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第二章 「やまない闇」前編


陽は高くなり、気がつくと辺りは人が行き交っていた。


二人がいるベンチの周りも、人々の話し声で賑やかだ。

うつむいていたシリウスは、スッと立ち上がって、街が見える丘の方まで歩いた。

車椅子なしで歩く彼の様子を、ケイシーは心配そうに見つめて後を追った。

「思えば、あれからだったな。ナタリーがフランに目をつけ始めたのは……」

街を見下ろしながら、シリウスが言った。

「………」

シリウスの後ろで、ケイシーは目を伏せた。

黙っているケイシーの様子にハッとしたシリウスは振り返った。

「別にお前を責めてるわけじゃない……ブローチをお前に渡したオレの責任でもある。全てをお前に背負わせてしまったのは、オレだ……」

視線をそらすシリウスの隣へと、ケイシーは歩み寄った。

「俺たちは決断を急ぎすぎたみたいだ。フランを守らなければという気持ちが先走ってしまった」

「……どの選択をしても、結局はヤツの思うツボだったのかもしれないな」

シリウスは皮肉染みた笑みをこぼした。

二人は街の向こう側にある遠い景色を、ただじっと見つめていた。



それは、夏の休暇が明けた頃のことだった。

「芸術祭は、とびきりエレガントなドレスにするつもりですのよ」

「…………は?」

学園最上階の自室に、ナタリーは黒陽の守護者三人を招いていた。

ケイシーを真ん中に、両脇のカミーユとリドルは、拍子抜けした表情をナタリーに向けた。

「あなた方、察しが悪いですのね。芸術祭の話をするために集まったのでしょう?」

「………」

三人は顔を見合わせた。

「芸術祭とドレスって、何の関係があるんだよ?」

リドルが怪訝に腕を組んで聞いた。

「あら、わたくしは黒陽のクイーンですのよ?いわばチームの主軸。部派全体の士気を上げるためには、この生ける芸術である、わたくしの高貴な姿を皆の目に焼き付けなくてはいけませんわ!」

ナタリーはリドルの前に来ると、これ見よがしにクルクル回ってポーズを決めた。

呆気にとられる二人を余所に、カミーユが小さく咳払いをして尋ねた。

「……では、お披露目会を実施するということですか?」

ナタリーはカミーユに背を向けて歩くと、すぐにまた顎に人差し指を当てて振り返った。

「そう! 舞台は庭園! 夕刻から始めますわ!」

「ゆ、夕刻って……」

「芸術祭は一日だけだ!夕方には、片付けに入らないといけないんだぞ!?」

ケイシーとリドルは慌てて言った。

「知ってますわよ、そんなこと。けれど、わたくしのドレス姿が輝くのは、夜からですわ。ライトアップした庭園の中、輝くわたくしに皆が見惚れてしまう……こんなに素晴らしい演出、他にはありませんわよ!」

「…………」

三人は、またも顔を見合わせた。

「そうだわ! その日は、初等部と高等部の方達もわたくしを拝ませて差し上げられるように、自由に出入りできるようにしましょう!」

ナタリーは、三人のことなどお構いなしに話を進め出した。

ケイシーは無言でカミーユに視線を送った。

カミーユはそれだけで意図を察し、小さくため息をついた。

「……わかりました。校長と相談してみます……」

「校長先生なら、きっと承諾しますわよ。楽しみですわ! 早速ドレスの手配をしないと! わたくしに似合うのは、やっぱりピンク色かしら。フリルもたくさんあしらってもらいたいわ!」

