ていたんですわよ!」
「っ!!?」
シリウスとフランは驚いてケイシーに目を向けた。
「……ねぇ? そうですわよね? あなた、あの女に倉庫へ来いと呼び出されたのではなくて?」
ナタリーはケイシーの方へ歩み寄った。
「っ!?」
ケイシーは、あの時部屋の前に落ちていた紙のことを思い出した。
『体育倉庫に来て欲しい』
すべてはナタリーが仕組んだ罠だったのだと、今、この瞬間に思い知らされた。
「……ナタリー……あれは……お前が……っ!」
ケイシーは怒り狂った目をナタリーに向けたが、彼女はその言葉を遮った。
「ケイシー、あなた……二人の様子を見て、何をあんなに動揺なさってらしたの?」
「っ!?」
「……動揺?」
シリウスが眉をしかめて聞くと、ケイシーは視線を伏せた。
「あの女はあなたに情事を見せるために、わざと呼び出したんですわよ? 白月のエースとの関係が遊びではないとあなたにわからせるために。だから、あなたはショックを受けたのではなくて?」
ナタリーはケイシーに詰め寄った。
「…………そんなわけないだろ……」
眉間にシワを寄せたケイシーは、消え入るような声で言った。
ナタリーは目を閉じ、フッと笑みを浮かべると、再度フランの方へ身体を向けた。
「おわかりになった? その女の悪質ぶりが! 味方のエースはおろか、わたくしの婚約者までたぶらかしていたんですわ!」
「あははははははっ!」と無敵に笑いながら、ナタリーは勝ち誇ったようにクルクル回った。
その姿は、周囲の誰もが戦慄するほどの、完全なる『悪女』だった。
周りの者は、もう何も返す気力が残らず、彼女をまるで脅威を見るような目で見つめていた。
「……うっ……ううっ……っ」
すると、苦しそうな声を出すフランに気がつき、皆はそちらに目を向けた。
フランは必死に浅い呼吸を繰り返しながら、襲いくる吐き気に耐えている。
涙を流し苦しそうにする彼女に、近くにいたバーバラは、悲鳴のような声を上げて駆け寄った。
「フランっ! 大丈夫っ!?」
彼女の肩を支えてバーバラは必死に声をかけた。
だが、フランは呼吸を荒げ、様子はどんどん悪化していく。
「フランっ!!」
シリウスは慌てて駆け寄った。
「フランっ! しっかりしろっ!!」
シリウスが彼女に触れようとした瞬間だった。
――パシッ、と激しい音が響いた。
フランは拒絶するように、シリウスの手を払いのけた。
「……触らないで……っ……もう……っいやよ……っ」
「っ!!?」
シリウスは驚いた。
バーバラも動揺している。
今の彼女にとって彼との接触は、あの体育倉庫での出来事を呼び覚ますものだった。
それを淡い幸せとして自身の中に留めておくつもりが、あろうことか皆の前で公の事実となってしまった。
ましてや、事実と異なる歪な形で……。
フランはガタガタと震え、目を泳がせた。
やがて頭を両手で強く押さえ、首を激しく横に振り始めた。
「……いや……いやっ……いや……っ」
「フ、フラン……?」
バーバラは不安そうに彼女を見た。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
フランの悲痛な叫びがステージに響いた。
バーバラの手から力なく肩が抜け、フランは力尽きたように倒れ込んだ。
「…………っ」
バーバラは言葉を失った。
「……お、おい……」
クァントは冷や汗をかいて、ゆっくりそちらに歩み寄った。
「……フ、フラン……? ちょっと……ねぇっ!!」
バーバラはフランの身体を揺さぶった。
だが、彼女の身体はピクリとも動かない。
バーバラがフランに呼びかける中、皆は驚きと困惑の表情で立ち尽くしている。
「…………っ」
呆然とフランに目を向けていたシリウスは、拳を握りしめて立ち上がった。
「……ナタリー……っこの悪女め……っっ!!」
殺気に満ちたオーラを纏うシリウスの目には、不敵に笑う怪物しか映っていなかった。
「キサマ……どう落とし前をつけるつもりだ? ……フランがこうなった以上、もうキサマに逃げ場はないんだぜ……?」
シリウスが聞いた。
「その女は当然の報いを受けたまでですわ。だから忠告して差し上げてましたのに」
ナタリーは腕を組んで微笑した。
「……この期に及んでまだ言うとは……いい度胸じゃねーか……」
シリウスはナタリーに近づいた。
「…………っ」
「…………」
二人は視線をぶつけ、睨み合った。
ナタリーはフッと笑った。
