第007話 雪道の欠陥
北へ進むほど、空の色が変わっていく。
王都の冬は、冷たいとはいえ人の暮らしを許す寒さだった。北境へ向かう道の寒さは、石の隙間にも入り込み、馬車の床から足首を噛む。
わたしは膝掛けをかけ、資料を押さえながら窓の外を見た。
白い野原。
枯れた林。
凍った用水路。
そのところどころに、小さな魔導灯の柱が立っている。
北境街道の暖房灯だ。
通行人や馬車が凍えないよう、一定間隔で設置されている。王宮の観賞用灯と違って、こちらは命綱だった。
そのはずなのに、半分ほどが弱っている。
「カイ様、街道灯の管理はどちらが」
「北境と王宮運輸局の共同だ。設置費は北境、魔力供給は王宮補助に含まれている」
「共同管理は、責任逃れが発生しやすい形式です」
「分かる」
カイ様は短く答えた。
現場で何度も苦労した人の返事だった。
馬車が坂道に入ったとき、前方の護衛が手を上げた。
停止の合図。
ムギが不満そうに鼻を鳴らし、馬車が止まる。
外に出ると、雪道の先で小さな荷馬車が立ち往生していた。車輪が凍った轍にはまり、荷台の上には木箱が積まれている。
荷馬車のそばに、年配の男が座り込んでいた。
「大丈夫か」
カイ様が駆け寄る。
男は驚いたように顔を上げ、慌てて立とうとした。
「辺境伯様!」
「座っていろ。怪我は?」
「足を少しひねりました。荷は、北の村へ運ぶ暖炉部品です」
わたしは荷台を見る。
木箱に浮かぶ数字。
部品数、二十四。
納品先、ラッカ村。
遅延許容、六時間。
破損危険、低。
問題は荷ではなく、道だった。
街道暖房灯のひとつが完全に消えている。その周囲だけ雪が深く凍り、轍が硬い溝になっていた。
「この灯はいつから消えていますか」
男は首を傾げた。
「三日前です。運輸局へ届けましたが、王宮の管轄だから時間がかかると」
「三日前」
わたしは灯柱に触れた。
冷たい。
《帳簿視》を使うと、内部の魔力管に細い赤線が見えた。
供給不足。
弁閉塞。
原因、遠隔調整。
遠隔で絞られている。
「カイ様、この街道灯も同じです」
「抜かれているか」
「はい。ただし孤児院より悪質です。消えると道が凍り、物流が止まります」
「村の暖炉部品が届かなくなる」
「そして村の暖房不良が増え、追加魔石が必要になる」
カイ様の目が冷えた。
寒さのせいではない。
「直せるか」
「応急処置なら」
わたしは工具箱を開けた。
馬車に積んでいたものだ。昨夜マルタさんが、半ば強引に持たせてくれた。
『辺境伯様がいるなら大丈夫、なんて思うんじゃないよ。偉い男がいても、壊れた弁は直らない』
その言葉は正しかった。
カイ様は偉い。
けれど、凍った弁は工具でしか動かない。
わたしは灯柱の下部を開き、詰まった弁に銅針を差し込んだ。雪で指がかじかむ。手袋越しでも金属の冷たさが伝わった。
「エリス嬢、手を貸す」
「では、こちらを押さえてください。強くしすぎると割れます」
「了解した」
辺境伯に灯柱の外板を押さえさせる伯爵令嬢。
王宮なら誰かが卒倒する絵面だろう。
ここでは、誰も文句を言わなかった。
必要な人間が、必要なことをしているだけだ。
弁が少し動く。
魔力の流れが戻り、灯柱の芯に淡い光が宿った。
だが、まだ弱い。
「荷馬車の木箱に、予備の銅線があります」
わたしが言うと、年配の男が目を丸くした。
「あります。なぜ分かるんです」
「見えます」
男はしばらく考え、深く頷いた。
「北境では、役に立つなら理由は後でいいです」
いい土地だと思った。
銅線を借り、迂回路を作る。応急の導線は美しくないが、街道灯は雪を溶かす程度には回復した。
凍った轍の表面がゆっくり緩む。
ムギが前へ進み、荷馬車を引き出した。
若い騎士が誇らしげに言う。
「ムギ、偉いぞ」
ムギはわたしの鞄を見た。
「干し林檎は経費に入りますか」
わたしが尋ねると、カイ様は真顔で答えた。
「街道救助に必要な馬の報酬として、妥当だ」
「では、一枚だけ」
ムギは一枚では不満そうだった。
だが、過払いは癖になる。
荷馬車の男は何度も礼を言った。
「ラッカ村には子どもが多いんです。今日中に着かなければ、古い暖炉がもたなかったかもしれない」
「道が戻ったなら、間に合います」
「本当にありがとうございます」
その言葉を聞きながら、わたしは街道灯の記録を紙に写した。
番号、北街道二十七番。
停止日、三日前。
管理責任、王宮運輸局共同。
応急修理、金貨一枚相当。
請求予定先、未定。
未定が増えるのは好きではない。
けれど、今は証拠を集める段階だ。
馬車に戻ると、カイ様がわたしに温かい茶を差し出した。
「手が冷えている」
「ありがとうございます」
「この調子では、道中だけで仕事が増えるな」
「想定内です」
「君は疲れていないか」
「疲れています」
カイ様はその返事に少し驚いた顔をした。
わたしは茶を飲んでから続けた。
「ですので、次の宿場で三十分休憩を申請します」
「許可する」
「申請書は必要ですか」
「不要だ」
「いい職場ですね」
その言葉に、カイ様は目を伏せた。
「そう言われる北境にしたい」
馬車が再び動き出す。
窓の外で、応急修理した街道灯が淡く光っていた。
小さな灯りだ。
王宮の大広間を飾る魔導灯ほど華やかではない。
けれど、その灯りの下では、荷馬車が動き、村に部品が届き、誰かの部屋が暖かくなる。
数字の先には、いつも人がいる。
それを見失った場所が、いま王宮なのだと思った。