指を組み楽しそうに話すナタリーは、ケイシーの方へ振り返った。

「ケイシー。あなた、ファッションデザイナーのキャメロンに頼んでくださいます?」

「……えっ!?」

ケイシーは顔を上げた。

「オルマンダ家の名前を使えば、そんなこと、簡単でしょう?」

ナタリーは意味深な目を向け、ケイシーに歩み寄った。

「……っ」

ケイシーはその目をじっと睨み返したが、諦めたように目を閉じた。

「……わかった……けど、条件がある」

カミーユとリドルは、ハッと彼に顔を向けた。

「……条件?一体なんですの?」

ナタリーは怪訝な表情を向けた。

「芸術祭は学園全体のものだ。ドレスのお披露目会じゃない」

「ドレスじゃなくて、わたくしのお披露目会ですわ」

ナタリーは顔をそむけた。

「君はあくまで黒陽のクイーンとして皆の前に立つんだ。せめて、シンボルであるワンドを持って、それに合わせたドレスを着て欲しい」

リドルは「なるほど!」と相槌をうった。

「あの古めかしい棒を、このわたくしに持てとおっしゃるの!? 嫌ですわ! あんな汚くて重たそうなもの! ……似合うドレスなんてありませんわよ!」

ナタリーは不満げに唇を尖らせた。

だが、カミーユは彼女の意見を無視して頷いた。

「それは、いい考えですね。黒陽の主が、いかに洗練された者だと全校生徒に披露できる場が設けられるわけです。皆の士気が上がるのは間違いないでしょう」

「………っ」

提案に乗り気な様子を見せ、ナタリーの気を煽った。

「それでは、どうです? 白月のクイーンとドレスを披露しあうというのは?」

「………」

カミーユの言葉を聞き、ナタリーはチラッとそちらに目をやった。

「そうだな! あっちのクイーンは質素だし、こっちのクイーンの華やかさには、到底かなわないだろう」

勝負事となると、リドルは興奮して血を騒がせる性質タチだった。

「どうでしょう? エース」

カミーユはケイシーに聞いた。

「………」

ケイシーは考えた。

一見無駄な争いとも思えるが、これでナタリーの気が静まれば、しばらくは大人しくなるかもしれない。

それに、こういった催し事を行うことは、互いの部派の高揚力を高め、校長へのカモフラージュともなる。

ケイシーは頷いた。

「……そうだな。白月のクイーンには、ソードに合うドレスを着てもらおう……だから、君もそうしてくれ」

ケイシーはナタリーに言った。

不満げだったナタリーだが、フッの邪悪な笑みを浮かべ、ケイシーを見つめ返した。

「……わかりましたわよ…………けれどケイシー、わたくし、あのワンドは重たくて持てませんわよ?」

「そこまで言うほど重くないだろ」

リドルが言うと、ナタリーは「フンっ」と顔をそむけた。

「なら持ちませんわ!」

リドルはやりきれないといった風に、ケイシーへ視線で怒りを訴えた。

ケイシーは仕方なくナタリーに目を向けた。

「じゃあ、どうしろって言うんだ?」

「……そうね……わたくし用に新しく作ってくださる?」

ナタリーは目だけをケイシーに向けて言った。

「っ!?」

三人は驚き、呆気にとられて彼女を見た。

「あなたなら職人に口をきくことなんて簡単なことでしょう? ……そうね、重さは軽くして、長さも少し短くしていただけますかしら?」

ナタリーは話を進めた。

「けれど、あの古いデザインに合うドレスが、わたくしに似合うかしら? ま、キャメロンなら、きっとなんとかしてくださいますわね!」

ナタリーは浮かれた様子でソファへと歩いた。

「………」

守護者三人はやりきれない表情で彼女を見ていた。



数日後。

白月の守護者三人は、クイーン「フラン」の部屋へ向かう道中だった。

「ソードに合うドレス? 何言ってんだろ。どうせ向こうの高飛車お嬢様の提案なんだろうけどさ」

バーバラは、やれやれと首を振った。

「よっぽど高貴な印象を植え付けたいみたいだな。今以上に」

乗り気ではなさそうなクァントは、ため息をついた。

「なにさクァント。アンタ、フランがみすぼらしいって言いたいの?」

じろっと睨むバーバラにクァントは首を横に振った。

「別にそうじゃない」

「あのケバさに比べたら、フランは純潔の象徴。きっと清楚で綺麗なドレス姿に変身するわよ!ねぇ、シリウス!」

「……えっ? ……あ、ああ……」

名前を呼ばれ、ハッとしたシリウスは顔を上げた。

「けど、ドレスのことなんて俺たちにはわからない。バーバラ、お前とフランで相談して決めたらどうだ?」

面倒ごとから逃れたいクァントが、バーバラに言った。

「何言ってんの! これは黒陽との戦いでもあんだから! 中等部だけじゃなく、初等部や高等部の生徒だって見にくるんだよ! あんた達男の目だって必要でしょーが!」

バーバラの迫力ある説得に、シリウスとクァントがたじろいだ。

「……それに、フランのドレス姿を一番見たがってるのは、他でもない誰かさんみたいだしさ」

バーバラは意味深な目をシリウスに向けた。

「……な、なんでオレを見るんだ?」

「べつにー」

少し赤くなって聞くシリウスに、バーバラとクァントはクスクス笑った。


その頃、フランは自室の机に向かって自習をしていた。

消しゴムを取ろうと筆箱に手を伸ばした時、フランはハッとした。

(……まただ……)