「あなたがまだ信じたいのはわかりますけれど、これ以上の証拠はありませんのよ? それを覆すのなら別ですけれど……」
「…………」
シリウスは凍てついた表情で、黙って彼女を見ている。
「できないようですわね。わたくしが話せば、このことはすぐに学園に広まりますわ。あなたも利用されていた者として……あはははっ!名家クロスアルド家のご子息が……お笑いですわね!」
「……っ」
シリウスはナタリーを鋭く睨んだ。
「……けど、黙っていて差し上げても、よろしくてよ?」
ナタリーはシリウスに背を向けた。
「……?」
シリウスは眉をしかめた。
ナタリーはケイシーに目を向け、彼の前に歩み寄った。
ケイシーは彼女を警戒するように身構えた。
「……ねえ?ケイシー。あなたが今ここで、このわたくしに求婚してくだされば、今回のこと、公にしないで差し上げてもよろしくてよ?」
「……っ!?」
「……なんだって……!?」
ケイシーとシリウスは驚いた。
「さぁ、どう致しますの?」
ナタリーは腕を組んで答えを促した。
「……っ」
ケイシーは一度視線を伏せると、シリウスにチラッと目を向けた。
「…………」
彼は心配そうにこちらを見つめている。
すると、シリウスの向こうにいるフランが視界に入った。
――自分がここで犠牲になれば、この二人を救えるのだろうか。
親友の最も大切な恋人が、哀れな姿で倒れている。
「……っ」
ケイシーは、ぎゅっと目を閉じた。
(……あの時……俺がブローチを預からなければ……マノン・アルベール……そして、マリオン・アルベールという被害者を生まずに済んだ…………)
ケイシーは拳を握りしめた。
(……フランをあんな風にしてしまったのは……俺だ……彼女の心に深い傷を負わせ……シリウスにまで…………全部……俺の…………)
ケイシーは、全てを一人で背負う覚悟を決め、ゆっくり目を開いた。
「……わかった…………お前の……言うとおりにする……」
「っ!?」
光の消えた目で頷くケイシーに、シリウスはハッと目を上げた。
「それでいいのですわ! ずいぶん物分かりが良くなりましたのね。感心しましたわよ、ケイシー」
ナタリーはケイシーの頬をそっと撫でると、その手で床を指差した。
「では、ここに跪きなさい! そして、わたくしの手をとって言うのよ! 「『ナタリー様、どうか結婚してください』と――!!」
「…………っ!?」
ケイシーはもちろん、皆も驚いた。
「……女王が本性を現したぞ……」
冷や汗をかいたリドルは、聞こえないように呟いた。
名家オルマンダのケイシーが、そんな屈辱的な光景を皆の前に晒すのか……。
その場の誰もが息をひそめ、ケイシーの様子をじっと見つめた。
「……ケイシー……」
シリウスは不安そうに彼を見ている。
「…………っ」
ケイシーは目を閉じ、震わせていた拳をゆっくりほどいた。
「はぁっ」と静かに息を吐くと、ケイシーはその場に片膝をついた。
「…………っ」
シリウスは目を閉じ、拳を握りしめた。
ナタリーはケイシーを見下し、不敵な笑みを浮かべている。
「……手を……」
ケイシーは手を差し出し、ナタリーに言った。
「潔いですわよ。ケイシー」
ナタリーは満足げに手を出し、彼の手に添えようとした。――その瞬間だった。
「もうよせ…………」
ナタリーはその声にピタッと手を止めた。
「……?」
ケイシーもハッとして、その声の方に目を向けた。
バーバラ、クァント、リドル、カミーユは、うつむいて震えているシリウスに目を向けた。
「……もう……茶番は終わりにしろ…………ナタリー…………っ」
顔を上げ、シリウスはナタリーを睨んだ。
「……茶番? 聞き捨てなりませんわ! この契りは、わたくしとケイシーの未来への繁栄のための第一歩となりますのよ? それを……」
ナタリーが身体を返して不満そうに言うのを、シリウスは遮った。
「未来への繁栄? 笑わせるな。ずいぶん好き勝手言ってくれたが、お前の絶対的な『証拠』とやらは、なんの意味もないんだぜ?」
シリウスは鼻で笑ってナタリーを蔑んだ。
その仕草に怒りが募ったナタリーは、彼に食ってかかった。
「どういう意味ですの!? これ以上の証拠はありませんわっ!! あなた、ちゃんと話を聞いてましたの? まぁ、受け入れがたいのはわかりますけれど……」
ナタリーはツカツカとシリウスの元まで歩いた。
