第013話 王都の返書は請求書より重い
王太子殿下からの返書は、三日で届いた。
早い。
王宮はやればできる。
ただし、書面の中身は期待したほど整っていなかった。
エリス・クラウゼル。
王太子である私の求めに対し、無礼な照会を返したことは遺憾である。
王宮財務に関する混乱は、君が一方的に契約を停止したことに起因する。
直ちに戻り、責任ある説明をせよ。
なお、婚約破棄に関しては、私情を交えず、後日話し合うものとする。
署名、レオンハルト。
わたしは読み終え、もう一度読んだ。
それから三度目を読み、机に置いた。
「回答がありません」
会議室にいた全員が、少しだけ身構えた。
カイ様が書状を受け取って読む。
「確かに、君の五項目に何も答えていない」
「命令か業務依頼かも不明。費用負担も不明。未払い清算予定も不明。契約流出の説明も不明。婚約破棄の話し合いに至っては、論点が違います」
「どう返す」
「回答不能です」
わたしは返書を書いた。
王太子殿下。
前回照会した五項目について、ご回答が確認できませんでした。
つきましては、正式な返答があるまで、当方は移動・作業・説明のいずれも実施できません。
なお、王宮財務の混乱については、契約停止ではなく未払いの累積が主原因であると推定されます。
停止されたのは、支払い根拠を欠いた補填です。
婚約破棄につきましては、王家側都合による破棄として公証人が記録済みです。
私情ではなく契約問題ですので、違約金の清算予定日をお知らせください。
わたしは、最後に一文を加えた。
ご回答は箇条書きでお願いいたします。
イザベルさんが咳き込んだ。
「箇条書き」
「曖昧な長文は、処理に時間がかかります」
「それは、そうですが」
カイ様は書状を読んで、珍しく声を出して笑った。
「王太子は、箇条書きで返せと言われたことがないだろうな」
「経験は人を育てます」
「君は殿下を育てる気か」
「ありません。ただ、書類は育てたいです」
返書を封じ、使者に渡す。
使者は前回と同じ人だった。今回は北境用の外套をきちんと着て、食堂で温かいスープを飲んでから来たらしい。
学習している。
よいことだ。
「エリス様」
彼は小声で言った。
「王宮では、かなり混乱しています。南庭の温室が止まり、夜会が延期になり、業者が支払いを求めて詰めかけています」
「命に関わる支出は残したはずです」
「はい。医療院と孤児院と北門防衛線は、むしろ以前より安定したと聞きます」
「なら、優先順位の問題です」
使者は少し笑った。
「王宮では、優先順位という言葉が最近よく使われるようになりました」
わたしは返事に迷った。
良い変化なのか、単に責任逃れの新しい言葉なのか、まだ判断できない。
「ところで、聖女様が」
使者が声を落とす。
「リリアナ様が、王宮慈善局の帳簿室へ入ろうとして止められたそうです」
「止めたのはグレン局長ですか」
「はい。聖女様は祈りに専念すべきだと」
やはり。
リリアナ様の手紙が本物なら、彼女は王宮内で孤立しつつある。
「それと、妙な噂が出ています」
「噂?」
「エリス様が辺境伯様を誘惑し、北境を使って王宮を脅していると」
会議室の空気が、少し変わった。
イザベルさんの眉が上がる。
料理長が、手に持っていた玉ねぎを握りつぶしかけた。
カイ様は表情を変えなかったが、目だけが冷たくなった。
「誰が流している」
「出所は分かりません。ただ、王宮慈善局の周辺から広がっているようです」
グレン・バルド。
有能な人間は、数字だけでなく噂も使う。
「分かりました。情報提供に感謝します」
わたしは使者に礼を言った。
「この情報の取り扱いについて、あなたに不利益が出ないよう記録は伏せます」
使者は目を見開いた。
「ありがとうございます」
彼が去ったあと、イザベルさんが硬い声で言った。
「噂を放置するのは危険です」
「はい」
「王宮の社交界では、事実より先に噂が広がります」
「知っています」
王宮で五年過ごした。
誰と踊ったか。
誰の茶会に出なかったか。
誰のドレスに似た色を選んだか。
そんなことで、人の評価は簡単に動く。
婚約破棄された令嬢が、すぐ辺境伯と行動している。
悪意のある人間には、使いやすい材料だろう。
「反論文を出しますか」
カイ様が尋ねる。
「出します。ただし、感情的な反論ではなく、契約の公開です」
「雇用契約を?」
「はい。報酬、業務内容、期間、責任者を公開します。わたしが北境にいる理由を、誰でも確認できる形にします」
イザベルさんが頷いた。
「噂に対して、書類で殴るのですね」
「殴るという表現は少し」
料理長が言った。
「でも実際、殴ってるね」
カイ様が肩を震わせた。
わたしは契約書の公開用写しを作った。
そこには、恋愛の文字は一つもない。
魔導暖房網監査。
帳簿確認。
契約改善。
勤務時間。
報酬。
責任者。
この紙を読んでなお誘惑と言うなら、その人の頭の中に問題がある。
夕方、公開用写しは北境の掲示板と、王都の公証人へ送られた。
同時に、北境から王宮へ正式な抗議文も出た。
未確認の中傷により、業務妨害が発生した場合、損害を請求する。
わたしはその文面を見て、少しだけ胸が温かくなった。
自分を守る書類を、自分以外の誰かが作ってくれる。
それは、慣れない感覚だった。
その夜、リリアナ様から二通目の手紙が届いた。
今度は、帳簿ではなく、小さな鍵が同封されていた。
王宮慈善局の古い資料庫の鍵。
手紙には一文だけ。
私にできることは、これだけです。
わたしは鍵を手のひらに乗せた。
重さは小さい。
けれど、この鍵は、金貨八千七百枚より重いかもしれない。