消しゴムが無いことに気がついたフランは、諦めたように悲しげな顔でうつむき、ノートを静かに閉じた。

「………」

思いつめた表情で何かを考えていると、扉をノックする音が部屋に響き、フランの肩はビクッと跳ねた。

椅子から立ち上がった彼女は、そちらに目を向けた。

「……ど、どちら様?」

「フランー。アタシ、バーバラ!」

明るく軽快な声が返ってきた。

フランはホッとすると、そちらに足を向けた。

「……どうぞ。……っ!」

扉を開けたフランは、バーバラの後ろにいるシリウスを見て驚いた。

「アハッ!思った通りの反応だ!」

笑って言うバーバラにフランは目を向けた。

「今日はね、芸術祭のことで話し合いをしに来たんだよ。だからシリウスも一緒ってわけ」

フランが赤くなった理由を瞬時に察したバーバラが、言葉を続けた。

「……一応俺もいるんだけどな……」

「ああ、ごめんごめん。そーだった」

目をそらしてボソッと言うクァントにバーバラはわざとらしく謝った。

「……あ、ど、どうぞ入って」

フランは扉を大きく開いて三人を部屋に入れた。


「そういうわけで、芸術祭当日、ソードのデザインに合わせたドレスを着てもらいたいんだ」

上座のソファに座るフランに、シリウスが言った。

「で、でも私、ドレスなんて似合わないわ…………ナタリーさんと並ぶなんて、とても……」

「何言ってんのさ。あんた清楚だから絶対似合うって! 向こうは絶対にド派手にくるだろうから、こっちは無垢な綺麗さで勝負しようじゃないの!」

謙遜するフランにバーバラは喝を入れた。

「ねぇ、シリウスだってそう思うよね?」

「……えっ!?」

油断していたシリウスは、驚いて顔を上げた。

「フラン、絶対にドレス似合うと思うでしょ?」

「…………」

フランに目をやると、彼女は少し不安そうにこちらを見ている。

「……あ、ああ」

そんなフランのドレス姿を想像したのか、シリウスは少し間を置くと、赤くなって目をそむけた。

「…………」

シリウスの反応を見たフランも同様に、頬を赤くしてうつむいた。

その仕草が嬉しさであることは、バーバラにとってはお見通しで、彼女は「フフ」っと満足げな表情で二人を見つめた。

「なぁ、俺たちはもういいだろ?あとは二人で決めてくれよ」

痺れを切らしたクァントが、ソファから立ち上がった。

「何言ってんの?あんたが一番重要なんじゃないさ!」

バーバラがクァントを見上げて言った。

「は? なんで俺?」

「だって、アンタの家、インテリアだけじゃなくファッションも手掛けてんでしょ?」

バーバラは立ち上がってクァントに聞いた。

「あんなのオヤジの女の趣味じゃないかっ!」

クァントはカッと頭に血が上ってバーバラに食ってかかった。

どうやら彼にとってはあまり干渉されたくないことのようだった。

「けど、ファッションデザイナーとの繋がりがあるのは確かでしょ?」

「なら、シリウスに頼んだっていいじゃないか!クロスアルド家なら、デザイナーの一人や二人、繋がりはあるんだろ?」

クァントは腕を組んで、シリウスに目配せした。

「うちは元々建築業だからな……。特に材質メインだし、ファッション関係のプロとの繋がりは、あんまり期待できないぜ?」

淡々と断るシリウスに、クァントは諦めず食らいついた。

「けど、この間できたオーベルジュには、数人の有名デザイナーを起用したんだろ?だったら、その繋がりで、デザイン関係者の一人や二人……」

