第019話 王宮監査会、開廷
王宮へ戻るのは、婚約破棄の夜以来だった。
馬車の窓から見える尖塔は相変わらず美しい。
けれど、近づくほどに細かな綻びが見えた。
門の魔導灯は片側だけ。
噴水は止まっている。
庭の薔薇はしおれたまま。
出入り業者の馬車が、支払いを求めて列を作っている。
王宮はまだ王宮だ。
ただ、見栄を保つための余白が削れていた。
「大丈夫か」
カイ様が向かいの席から尋ねた。
「はい」
「顔色は、あまり大丈夫ではない」
「自覚はあります」
リリアナ様は隣で膝の上に帳簿を抱えていた。
彼女も緊張している。
「私、戻ったら怒られるでしょうか」
「おそらく」
わたしが答えると、彼女は小さく息を吸った。
「正直ですね」
「準備できますので」
「はい。怒られても、帳簿を見ます」
その返事に、少しだけ頼もしさを覚えた。
王宮監査会は、財務院の大広間で開かれた。
高い天井、長い机、壁際に並ぶ官吏たち。上座には王太子レオンハルト殿下。その横にグレン・バルド。反対側には王宮財務官カーターが座っている。
カーターは、わたしを見ると小さく頭を下げた。
疲れている顔だった。
王宮に残った数少ない、まともな数字担当だ。
レオンハルト殿下は、以前より少し痩せて見えた。
わたしの視線に気づくと、彼はすぐに背筋を伸ばした。
「エリス・クラウゼル。よく来た」
「招集状に基づき出席いたしました」
「堅いな」
「監査会ですので」
空気が少しきしむ。
グレンが穏やかに口を開いた。
「本日は、王宮財務の混乱、北境暖房網の契約遮断、そして聖女リリアナ慈善基金に対する不当な疑惑について、事実確認を行います」
「不当かどうかは、確認後に判断します」
わたしが言うと、グレンは笑みを崩さなかった。
「もちろんです」
監査会の最初の議題は、王宮財務の混乱だった。
グレンは、わたしが契約を突然停止したことで、王宮業務に支障が出たと説明した。
夜会用魔導灯が止まった。
南庭温室が止まった。
業者への支払いが滞った。
王宮の威信が傷ついた。
資料は整っている。
ただし、支払い前提が抜けていた。
わたしは手元の資料を一枚出した。
「王宮側未払い一覧です」
会場がざわついた。
「建国祭装飾費、南庭温室維持費、観賞用噴水魔力費、神殿饗応費、慈善基金宣伝費。いずれも支払い期限を過ぎています」
グレンが口を挟む。
「一時的な処理遅延です」
「最長で九か月です」
「王宮では、支払い承認に時間がかかる」
「その間、クラウゼル伯爵家の信用で業者が納入を続けていました」
わたしは次の資料を置いた。
「婚約破棄により、わたしに王宮運営を補填する立場はなくなりました。よって補填停止は、契約上当然の処理です」
レオンハルト殿下が眉を寄せる。
「それでも、事前に知らせるべきだった」
「婚約破棄は、事前に知らされておりませんでした」
広間が静かになった。
殿下の顔に、一瞬だけ痛みのようなものが走った。
けれど今は、その痛みを拾う場ではない。
「次に、北境暖房網です」
カイ様が資料を出した。
地下炉の測定記録。
街道灯二十七番の停止記録。
孤児院暖炉の細工。
王宮南庭への魔力流出線。
彼の説明は短く、無駄がなかった。
「北境暖房網の停止予測は、二十六日後だった。緊急遮断により六十八日へ延びた。これは住民の生命維持のための措置だ」
グレンが手を上げる。
「その予測は、エリス嬢の加護に基づくものです。客観性に欠けます」
来た。
わたしは頷いた。
「その指摘は妥当です」
グレンが少しだけ勝ち誇った顔をした。
「ですので、客観証拠を用意しました」
わたしは、マルタさんに依頼して作った測定器の記録を出した。
地下炉の魔力出力計。
街道灯の流量計。
孤児院暖炉の遮断膜。
さらに、王宮の技師ではなく、北境工房と第三者の魔導具組合が確認した署名入りの報告書。
「加護による予測は発見のきっかけです。判断は、測定器と現場記録で行っています」
グレンの笑みが薄くなった。
「準備がいいですね」
「監査会ですので」
カーター財務官が、初めて口を開いた。
「この測定記録は、財務院でも確認すべきです」
「カーター」
レオンハルト殿下が言う。
カーターは頭を下げた。
「殿下。数字を見るのが、私の役目です」
その声は震えていなかった。
リリアナ様が、膝の上の帳簿を握りしめる。
次は、慈善基金だ。
グレンもそれを分かっている。
彼の指が、机の上で一度だけ動いた。
わたしはリリアナ様を見た。
彼女は小さく頷いた。
「次の議題に進みます」
わたしは、聖女基金の初期帳簿を机に置いた。
「金貨八千七百枚の行方について、確認します」




