表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/20

第015話 慈善局長グレン・バルド

グレン・バルドは、雪の日に似合わない男だった。


黒い髪をきれいに撫でつけ、王都で流行している細身の礼服を着ている。外套は高級品だが、北境の風を防ぐには薄い。


それでも彼は寒そうな顔をしなかった。


王宮慈善局長。

王太子の側近。

若き改革官僚。


社交界では、そう呼ばれている。


北境城の玄関広間で、グレンは優雅に礼をした。


「辺境伯閣下。突然の訪問をお許しください。慈善局として、北境支援の実態を確認しに参りました」


「事前通告は受けていない」


カイ様の声は硬い。


「王宮より急ぎの指示がありまして。北境に不安を与えたくなかったのです」


言葉だけ聞けば丁寧だ。


けれど、言い換えれば、抜き打ちで来たということになる。


グレンの視線がわたしに向いた。


「そして、エリス嬢。お久しぶりです」


「グレン局長」


「まさか北境でお会いするとは。王宮では皆、あなたのことを心配していますよ」


「心配の内容は、書面でいただければ確認します」


彼の笑顔が、ほんの少し止まった。


「相変わらずですね」


「ありがとうございます」


褒め言葉ではないだろうが、事実なので受け取っておく。


グレンは広間を見渡した。


「北境の方々は、ずいぶん私に警戒しているようだ。慈善局は皆様を支援する立場なのですが」


「支援の一部が届いていません」


わたしが言うと、彼は眉を下げた。


「それは残念です。ですが、北境の管理にも問題があるのでは? 支援は受け取る側にも努力が必要です」


努力。


また、その言葉だ。


料理長が後ろで低く唸った。


カイ様は一歩前へ出た。


「グレン局長。北境暖房網から王宮南庭へ魔力が流れている件について、説明を求める」


「王宮南庭へ?」


グレンは驚いた顔を作った。


とても上手だった。


「それは重大な誤解です。慈善基金は、聖女リリアナ様の祈りをもとに、各地の支援を調整しています。魔力の融通は効率化の一環であり、横流しなどではありません」


「効率化の結果、北境の暖房停止予測が二十六日後になっていた」


「予測は予測です。現実には停止していない」


「止まってからでは遅い」


「感情的にならないでください、辺境伯閣下」


広間の空気が冷えた。


カイ様の怒りが、周囲にも伝わる。


グレンはそれを分かっていて、あえて言ったのだろう。


怒らせ、乱れさせ、理性を失った辺境伯という絵を作る。


やり方が王宮らしい。


「グレン局長」


わたしは口を開いた。


「効率化とのことですが、契約変更の根拠資料を拝見できますか」


「あなたに見せる義務はありません」


「では、北境辺境伯家に対しては」


「正式な請求があれば検討します」


「請求は三日前に出しています」


「王宮内で処理中です」


「処理期限は」


「未定です」


「回答できないという記録でよろしいですね」


グレンの目が細くなった。


「エリス嬢。あなたは以前から、数字にこだわりすぎる。慈善とは、人の善意を信じるところから始まるのですよ」


「善意を記録すると、長く続きます」


「疑い深いですね」


「未払いを見てきましたので」


彼は微笑んだ。


「王太子殿下は、あなたを呼んでいます。北境で辺境伯に利用されるより、王宮へ戻って話し合うべきでしょう」


カイ様の表情が動いた。


わたしは先に答えた。


「わたしは雇用契約に基づき、ここにいます」


「契約、契約。あなたはいつもそれですね。だから殿下は疲れてしまったのですよ」


その言葉は、胸に刺さるはずだった。


けれど、今は違った。


昨夜、医療室に戻った湯。

暖かくなった兵舎。

厨房で笑う料理長。

ルルが見つけた裏帳簿。


わたしの数字は、誰かの暮らしにつながっている。


そのことを知ってしまった。


「殿下が疲れたなら、休まれればよいと思います」


グレンの笑みが消えた。


「ただし、休む前に未払いは清算してください」


広間の奥で、誰かが小さく吹き出した。


グレンはすぐに表情を戻した。


「話になりませんね。では、私は慈善局の保管資料を確認します。北境に置かれている当局の資料を返却していただきたい」


来た。


「どの資料でしょうか」


「西塔に保管されている慈善基金関連記録です。王宮所有物ですので」


「西塔のどの部屋に、どの箱番号で保管されている資料ですか」


グレンは一瞬だけ黙った。


知らなければ言えない。


知っていれば、なぜ知っているのか説明が必要になる。


「機密です」


「機密資料を、北境城の隠し部屋に無断保管していたということですか」


「言葉を選びなさい」


「記録用に、正確な言葉を選んでいます」


カイ様が静かに言った。


「グレン局長。北境城内に無断で保管された王宮資料については、こちらで封印し、公証人立ち会いのもと確認する。今すぐ持ち出すことは認めない」


「辺境伯閣下、それは王宮への反抗です」


「北境の生命維持に関わる証拠保全だ」


グレンの周囲に、薄い赤い数字が浮いた。


焦燥、ではない。


それは感情ではなく、彼が持つ書類や契約の歪みだ。


隠し資金。

証拠回収計画。

口止め費。


「グレン局長」


わたしは言った。


「北境へ来た目的は、視察ではありませんね」


彼は笑った。


「証拠がありますか」


「これから揃えます」


「では、まだない」


「はい」


わたしは正直に答えた。


「ですので、今日の会話も記録します」


グレンの顔が、初めて明確に歪んだ。


その後、彼は形式的な視察だけを行い、宿泊を断って城を出た。


雪が強くなっていた。


帰り道は厳しいだろう。


それでも彼は急いだ。


証拠を消すためか。


王宮へ先に言い訳を届けるためか。


わたしたちは玄関広間で彼の馬車を見送った。


ルルが窓辺に座り、尻尾を揺らしている。


「エリス嬢」


カイ様が言った。


「戦いになるな」


「はい」


「怖いか」


「怖いです」


「それでも進むのか」


「請求先が見えてきましたので」


カイ様は、ほんの少し笑った。


「君らしい」


雪の中、グレンの馬車が小さくなっていく。


その車輪の跡は、王都へ向かっていた。


わたしは帳簿を胸に抱えた。


次は、王都で照合する必要がある。


古い資料庫の鍵を使う時が来る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