クァントがそこまで言うと、バーバラが慌ててとめた。

「クァントっ! マズイって!」

「……え?」

クァントは疑問の表情で首を振るバーバラに目をやった。

「……あのデザインはオルマンダのものだ……言っただろ? うちは材質を重視しているって。外観を派手に着飾るのはあっちの得意分野だ」

クァントが言ったオーベルジュの建築には、どうやらクロスアルド家とオルマンダ家の両家が携わっていたようだった。

冷や汗をかいたクァントは「やべ……」と口をつぐんだ。

シリウスは目をつぶって黙って腕を組んでいる。

見兼ねたバーバラが、ため息をつきながらクァントに言った。

「まったく……ってわけで、アンタのとこにお願いするからね」

「そこまで本格的にやることないだろ!?」

クァントは慌てて返した。

「何言ってんのさっ! アンタ、ほとんど役に立たないんだから! こんな時くらい一肌脱いでくれてもいいじゃないのさっ!」

「どーいう意味だよそれっ!!」

「フランにみすぼらしい思いさせようってのっ!?」

「そんなこと言ってねーだろっ!? そんなに気合い入れなくても、たかが芸術祭の催し物じゃねーか!」

「その催し物に、向こうはどれだけ本気出してくると思ってんのっ!? アンタ、あのクイーンの性格知ってんでしょっ!?」

二人が言い争うのを、フランはオロオロしながら見ている。

シリウスが呆れたように「はぁ」と息を吐いたその時だった。

ふと視線を落とした彼は、フランの足元を見てハッとした。

「フラン。靴、どうしたんだ?」

「……えっ?」

フランはハッとしてシリウスの方へ顔を向けた。

「その靴、いつものじゃないだろ?」

「……あ……」

フランは困った表情で視線をそらすと、すぐに戻して答えた。

「す、少しきつくなったから新しくしたの」

「……そうか……」

シリウスは再度フランの足元に目を向けた。

腑に落ちない様子のシリウスは思った。

(今までフランが履いていたのは、両親にプレゼントされて気に入っていたもののはずだ。親想いの彼女が、少しきつくなったくらいで簡単に手放すか……?)

「なぁ、フラン……」

うつむくフランにシリウスが話しかけようとした時、バーバラが二人のもとへやってきた。

「クァントのヤツ、やっと折れたよ。父親に頼んでくれるってさ!」

「そうか」

シリウスは、腕を組んでふてくされているクァントの方へ顔を向けた。

「クァント、すまないな」

「貸しだからな!」

クァントはそっぽを向いた。

「ね、フラン。どんなドレスにする?フランならシンプルなのがいいね!」

「う、うん……。でも……」

フランはシリウスの前でドレスの話をするのが恥ずかしいようで、彼を意識してモジモジしている。

だが、バーバラは構わず続けた。

「あ!胸におっきなリボン付けてもらおうか!フラン好きでしょ?リボン。だっていつも髪に付けてるしさ!それに靴にも……あれ?」

バーバラはフランの靴に目をやるとハッとした。

「靴変えたの?フラン」

フランに目を戻してバーバラが聞いた。

「……う、うん……」

フランは視線をそらして頷いた。

「オレもさっき聞いたんだ。前のがきつくなったらしい」

シリウスがバーバラに説明した。

「へー。さっすがシリウス。フランのことよく見てんね!」

「た、たまたまだっ!いつもジロジロ見てるみたいに言うなっ!」

シリウスはカァっと赤くなって怒った。

(いつもジロジロ見てんじゃないの……)

