第017話 雪祭りの試算表
北境では、冬の半ばに雪祭りを開く。
そう聞いたとき、わたしは一度だけ帳簿から顔を上げた。
「祭り、ですか」
「毎年の行事だ」
カイ様は資料をめくりながら言った。
「雪像を作り、温かい食事を出し、子どもに菓子を配る。兵士の家族も来る。冬が厳しい土地だからこそ、皆で顔を合わせる日が必要なんだ」
「なるほど」
必要性は分かる。
ただし、帳簿は赤かった。
雪祭り予算。
前年支出、金貨百二十枚。
今年予定、金貨八十枚。
不足見込、金貨三十七枚。
「王宮補助が減っています」
「毎年のことだ」
カイ様の声には諦めが混じっていた。
「今年は中止も考えている」
食堂にいた料理長が、その言葉に反応した。
「中止はだめですよ、辺境伯様」
「分かっている。だが暖房網の修理が優先だ」
「暖房も大事です。でも祭りも大事です。冬の真ん中で笑う日がないと、人は心から冷えます」
料理長の言葉に、何人かが頷いた。
北境では、祭りは贅沢ではない。
心を保つための経費だ。
では、どうするか。
わたしは予算表を作り直した。
「まず、王都から取り寄せる飾りを全て削ります」
イザベルさんが頷く。
「去年は氷晶リボンと銀粉灯にかなり使っています」
「今年は使いません。代わりに、街道灯の修理で余った銅線と、廃材を使った灯りを作ります」
工房代表が目を輝かせた。
「廃材灯なら作れます。子ども向けの組み立て会もできます」
「次に、王都菓子の配布をやめます」
料理長が腕を組む。
「かわりに何を出す」
「余剰玉ねぎを使った温スープ、干し林檎、地元粉の焼き菓子。砂糖紙は修道院へ交換に出すので、菓子用の蜂蜜を一部戻してもらいます」
「いいね」
料理長は笑った。
「子どもは王都の薄い菓子より、温かい焼き菓子の方が喜ぶよ」
「そして、寄付箱を置きます」
リリアナ様が顔を上げた。
彼女は帳簿講座の後、北境城に滞在していた。まだ王宮へ戻るのは危険だとカイ様が判断したためだ。
「寄付箱……私の名前ではなく?」
「雪祭り実行会名義です。用途を明記します。暖房網修理、孤児院食料、街道灯保守の三項目です」
「寄付者には、後で報告を?」
「はい。掲示板に収支を貼ります」
リリアナ様は真剣にメモを取った。
以前の彼女なら、愛や祈りと言ったかもしれない。
今は、寄付箱の用途欄を書き写している。
人は変わる。
少なくとも、変わろうとすることはできる。
雪祭りの準備は、思った以上に楽しかった。
工房では、廃材の銅線と古い魔石片を使って小さな灯りを作る。トマは子どもたちに安全な工具の使い方を教える係になり、ルルは完成品の上に座って品質検査をしている。
料理長は玉ねぎスープの試作を重ねた。
「もう玉ねぎを見たくない」と言いながら、誰より楽しそうだった。
リリアナ様は、寄付箱の横に置く説明文を書いた。
最初の案は、少し神殿風だった。
「皆様の温かな祈りを、北境の未来へ」
わたしは横に赤を入れた。
「用途が分かりません」
リリアナ様は唇を尖らせた。
「では、どう書けば」
「皆様の寄付は、暖房網修理、孤児院の食料、街道灯保守に使われます」
「少し味気ないです」
「味は料理長が担当します」
リリアナ様はしばらく考え、折衷案を書いた。
皆様の温かな気持ちは、暖房網修理、孤児院の食料、街道灯保守に使われます。
収支は祭り後に掲示します。
「どうでしょう」
「良いです」
「本当ですか」
「はい。詩と帳簿の間です」
リリアナ様は、少しだけ誇らしそうに笑った。
祭り当日、北境城下の広場には、思ったより多くの人が集まった。
雪像は不格好だったが、子どもたちは歓声を上げた。
廃材灯は夜になると淡く光り、広場を小さな星空のように照らした。
王宮の魔導灯ほど明るくはない。
でも、誰かの未払いで光っているわけではない。
その事実だけで、わたしには十分美しく見えた。
カイ様は広場の端で、人々に声をかけていた。
領主としてではなく、同じ場所で冬を越す人として。
子どもたちが彼の外套を引っ張り、雪玉を渡す。
カイ様は真剣にそれを受け取り、雪像の鼻に使った。
「辺境伯様、雪玉の取り扱いが丁寧ですね」
わたしが言うと、彼は少し困った顔をした。
「子どもが渡したものを粗末にできない」
「いい判断です」
「君に褒められると、監査に合格した気分になる」
「合格です」
カイ様は一瞬だけ黙り、それから静かに笑った。
広場の中央で、リリアナ様が子どもたちに焼き菓子を配っている。
最初、彼女に近づく人は少なかった。
王宮の聖女。
名前だけで北境を凍らせかけた基金の人。
そう思う人もいただろう。
けれど彼女は逃げなかった。
一人ずつ頭を下げ、説明し、寄付箱の用途を伝えた。
「私の名前で、届かなかった支援があります。これから調べます。今日いただいたものは、必ずここへ使います」
その言葉に、老婆が一人、銅貨を入れた。
「帳簿、ちゃんと貼りなさいよ」
「はい」
リリアナ様は、深く頭を下げた。
夜、雪祭りの灯りが広場を照らした。
寄付箱には、金貨よりも銀貨と銅貨が多かった。
大きな額ではない。
けれど、用途を分かって出された金だ。
わたしは仮集計を終え、掲示板に貼った。
寄付総額。
支出予定。
余剰が出た場合の用途。
子どもたちが、数字の横に描かれた小さな暖炉の絵を見ている。
「この銅貨で、暖かくなるの?」
「少しずつね」
わたしが答えると、ノアによく似た少年が笑った。
「じゃあ、来年も入れる」
その言葉で、わたしはふと気づいた。
会計は、過去を数えるだけではない。
未来を約束するものでもある。
その夜、カイ様が小さな廃材灯を一つ持ってきた。
「工房の子どもたちが、君にと」
手のひらに乗るほどの灯りだった。
歪んだ銅線、古い魔石片、不揃いな留め具。
王宮なら飾りにもならない。
けれど、わたしには見えた。
材料費、銅貨四枚。
制作時間、三時間。
感謝、計測不能。
「ありがとうございます」
声が少し震えた。
カイ様は、何も言わなかった。
ただ、わたしが灯りを見つめる時間を、黙って隣で守ってくれた。




