番外編3 氷竜、監査を受ける
氷竜との熱収支協定には、年一回の相互確認条項がある。
王国は返済熱量を報告する。
氷竜は受領熱量を確認する。
双方に差異がある場合、現地協議を行う。
この条項を書いたとき、カイ様は少し笑った。
「竜を監査するのか」
「相互確認です」
「言い方を変えただけでは」
「重要です」
初回の相互確認日、わたしたちは氷鳴き谷へ向かった。
同行者は、カイ様、わたし、イザベルさん、工房代表、リリアナ様、トマ、そしてなぜかルル。
ルルは馬車の中で当然のように丸くなっていた。
「猫は寒くないのでしょうか」
リリアナ様が心配すると、トマが真顔で答えた。
「ルルは自分が暖かい場所へ移動します」
「賢いですね」
「はい。監査補助ですから」
氷鳴き谷は、相変わらず白い霧に包まれていた。
ただ、以前より風が柔らかい。
氷狼の気配も少ない。
谷の奥から、氷竜が現れた。
巨大な体が霧を割り、金色の瞳がこちらを見る。
『数字を見る娘。来たか』
「年次確認です」
『几帳面だな』
「協定ですので」
わたしは熱収支表を広げた。
初年度返済予定熱量。
厨房炉廃熱回収分。
工房炉廃熱回収分。
王宮魔石返済分。
春告げの塔停止余剰分。
合計は、予定を一割上回っている。
「こちらが王国側の記録です」
氷竜は、巨大な爪で谷の氷面を軽く叩いた。
すると、氷の上に青白い文字が浮かんだ。
受領熱量。
欠損。
余剰。
氷狼発生数。
春遅延日数。
竜の帳簿だ。
美しい。
そして、かなり正確だった。
イザベルさんが小声で言う。
「竜の帳簿、見やすいですね」
「はい」
少し悔しい。
氷竜の記録と王国側の記録を照合する。
差異があった。
厨房炉廃熱回収分、王国記録より氷竜側が少ない。
「料理長の炉熱が、一部途中で漏れています」
工房代表が配管図を確認する。
「第三廃熱管の継ぎ目ですね。修理します」
「お願いします」
氷竜は目を細めた。
『鍋の熱が、途中で逃げていたか』
「はい」
『あの玉ねぎの熱は悪くない』
氷竜は玉ねぎスープを認識している。
リリアナ様が目を輝かせた。
「氷竜様、玉ねぎスープがお好きなのですか」
『熱としては良い』
味ではなく熱の評価だった。
それでも料理長が聞けば喜ぶだろう。
次に、王宮魔石返済分を確認した。
ここにも差異がある。
王宮側の発送記録より、受領熱量が少ない。
わたしはすぐに表情を引き締めた。
「輸送中の劣化か、記録不備です」
カイ様が頷く。
「調べよう」
「王宮に照会します」
リリアナ様も手帳に書く。
「白灯支援基金の輸送記録にも応用できますね」
「はい」
氷竜は、わたしたちのやり取りをじっと見ていた。
『人の子は、忘れぬようになったか』
「忘れない仕組みを作っている途中です」
『仕組み』
「はい。個人の善意だけに頼ると、代替わりで消えます。記録、公開、照合、責任者。それらが必要です」
氷竜はしばらく黙った。
『我ら竜は長く生きる。ゆえに忘れにくい。人の子は短い。ならば、紙に覚えさせるのだな』
「そうです」
『悪くない』
竜に褒められた。
少し嬉しい。
相互確認の最後に、ルルが氷竜の前へ歩いていった。
全員が固まる。
猫は、巨大な竜をまったく恐れず、氷の上に座った。
氷竜も、じっと猫を見た。
『これは何だ』
「監査補助です」
トマが答えた。
『小さい』
「ですが、有能です」
ルルは尻尾を振った。
氷竜は低く喉を鳴らした。
『では、これにも記録を』
氷面に新しい文字が浮かんだ。
監査補助、確認済み。
ルルは満足そうに鳴いた。
これにより、氷竜の帳簿にもルルの名前が載った。
北境監査室に戻ると、トマが誇らしげに報告した。
「ルル、竜公認です」
イザベルさんは少し頭を抱えた。
「公文書上の扱いをどうしましょう」
「保留で」
保留が増えた。
だが、悪い保留ではない。