バーバラは呆れて思ったが、それには触れずにフランに再度目をやった。

「けど、アタシはあの靴、可愛くて好きだったな。黒いローファーにブルーのリボンなんて、フランらしくて可愛いじゃんね!」

「…………」

フランはうつむいて黙ってしまった。

そんな彼女を見たシリウスとバーバラは、目を合わせて不思議に思った。


数日後。

白月「3-4」の教室の前に、クァントが壁に背をつけて誰かを待っていた。

目的の人物、シリウスが出てきたのを見て、そちらに歩み寄って行った。

「よぅ」

「クァント、どうした?」

「実は今日、バーバラが風邪で欠席したみたいなんだ」

「バーバラが?……へぇ、あのバーバラがねぇ……」

いつも元気な彼女でも病気になることがあるのかと、シリウスはふっと笑った。

「それで?」

シリウスが聞くと、クァントは言いづらそうに答えた。

「クイーンを送る任務は、本来なら俺なんだろうけど……代わってくれないか?」

シリウスはクァントに目を向けた。

「……俺、どうも苦手で。なに話していいかもわかんねーし」

確かにクァントとフランが話しているところは見たことがない。

普段はクールなクァントが珍しく困り果てている姿を見て、シリウスは苦笑しながらも引き受けることにした。

「わかった。オレが行く」

「助かったぜ!」

クァントはホッとした様子で言った。

「これで借りは返したぞ」

「…………っ」

笑って言うシリウスに、クァントは言葉を詰まらせた。

「ねぇ、知ってる?この学園の怖い噂!」

「え?なに?知らない」

すると、近くにいた数人の女子生徒の会話が聞こえ、二人は顔を向けた。

「チャペルの向こう側に、小さな池があるの知ってる?」

「知らないわ。そんなのあるの?」

「私、知ってる。一年の時に行ったことあるわ。フェンスがされて、入れなくなってる所でしょ?」

「そう!草も生えっぱなしで、夜になると、いかにも出そうなのよね」

「やだぁ……そんな所あるの?気味悪い……」

女子達は口々に話し合っている。

「……そんなとこあんのか」

「みたいだな」

クァントとシリウスも知らなかったようで、彼女達の話を聞いていた。

「それで、何が怖いの?」

一人の女子生徒が聞いた。

「うん。つい最近らしいんだけど、その池にあるものが浮いてたんだって」

「あるもの?」

「なにー?」

女子生徒たちと同様、シリウスとクァントは興味深そうに耳を傾けていた。

「それがね、靴が片方だけ浮いていたらしいの」

「えーっ!」

「こわーいっ!!」

「ってことは、誰かがそこに沈んで……」

想像した女子生徒達は、思わず身を震わせた。

「やだー! 怖いこと言わないでよ!」

「学園の生徒のものなの?」

「ここの指定の靴らしいわ。泥が付いてよく確認できなかったみたいだけど、青色の靴下みたいなのも見えたって」

その言葉に、女子生徒達は悲鳴をあげた。

「…………っ」

シリウスは絶句した。

「ほんとに沈んでるなら、もっと騒ぎになってるだろうに。女はあの手の話が好きだな」

クァントはチラッとシリウスに目を向けた。

彼は強張った表情で黙っている。

「お、おい。まさか信じたんじゃないだろーな?」

クァントが冗談混じりに聞くと、途端にシリウスは走り出した。

「えっ!? シ、シリウスっ! クイーンの迎え、どうすんだよっ!?」

クァントはシリウスに言ったが、シリウスは振り返ることもせずそのまま走っていった。

「〜〜〜ったくっ!!」

「仕方ないな」といった表情で、クァントはシリウスの後を追った。



「シリウス! おい、待てよ! シリウスっ!」

クァントはシリウスを追って、例の池までやってきた。

全速力で走ってきたシリウスは、肩で息をしながら池の周りを囲ったフェンスへと近づいた。

「…………」

汗を拭いながら、目を凝らして中を覗くシリウスの元へとクァントがやってきた。

「おいおい、例の靴を見つける気か?なんでお前がそんなこと……」

クァントが話していると、シリウスはハッとして、「ガシャンッ」とフェンスに両手をかけた。

途端にシリウスはフェンスを登り始めた。

「お、おいっ! 何してんだよっ!? まさか、死体でも探す気じゃないだろうなっ!」

クァントはぎょっとしてシリウスを見上げた。

スタッとフェンスの内部に着地したシリウスは、生い茂る草をかき分けて、池の方へと向かった。

「〜〜〜っ! 一体何する気なんだよ? こんなとこ誰かに見られたら、俺がなんて言われるか……っ」

