番外編4 結婚式の収支報告
わたしとカイ様の結婚式は、予定通り小規模に行われた。
小規模、といっても北境基準である。
王宮の舞踏会に比べれば小さい。
しかし北境城下の人々、王宮財務院、白灯支援基金、リーヴェ魔導具修理店、孤児院、神殿、氷竜協定関係者、そしてルルの席まで含めると、決して少なくはなかった。
招待客名簿の最後には、こう書かれている。
監査補助ルル、一席。
料理長は最初、猫に席はいらないと言った。
ルルはその日の夕方、料理長の帳簿の上に座った。
翌日、猫席は追加された。
結婚式費用は、最初から公開することにした。
理由は二つ。
ひとつ、王宮と北境の関係改善行事も兼ねるため、支出を透明にする必要がある。
ふたつ、わたしが気になるから。
式典費。
食事費。
移動費。
宿泊費。
装飾費。
猫席費。
猫席費は、干し肉と小さな座布団である。
過払いではない。
たぶん。
式の前日、リリアナ様が控室に来た。
彼女は白灯支援基金の報告書ではなく、花束を持っていた。
「季節の花です」
「ありがとうございます」
「温室ではなく、北境で咲いた花です」
小さな黄色い花だった。
豪華ではない。
けれど、雪解けの土から出た花だ。
「とても綺麗です」
わたしが言うと、リリアナ様は嬉しそうに笑った。
「エリス様」
「はい」
「私は、あなたに許してもらえたのでしょうか」
問いは静かだった。
わたしは花束を見た。
あの夜の広間。
愛に勘定は不要だと言った少女。
その言葉に傷ついたわたし。
その後、一緒に帳簿を見て、基金を立て直し、子ども用収支表を作った時間。
感情の帳簿は、単純ではない。
でも、もう保留のままではない気がした。
「はい」
わたしは答えた。
「許しています」
リリアナ様の目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます」
「ただし、月次報告の提出遅延は許しません」
彼女は泣きながら笑った。
「それは、はい」
式当日、空は晴れていた。
北境の春らしく、風は少し冷たい。
けれど広場には灯りがともり、街道灯には花輪がかけられ、厨房からはスープの匂いが流れている。
カイ様は黒い礼装を着ていた。
飾りは少ない。
しかし、とても似合っていた。
「緊張していますか」
わたしが尋ねると、彼は真面目に答えた。
「している」
「意外です」
「氷竜との交渉より緊張している」
「それはかなりですね」
彼は小さく笑った。
誓いの言葉は、短かった。
互いを尊重する。
無理をさせない。
困難なときは相談する。
食事を抜かない。
未払いを放置しない。
最後の二つで、参列者の何人かが笑った。
でも、わたしたちには大切な誓いだ。
指輪は、あの銀の指輪をそのまま使った。
内側の文字は、今でもわたしの好きな愛の言葉だ。
式のあと、料理長のスープが振る舞われた。
王宮から来たレオンハルト殿下は、今度は玉ねぎを均等に刻めるようになっていた。
「練習したのですか」
「した」
「なぜ」
「前回、料理長に悔しい思いをした」
王太子の努力の方向としては少し不思議だが、悪くない。
リリアナ様は子どもたちと花を配り、マルタさんは新しい工具箱を贈ってくれた。
「結婚祝いに工具箱ですか」
「壊れたら直すんだろう」
「ありがとうございます」
母の帳簿は、わたしの机に置いてある。
今日の収支報告も、いつかそこへ挟もうと思う。
夕方、式典費の暫定報告を掲示板に貼った。
カイ様が横で言う。
「結婚式当日に収支報告を貼る花嫁は、君くらいだろう」
「早い方が忘れません」
「それはそうだ」
掲示板の前で、子どもたちが猫席費を見て笑っている。
ルルは自分の席で干し肉を食べ、当然の顔をしていた。
氷鳴き谷からは、祝いとして温かな風が届いた。
氷竜の祝辞は、契約板の端に刻まれていた。
熱量、良好。
祝福、計測不能。
竜も少し遊び心を覚えたらしい。
夜、城壁の上で、わたしとカイ様は北境の灯りを見た。
「黒字か」
彼が尋ねる。
「はい」
わたしは答えた。
「今日の収支は、かなり黒字です」
金額だけではない。
祝ってくれる人。
温かい食事。
正しい支払い。
許せた相手。
頼れる仕事。
隣にいる人。
それらを全部合わせると、わたしの人生の帳簿は、今まで見たことがないほど温かい数字を示していた。
カイ様が、わたしの手を取った。
「これからも、一緒に帳簿を見るか」
「はい」
「赤字の日も?」
「もちろんです」
「竜から請求書が来ても?」
「それは早めに相談してください」
彼は笑った。
わたしも笑った。
星には、やはり数字が浮かばない。
でも、隣にいる人の手は温かい。
それで十分だった。
もう一話だけ後日談があります。




