第023話 清算は舞踏会より長い
グレン・バルドの調査は、思ったより時間がかかった。
不正をした人間が有能だと、後始末は面倒になる。
彼は契約を細かく分け、名義を変え、支払いの時期をずらし、慈善、宣伝、王宮維持、南庭管理、神殿協力費という複数の項目に金を散らしていた。
一つ一つは小さく見える。
しかし、合わせると金貨八千七百枚を超えた。
さらに、北境から抜かれていた魔力を金額換算すると、被害額はもっと増える。
「請求書が厚くなりますね」
わたしが言うと、カーター財務官が遠い目をした。
「厚い請求書は、読み手の心を折ります」
「薄く分冊しましょう」
「それはそれで怖いです」
財務院の一室で、わたしたちは証拠を照合していた。
北境からはイザベルさんが残り、王宮側はカーター財務官、神殿側はリリアナ様と神官補佐が同席している。カイ様は王宮と北境の交渉のため、別室で会談中だ。
ルルは北境にいる。
王宮に猫を連れてくることはできなかった。
ただし、彼女の発見した帳簿には「発見者:北境城西塔監査班」と記録した。
猫の名前を正式記録に入れるかどうかは、まだ保留だ。
「エリス様」
リリアナ様が、帳簿から顔を上げた。
「この『宣伝費』は、なぜ慈善基金から出ているのでしょうか」
「本来は、寄付を集めるための告知費なら認められます。ただし、これは王太子殿下と聖女様の肖像入り祝福札の制作費です」
リリアナ様の顔が赤くなった。
「私、そんなものを作ると聞いていません」
「作られています」
「うう……」
彼女は額を押さえた。
「帳簿は、知らなかった恥まで見せるのですね」
「はい」
「厳しいです」
「でも、見れば次は止められます」
リリアナ様は小さく頷いた。
彼女はこの数日で、かなり数字に慣れた。
まだ計算は遅い。
けれど、分からないところを分からないと言えるようになった。これは大きい。
分からないのに分かったふりをする人より、ずっと信頼できる。
昼過ぎ、王宮の掲示板に中間報告が貼り出された。
聖女リリアナ慈善基金の収支調査を開始。
北境暖房網からの魔力流出を確認。
王宮慈善局長グレン・バルドを職務停止。
支援対象への影響を調査中。
寄付者への説明会を開催予定。
王宮内は騒然とした。
だが、以前のように噂だけが走るのとは違う。
掲示板に数字と進捗がある。
人は不安でも、何が起きているか分かれば、少し落ち着く。
夕方、レオンハルト殿下が財務院を訪れた。
彼は派手な礼服ではなく、執務服を着ていた。
「進捗は」
カーター財務官が報告する。
殿下は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
それだけで、財務院の官吏が何人か目を丸くしている。
「寄付者への返還は可能か」
殿下が尋ねた。
カーターが答える。
「全額は難しいです。ただし、不正に転用された分を王宮の見栄支出から削れば、かなり戻せます」
「見栄支出」
殿下は苦い顔をした。
「具体的には」
「南庭温室、観賞用噴水、王太子宮の季節装飾、夜会用魔導灯、祝福札の追加制作」
「削れ」
即答だった。
グレンがいれば、王家の威信と言っただろう。
だが殿下は言わなかった。
「医療院、孤児院、北境、街道灯を優先する。王宮内にも通達する」
カーターは深く頭を下げた。
「承知しました」
殿下はわたしを見た。
「エリス、これで足りるか」
「第一歩としては」
「相変わらず手厳しい」
「現実ですので」
殿下は小さく笑った。
その笑いには、以前の傲慢さは少し薄れていた。
完全に変わったとは言わない。
人は数日で別人にはならない。
でも、変わろうとしていることは分かる。
夜、王宮の広間では舞踏会の代わりに説明会が開かれた。
寄付者、業者、支援先の代表が集まり、リリアナ様が壇上に立つ。
彼女は、華やかな聖女の祝辞ではなく、帳簿を持っていた。
「私の名前で集められた寄付の一部が、支援先に届いていませんでした」
彼女は頭を下げた。
「私は知らなかったと言い訳したくなります。でも、名義人である私が確認しなかったことも事実です。今後、収支を公開します。寄付者の皆様と、支援を待っていた皆様に、説明を続けます」
ざわめきが広がった。
怒る人もいた。
当然だ。
善意を預けた人たちなのだから。
リリアナ様は逃げなかった。
質問を受け、分からないことは分からないと言い、調べると答えた。
その横で、わたしは資料をめくり、必要な数字を渡した。
舞踏会より地味だ。
音楽もない。
けれど、王宮で久しぶりに本当に必要な会だった。
説明会が終わる頃には、夜が更けていた。
リリアナ様は疲れ切った顔で椅子に座り込んだ。
「エリス様」
「はい」
「帳簿は、舞踏会よりずっと疲れます」
「慣れます」
「慣れるのですか」
「完全には」
彼女は小さく笑った。
「では、私は少しずつ慣れます」
その横顔を見ながら、わたしは思った。
この人とは、友人にはすぐなれない。
でも、同じ帳簿を見られる相手にはなれるかもしれない。
それは、今のわたしにとって十分だった。