クァントは、名の通るクロスアルド家のシリウスに、名前の通り汚れ仕事をやらせていると思われることを心配した。

そんなクァントのことなどお構いなしのシリウスは、池の近くまでくると、向こうのほうに浮かぶ靴をじっと見つめた。

一度沈んで浮かび上がってきたであろうその靴には泥と藻がつき、地の黒い部分が少し確認できるほどだった。

「……っ!」

目を凝らしていたシリウスはハッとした。

「クァントっ! 何か長い棒みたいなものがあれば、こっちに投げてくれっ!」

「はあっ!?  本気かよっ?」

クァントは冷や汗をかいた。

「早くしろっ!!」

「……っ、わ、わかったよ!」

シリウスのあまりの勢いに、クァントは仕方なく彼に従った。

しばらくして、クァントは元の場所に戻ってきた。

「ホウキしかなかった。これでいいか?」

クァントは中のシリウスに呼びかけた。

「ああ!」

シリウスが頷くのを確認したクァントは、それを槍投げのように投げた。

ナイトに選ばれるだけあって、筋力があるクァントの投げたホウキは、軽々とフェンスの向こう側へと飛んでいった。

ホウキを受け取ったシリウスは、先ほどいた場所まで戻ると、それを使いながら池の水面に浮かぶ靴を手繰り寄せた。

ずいぶんと汚れてしまい、拾い上げるのも躊躇するほど無惨な姿の靴だったが、シリウスは平気でそれを手にした。

「……やっぱりだ」

あるものを目にしたシリウスは、確信を得たように呟くと、鋭い目をしてフェンスの方へと足を向けた。

戻ってきたシリウスが手にした靴に、クァントは不快そうな目を向けた。

「夏の間ずっと浮かんでたみたいだな。それ、どうする気だ?」

シリウスが上から投げたホウキを拾い上げながら、クァントが聞いた。

「どうもしない。……ただ……」

シリウスは靴を見つめながら言った。

「ただ、なんだよ?」

「この靴は……フランのだ」

「………… はぁ!? えっ……?な、なんでわかるんだよ?」

クァントは驚きと動揺が混ざり、慌てて聞いた。

シリウスは、藻の間から見えるブルーの布を指差した。

「ここに青いリボンが付いてる。オレにはわかる。これは確かにフランが履いていたものだ」

「どういうことだよ?誰かがここに投げ入れたってことか?」

クァントには訳がわからなかった。

「…….…っ」

シリウスは眉間にシワを寄せ、強張った表情で無惨な靴を見つめた。


夕刻。

白月「3-2」の教室には一人、まだフランが残っていた。

窓際のちょうど真ん中辺りの席に座っている彼女は、思い詰めた表情で一枚の紙を手にしていた。

紙を持つ右手に力が入ったその時。

「ガラッ」

フランはハッと顔を上げて、開いた扉に目を向けた。

「遅くなったな、フラン」

「……シリウス……!」

フランは紙を机の中に隠した。

「バーバラが風邪で休んだんだ。だから、今日はオレが部屋まで送る」

シリウスはスタスタとフランの元へ歩いてきた。

「あ、ありがと……じゃあ、行きましょ……」

立ち上がったフランは、すぐにカバンを持って教室を出ようとした。

「ああ……」

フランが机から離れたのを見計らって、シリウスはすかさず机の中に隠した紙を出した。

「っ!? だ、だめっ!!」

フランは慌てて止めようとしたが、遅かった。

「……なんだ?これ……?」

紙に書かれた内容を見て、シリウスは眉をしかめた。

「…………」

フランはいたたまれない様子で顔をそらした。

「人のモノを盗むな。さもなくば、同じ報いが必ずオマエのもとへやってくる……」

シリウスは書かれた内容を読み上げた。

「なんなんだ、これ?フラン、この紙どこにあったんだ?」

シリウスはフランに鋭い目を向けて聞いた。

フランは震え出し、持っていたカバンを床に落とした。

「フラン!」

シリウスは慌ててフランの肩に手を置いた。

「怒らないから教えてくれ。これは一体どうしたんだ?」

右手でフランの肩を抱き寄せ、左手に紙を持って、シリウスは彼女に優しく聞いた。

「……ご……ごめんなさい……っごめんなさい……っ……っ」

フランは両手で顔を覆って泣き出してしまった。

「……っ」

今にも壊れてしまいそうなフランの震える身体を、シリウスは力強く抱きしめた。

「お前が……謝ることなんか何一つない…………頼む……っ……頼むから、オレにだけは、何も隠さず話してくれよ……っ!」

シリウスの温かくて頼もしい胸に顔を埋めたフランは、その温もりを感じると、自分の凍てついた心が溶けていくような安心感に包まれた。