「往生際が悪くてよ? クロスアルド家のご子息様…………これ以上、オルマンダ家の勢力が上がるのが、よっぽど怖いのかしら?」
ナタリーは腰に手を当ててシリウスを挑発した。
「ああ……そうだな…………だが、オレが恐れているのは、親友が悪女の手に渡ることだ」
シリウスはキッとナタリーを睨み返した。
「……っ!?」
あろうことか致命的な一線を越えたシリウスに、ケイシーは冷や汗をかいた。
「……親……友……ですって……?」
ナタリーは信じがたいものを見るように、ピクリと眉を動かした。
「まだわからないのか? ……そうだよな。自己防衛のためにしか頭を使わないようなヤツには、一生わからないだろうな……」
「シ、シリウス……っ!」
ケイシーは、シリウスを止めようと立ち上がった。
シリウスは構わず続けた。
「脳みその腐ったお前に教えてやるよ。オレとケイシーはな……」
「よせ……っ!!」
ケイシーはとっさに叫んだ。
「オレとケイシーは……幼い頃からの親友なんだよ!!」
シリウスが張り上げたその声は、静まり返ったステージに爆音のように響き渡った。
――辺りは、シンッと静まり返った。
「……え……? ……シリウスと……」
「ケイシーが…………親友……?」
バーバラとリドルは、互いのエースを見ながら言った。
クァントとカミーユも信じられない様子で困惑している。
「…………っ」
ケイシーは痛ましげな表情で顔をそらせた。
「……お前が言ったブローチのことも、何の証拠にもならない。あれはオレがフランから預かったものだ」
「……なんですって……っ!?」
ナタリーは一歩たじろいだ。
「その後、オレがケイシーに渡したんだ…………犯人であるお前を説得するように……ブローチを突きつけられたお前が、自白するようにな!」
「…………っ!?」
ナタリーはシリウスから目をそらし、視線を泳がせた。
シリウスは続けた。
「……オレたちを体育倉庫で見て動揺したのは……親友であるオレの情事を、突然目の当たりにしたからだろう。……ケイシーは……それくらい純粋なヤツなんだ…………オレには良くわかる…………」
「……シリウス……」
ケイシーは、自分をかばってくれるシリウスを見つめた。
「……っ……っ」
黙って聞いていたナタリーは、肩を小刻みに揺らし始めた。
「……フ……フフ……フフフフフ…………っ」
低く、地を這うような笑い声だった。
皆はハッとして、奇妙な声を漏らし始めたナタリーに目を向けた。
「あはははははははははっ!!!」
顔を上げたナタリーは、大きな声で笑い出した。
「っ!?」
皆は驚き、シリウスとケイシーも彼女から離れるようにたじろいだ。
「一体なんなんですの? それ? 得意げに何を言い出すかと思えば、二人はずっと仲良しでした、ですって? ……笑わせないでもらえる?」
ナタリーは振り返った。
「皆さん聞きました? このお二方は、わたくしだけでなく、守護者のあなた方を、ずっともて遊んで楽しんでいましたのよ? そんなことが許せまして?」
皆に言い聞かせるように、ナタリーはステージ全体を歩き回った。
「わたくし達だけではありませんわ! この学園の生徒全員を騙して、陰で二人で笑ってらしたのよ!?」
ナタリーの言葉を聞いた守護者たちはうつむいた。
ナタリーは構わず話し続けた。
「白月と黒陽の対立を利用して、生徒の反応を嘲笑し、高みの見物で娯楽に浸っていたのかしら? いかにも、高貴な血筋を引いたお二方がやりそうな、悪趣味な娯楽ですわ!」
「ち、違う!!」
「俺たちは利用なんか……っ!」
二人の悲痛な弁明が、重なるようにステージに響いた。
だが、お互いの守護者からの冷たい視線を感じ、ハッと言葉を詰まらせた。
「シリウス……」
バーバラが縋るように呟いた。
リドルはただ冷ややかに「ケイシー……」と、その名を呼んだ。
「…………っ!?」
ナタリーはクルッと身体の向きを変えて、二人へ言い放った。
「あの双子の姉妹以上にタチが悪いですわ! 正当な学園の部派対立を愚弄するなんて…………校長先生があなた方二人に、どんな処罰を下すか……フフッ、楽しみですわね!」
「…………っ」
シリウスとケイシーは、やり場のない屈辱に顔を歪め、ナタリーから顔をそむけた。
ステージ上には、ナタリーの高らかな笑い声だけが響き渡った。
第四章「実行」に続きます。
長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