涙はとめどなく溢れ出し、フランはシリウスの優しさに甘えて、声を上げて泣き出した。

そんな彼女にのしかかる大きな不安を全て受け入れようと、シリウスは、また力いっぱい抱きしめた。


フランが落ち着き始め、シリウスから少し身体を離した。

シリウスは啜り泣く彼女に目をやった。

泣きじゃくって顔を押し当てていたせいで、鼻の頭が赤くなっている。

「落ち着いたか?」

シリウスは微笑して、フランの頬を伝う涙を人差し指で拭った。

フランは顔を上げて、赤い目でシリウスを見つめた。

シリウスは頬に当てていた手を耳の後ろにまわし、彼女の唇と自分の唇をそっと合わせた。

「……っ!」

離すと、フランは驚いた表情で口を押さえていた。

「嫌だったか?」

「……えっ!?」

真剣に聞くシリウスに、フランは真っ赤になってうつむいた。

「……そ、そんなこと……っ! でも……っ、あなたはクロスアルド家の人だから……っ」

フランが慌てて言うも、シリウスは言葉を遮るようにクルッと背を向けて、フランの席の前の椅子をひいた。

「あなたにふさわしいのは、もっと素敵な人よ!? 私なんか……釣り合わないわ……」

フランはシュンとうつむいた。

椅子に腰掛けたシリウスは、改めて彼女を見つめた。

「いいから座って。この紙のこと、話してくれないか?」

シリウスは机に置かれた紙を指差した。

「…………」

促されるまま、フランは目の前の席へストンと腰を下ろした。

「これをどこで?」

「…………机に……入っていたの」

「いつ?」

「……えっと……休暇に入る前……」

「そんなに前に!?」

驚くシリウスの声に、フランはビクッと肩を震わせ、怯えたように目をつむった。

「ご、ごめんなさいっ」

「……いや、大きな声を出して悪かった。……誰が入れたかわかってるのか?」

フランは首を横に振った。

シリウスは紙の内容に視線を落とした。

「……これは、どういう意味なんだ?何か心当たりでも?」

フランの方へ視線を戻したシリウスが聞いた。

「……わからない」

うつむいたフランは、消え入りそうな声で答えた。

「人のモノを盗むな……この意味合いだと、お前が人から何かをとったってことになるけど……」

紙に目をやっていたシリウスは、チラッとフランの反応をうかがった。

「わ、私、人の物なんて、なにも……っ!」

フランは必死に否定した。

「そうだよな。フランはそんなことができる人間じゃない。…………」

フランに微笑んで言うと、シリウスは考えた。

「同じ報いがやってくる……因果応報ってことか……」

「…………っ」

シリウスの言葉にフランはスカートをギュッと握った。

「……そういうことか……」

文面を見ていたシリウスが呟いた。

「……え?」

フランは顔を上げて彼を見た。

シリウスも顔を上げ、フランの顔をじっと見つめた。

「っ!?」

フランはドキッとして、顔を赤く染めた。

「フラン。前に履いていた靴、サイズが合わなくなったわけじゃないんだろ?」

「……っ」

「誰かに盗まれたんじゃないのか?」

シリウスに核心を突かれ、フランは黙ってうつむいた。

「オレには嘘をつくなって言ったろ?お前のことならわかるんだ……オレがお前の靴を見つけた」

フランは顔を上げた。

「ほ、本当!? 今どこに?」

よほど気に入っていたのか、フランは嬉しそうに身を乗り出した。

だが、見つかった靴は無惨な姿だ。池に浮かんでいたなど知ったら、フランはきっとショックを受けるだろう。

「……オレが見つけたのは片方だけなんだ。だから、もう履くことはできない」

シリウスは視線をそむけて辛そうに話した。

「…………」

そんなシリウスを見たフランは悟った。

たとえ片方であっても、自分には見せることができないものになっているのだと……。

シリウスの気遣いと優しさを痛いほど感じたフランは頷いた。

「わかった……ありがとう。見つけてくれて」

健気に応じる彼女を見つめるシリウスの表情は、硬いままだった。

脳裏に焼き付いた、あの泥と藻にまみれた無惨なローファーの残骸が、彼の胸を激しく締め付けていた。

「この紙が机に入っていた次の日に、靴がなくなったの……」

フランが言うとシリウスは顔を上げた。

「なんだって!? ……なら、きっと同じ人物の仕業だな」

フランは黙って目を伏せた。

「他に変わったことはなかったか?」

「…………」

シリウスの問いにフランは戸惑いを見せた。

「何かあったんだな。……何があった?」

シリウスはフランの左手を握って聞いた。

フランは右手を胸に当て、呼吸を整えながら話し出した。

「……それからなの。私の私物がいろいろ無くなっているのは……」

辛そうに話すフランの言葉を聞き、シリウスは驚いて立ち上がった。

「他にも何か無くなったのかっ!?」

フランは、またビクッと目を閉じた。

自分の大声に怯えるフランを見て、シリウスは「すまない」と慌てて椅子に座り直した。そして、優しい口調で彼女の顔を覗き込んだ。

「……何が無くなったんだ?」

「……筆箱一式とか……カバンに付けていたキーホルダー。……最近は鉛筆とか消しゴムみたいな細かいものが多いかな……」

数ヶ月前から嫌がらせに遭い、それを誰にも言えずに一人で不安を抱えていたのだと知ったシリウスは、いたたまれない気持ちでフランを見つめた。

「……教室にある、身の回りのものが多いな……自室の物で何か無くなったりはしてないか?」

フランの左手を握る手に力を加え、シリウスが聞くと、フランは首を横に振った。

「ということは、教室に出入りはできるが、上の部屋には足を踏み入れられない人物の仕業か……」

シリウスは考えながら、紙に視線を向けた。

(人のモノを盗むな……この文面も気になる……犯人は何か勘違いして、失くしたものをフランのせいにしてるのか? それで仕返しに……それとも、誰かにそう吹き込まれたか……)

シリウスの脳裏に、ふとナタリーが思い浮かんだ。

(いや、だが彼女は、この間のブローチの件で痛い目を見たはずだ。また同じことをするなんて考えにくい。それに、そこまでフランに執着する理由がわからない。学園内の派閥争いなら精神攻撃は特に意味がないし、第一、犯人が自分だと明らかになれば、彼女自身と黒陽の立場が危うくなる可能性がある。そんなリスクを背負ってまで、こんな嫌がらせをするか……?)

怖い表情で考え込むシリウスを見て、フランは、自分の手を握るシリウスの手に、そっと右手を添えた。

シリウスはハッとしてフランに顔を向けた。

「……お願い。危ないことだけはしないで…………私なら大丈夫だから……クイーンの任務は、あと少しで終わるし、それまでにはきっと収まってるわ……私なら耐えられるから」

フランの健気な笑みに、シリウスは胸が締め付けられる思いだった。

「一人で抱え込むことないんだからな。何かあったら、すぐにオレに言うんだぞ?」

シリウスはフランの頭を撫でた。

フランは頬を赤くして、はにかみながら頷いた。


そのままシリウスはフランを彼女の自室の前まで送った。

「……ありがとう。あなたに話して、心が軽くなったわ」

フランは扉を開けて中に足を踏み入れた。

「じゃあ」と扉を閉めようとした時、シリウスは扉を押さえてそれを遮った。

「っ!?」

フランは驚いてシリウスを見上げた。

「フラン……オレは……オレは釣り合わないなんて思ってない」

「……えっ」

シリウスはいつになく顔を赤く染めている。

「お前のこと、本気なんだ……! だから、そんなふうに思わないでくれ」

そう宣言すると、シリウスは走ってその場から去った。

「あっ!シリウスっ……!」

フランは慌てて呼び止めたが、彼はいってしまった。

シリウスからの突然の告白を受け、フランは早まる鼓動と共に、顔をみるみる赤くした。

「フランー!」

すると廊下からシリウスの呼ぶ声がして、フランはドキッとして扉の外に出た。

「戸締り忘れるなよ!」

向こうの方でシリウスが呼びかけた。

「わ、わかった!ありがとう!」

フランは赤い顔のまま頷き、手を振って返した。

シリウスも「じゃあな」と手を上げ、そのまま廊下の向こうへと走っていった。

見届けたフランは扉を閉め、言われた通りに鍵をかけた。

しばらく扉を背にして、鼓動が収まるのを待った。

先ほどの告白や、今日のことを思い返したフランは、指先で自分の唇に触れた。

(……私……シリウスと……)

すると、鼓動が収まるどころか余計に早くなり、身体の熱さに堪えるように、フランはぎゅっと目をつむった。



第二章「やまない闇」後編に続きます。


いつも長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!

目が疲れると思いますので、休みながら読んでくださるとありがたいです。

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